LA|米国内最大規模の日本人街:リトル・トーキョー(2)

 ダウンタウンを歩いていると町の歴史は浅くとも結構古い建築物も残っているなあと感じることも多いのですが、リトル・トーキョーのごく一部に古い町並みを敢えて保存している地区がありました。


真ん中にある赤い「CHOP SUEY」と書かれた看板は書体からしていかにも古そうな感じ。この「ファーイースト・チャプスイ・レストラン」は、1925年開店のアメリカ式中華料理レストランで、チャップリンも常連だったとか。



歴史地区として保存されているといっても、日本のように観光資源として、改修・補修して見栄えよくしたり、観光客向けの飲食店やお土産屋さんをテナントに入れたり、説明書きの看板の設置などははしていません。建物はそれなりに老朽化してるため、これもいつまで残っているのかなあと思います。

見ていて気になったのは、日本人の名前のビルがあったりすること。
かつて、日系一世たちは土地などを所有することができませんでした。アメリカで生まれた自分の子供達はアメリカ国籍なので、土地を所有することができたのですが(といってもカリフォルニア州だけ)・・。戦争が始まると、手に入れた土地や家も、財産は没収されてしまい、処分するにも買い叩かれたり。戦後、戻って来たら、自分の家や店も農地も荒れ果てていたり、取り戻せなかったり。



そんな歴史を知らなかったら、日本人姓のビルの名前と1933年と書かれたこのプレートを見ても、立ち止まって考えることはなかったかも。


1914 Ehime prefectural Assosiation
1925 Nikko Low Chinese Restaurant


滅多に来ないのでこれまで気づきませんでしたが、足元に、ここは以前どんな店があったか、何があったかを床に刻んでありました。

1903 Seiichi Kito opens original Fugetsu-do candy store on・・・
1914 S.Hoshizaki Grocery
1930 Fugetsu-do moves here.
1941 Kitos interned at Heart Mountain.



1914 E. Fukushima Booksotre
1925 Iseri Pharmacy


ビルの入り口の床に刻んだなのはどうしてなんだろう?説明や主張にしては控えめです。特に人の名前が書いてあったりすると、踏むのは抵抗ありますよね?日本では畳の縁をはじめ、何かを踏むことには注意が多く、踏み絵の歴史もあるくらいなので。

1941 FBI raids Issei associations for evidence of disloyalty.


1922 Union Church built as a religious and cultural center.
1942 Families awaiting detention gather here.


1942 Japanese American Little Tokyo Business close under force.


けれど、経年で擦れた文字を読んでいくうちに、説明とか主張したかったわけではなくて、ただ、ここに刻むことと、踏まれようが擦れようが、事実は事実!みたいな感じかなあと思えてきます。日系人たちにとっては、ここは「地場」なんだと。

随分昔、ある帰米二世の人が言っていた言葉が思い出されます。

当時のこととか、日本人である両親(一世)の言動や歴史を子供達に話すと、「何故、抵抗しなかったの?」「どうして恥なの?」と、聞かれちゃうんだ。
言ってもわからないよねぇ。


また、工事現場の目隠しに、こんな写真がありました。昔のリトル・トーキョーです。日本の工事現場も何かこういうのやったらいいのに(笑)。たとえば渋谷駅とか何十年も工事しているけど、その間に昔の渋谷駅前の写真とか、こうしてギャラリーみたいにしたらいいんじゃないかなあ。








<おまけ画像>
MIYAKO HOTEL。まだ、ありました!かつては、日本からの観光客も出張組ばっかりだったんですが、今はどうなのかな?


※学生さんとか若い観光客は、「KAWADA HOTEL」とか、よく使ってたみたい。ここからは離れていますけど。


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