Hawaii|パールハーバー見学(2):戦艦ミズーリ記念館

次は「戦艦ミズーリ記念館」へ。入り口横には、第二次世界大戦中のアメリカ太平洋艦隊総司令官を務めたチェスター・ニミッツ海軍元帥の銅像が立っています。日本軍と戦い、降伏調印式にも立ち会った人でもあります。


 戦時中「出てこい、ニミッツ、マッカーサー、出てくりゃ地獄に逆落とし・・・」という歌が流行ったそうですが、マッカーサーが目立っていたせいか、どんな人だったのか、あまり伝わっていませんよね。楽天的で人心掌握術に長けていたそうで、真珠湾攻撃後の最初の任務は「志気の回復」だったのだそう。

また、海軍軍人として東郷平八郎を敬愛していて、戦後の横須賀で東郷元帥の旗艦「三笠」の提督室が、米軍士官向けのキャバレーとして使用されていたことを大変憂い、激怒し、資金を提供して記念艦として修復させました。

 

普段、船に乗ることがないのに、「軍艦」に乗ることになるとは。


戦艦ミズーリの概要

現存する世界最大の戦艦。1944年に完成し、1990年代の湾岸戦争まで現役でした。とても大きくて、写真を撮るとき全体を収めることができませんでした。

  • 1944年:ニューヨークの海軍造船所で完成して就役。全長270メートル、高さ64メートル。射程距離は37キロ。
  • 太平洋戦争中:硫黄島や沖縄戦に参戦。
  • 1945年9月2日:東京湾上に停泊、艦上で降伏文書の調印式。降伏文書が調印されたことにより太平洋戦争は公式に終了した。
  • 1955(昭和30)年:朝鮮戦争後のにいったん退役。
  • 1986年:装備を近代化して復帰。
  • 湾岸戦争に出動
  • 1992年に再び退役
  • 1999(平成11)年から真珠湾のフォード島に、記念館として係留。



軍艦に乗ること自体初めてですが、
この「50口径40.6cm砲」の大きさには驚きです。



特攻機衝突の跡

1945(昭和20)年4月11日に、日本軍の神風特攻機が右舷艦尾付近に衝突した時の跡が、修理されずに残されていました。空母と戦艦を迎え撃つため、鹿屋航空基地(鹿児島県)から250kgの爆弾を装着した第五建武隊の16機が飛び立ちました。ここまで到達できたのは1機だそうです。


衝突しても爆弾は爆発しませんでしたが、炎があがり、右の翼が30メートルほど前方の副砲後方のあたりに投げ出され、その他の機体は海へと落ちました。乗員たちによって火災はすぐに消し止められましたが、特攻機の残骸を片付けていたとき、特攻隊員の上半身のご遺体をデッキの上で発見します。 

戦艦ミズーリ記念館:特攻機衝突の跡①

ウィリアム・キャラハン艦長は、勇敢に自分の使命を全うしたその行為に敬意を表し、この特攻隊員のための水葬の準備をするように命令を出しました。
中には不満を漏らす者もいたそうですが、フォーク従軍牧師は「死んだ敵はもはや敵ではない」として周りを説得。 水兵たちは日本の軍艦旗を徹夜で縫い上げ、翌朝多くの乗員が参加して水葬が行われました。ご遺体は海に静かに戻されました。

戦艦ミズーリ記念館:特攻機衝突の跡② 


その特攻隊員は一体誰だったのか?
身元の調査が行われ、判明したのは2001年。名前は石野節雄・二等飛行兵曹(当時十九歳・岡山県出身)。

太平洋戦争末期、日米双方とも互いを憎み合っていただろうし、疲弊もしていたと思いますが、人間らしい心はそうそう失われるものではないということが感じられるようなエピソードです。



ここだけでなく、他にもこうしたエピソードはあります。
でも、憎しみが増す前に、多くの人たちにこうした気持ちがまだ残っている間に戦争を止めらることができたらと思うのですが、一度始まった戦争は大きな犠牲が出てもなかなか止められるものではありませんでした。
それにはやっぱり権力を持つ人が止めてくれないと。日本側のことをいえば、あと1年、せめて半年でも戦争を止めるよう働きかえてくれていたら、と思います。

