Hawaii|静かな散歩コース:アラワイ運河と虹(Waikiki)

 
ワイキキの北側にあり、ビーチから歩けるのに「アラワイ運河」に来るとこの静けさ。のんびりしていて、人混みを避けて散歩するには気持ちいい場所でした。雨上がりにはきれいな弧を描いた虹がよく見えます。


アラワイ運河は人工の運河で、ホテルやコンドミニアムが立ち並ぶエリアと山側の地域を区切るように流れていて、運河の向こう側にはゴルフコースがあるので、緑も多いです。残念ながら水はきれいとは言い難いものの、少しずつきれいになってきているとか。

 


海外ではあまり人が少ないエリアは歩きづらいけれど、朝や日が傾きかけた午後にはウォーキングやジョギングをしている人、散歩を楽しむご老人、釣りをしている人も居たりします(夜はさすがにやめた方がいいと思います)。

 


運河が完成したのは1928年。
全長およそ2マイル(3.2km)、幅51m~83m。深さは約3m~7mですが、場所によっては泥が溜まりもっと浅いそうです。
ちなみに向こう側に渡る橋の本数は少ないです。

古代のワイキキには山々から3本の川が流れ込む大きな湿地帯で、現在のワイキキの85%は水で覆われていたそうです。豊富な水、温暖な気候、日照時間などの諸条件に恵まれていたため、当時主食だったタロイモを栽培したり、魚の養殖が行われていました。

プルメリアもそこらへんに咲いています。

 

1800年代半ば、中国人や日本人などアジア系移民の増加に伴って、水田が作られ米が栽培されるようになります。

1900年代になるとこのあたりには水田が広がり、収穫量はカリフォルニアに輸出するほどだったそうですが、現在、お米は完全輸入です。

ダイヤモンドヘッドが見えます。

 

ところが、水田が原因で蚊が大発生。蚊は熱病を媒介することから、当時の衛生局局長ルーシャス・ピンカム(Lucius Pinkham)氏は、1905年に湿地帯水を取り除いて再開発する計画を立て始めました。

周囲に遮るものがほとんどないので、虹の根っこが見えました。

 

残念ながら採用されませんでしたが、多くのピンカム氏支持者による熱心な働きかけにより、1918年、当時のハワイ準州知事チャールズ・マッカーシー氏によって認可され、1921年にようやく着工となりました。
確かに水田から水を抜くとなると、農家の仕事はなくなるし、大規模工事だし、決定まで時間がかかるのはうなずけますが、運河が完成するまでの20年以上どうやって蚊の対策や被害救済をしていたのかも気になります。

ここが運河の終点。行き止りになり、ボートが停泊しています。

 

開発によって、タロイモ畑や水田は完全に姿を消しました。インフラ整備も進み、ワイキキには多くの建物が建てらるよう整備されていくと、土地の価格は一気に8倍~10倍にも跳ね上がったそうです。
1927年には大型豪華客船マロロの就航やロイヤル・ハワイアン・ホテルが開業し、観光地に姿を変えていきました。


今では世界有数の観光地ですが、ワイキキ観光地になってから100年も経っていないのですよね。どれだけ急ピッチで観光地化が進められていったか、変化が大きかったか。そしてまた再開発が始まっています。

もともと運河が作られたのは、蚊の大量発生を防ぐことが一番の目的、つまり住民の健康のためでもありました。でも、今は何のためのの工事なのか、誰のための再開発なのかが見えなくなっています。老朽化もあると思いますが、それだけではないですよね。

今度どんな景色になっているやら、です。


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