 


艦上で降伏文書の調印式

1945(昭和20)年8月14日、日本はポツダム宣言を受諾。
8月15日、昭和天皇の「戦争終結詔書」玉音放送によって太平洋戦争戦争の終結が国民に告げられました。8月17日には鈴木内閣が総辞職、東久邇宮稔彦内閣が成立します。
8月30日には連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが日本の厚木基地に到着します。

 

このプレートの真上で調印が行われたという。


9月2日、東京湾内(神奈川県横須賀沖)に停泊していた戦艦ミズーリの右舷01デッキにて「連合国に対する降伏文書」の調印式が行われました。 マッカーサー元帥を始めとする連合軍代表と、日本からは政府全権重光葵(しげみつまもる)外務大臣、大本営全権梅津美治郎参謀総長ら11名が出席。

これにより第二次世界大戦が正式に終結を迎えました。
その後まもなくGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は、本格的に活動を始め、占領政策に着手します。

 

降伏文書が展示されているショーケース横にある階段は、
マッカーサー元帥が降りてきた階段だという。


 

式の様子を伝える写真なども展示されています。

 

これだけのアメリカ軍に囲まれながらも、敗戦国の疲弊や惨めさを出さず、正装して立ち姿もキリッとしています。今の日本の政治家や大臣にはもっと威厳をもってもらいたいものです。

 

全ての代表の署名が終わり、マッカーサー元帥が神への短い祈りを述べ、調印式は約23分で終了、この瞬間に戦争は正式に終結しました。
なのに日本では、まだ正式な終結をしていない8月15日を終戦記念日として式典も行っています。8月15日の正午、昭和天皇がラジオを通じて日本国民に対し敗戦という形で戦争終結したことを知らされました。放送では連合国側が日本に降伏を勧告し、戦後処理の方針を示した「ポツダム宣言」を受諾することも触れています。
それで、その日を終戦記念日としたのですね。

 


 

ただ、海外では一般的に調印が行われた9月2日を戦争終結の日と位置づけ、アメリカなど多くの国がこの日を「対日戦勝記念日」(Victory over Japan Day=V-J Day)としています。

  • 7月 6日:米英中によるポツダム宣言発表
  • 8月14日:ポツダム宣言受諾を決定、連合軍側に通知
  • 8月15日:玉音放送
  • 9月 2日:降伏文書に調印、即時発行
  • 1951年9月8日:サンフランシスコ講和条約(大戦終結のための平和条約)。
    日本と、中国とソ連をを除く48の連合国が調印。



 

降伏文書のレプリカも展示されていました。
降伏文書では、カナダ代表がサインをする場所をうっかり間違えてしまったそうです。当時の日本の代表団は「書き間違えた文書だと審議を通らない」と書き直しを要求します。しかし、既に祝賀会が始まってしまったために通らず、手書きで修正されました。
サイン欄が1つ空欄になり、その後につづく各国代表の肩書が手書きで修正されているのがよくわかります。


 

 

湾岸戦争のときのこと

壁面に描かれたクウェートのシルエットと289という文字は、湾岸戦争の時に戦艦ミズーリから発射した弾の数。 

 他にも何か所かありました。

 

 

ハワイでも海軍カレー?

ツアーはランチ付きです。
中にもカフェなどがあるそうですが、イートインスペースで「パールハーバー特製カレー」をいただきました。「横須賀海軍カレー」を知ってる人は、まさかハワイに来て戦艦ミズーリで食べることになるとは・・と思いつつ、その繋がりを感じられたかもしれません。



 

戦艦ミズーリ記念館
https://ussmissouri.org/jp/

 

太平洋戦争が始まった場所であり、太平洋戦争の終結した場所というのが何だか不思議な気分です。周囲はほとんどアメリカ人でした。そんな環境でも、日本人だからといって嫌な思いをしたことはありませんでした。

敵国の兵士のことを、「勇敢に自分の使命を全うした」「死んだ敵はもはや敵ではない」として、敵国の国旗を作って遺体を包んで水葬をする・・ってやはり同じ軍人だからでしょうか。騎士道みたいな。そういう精神がここにはまだ息づいているような気がしました。日本人としても、有難いことですよね。

 

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