東京|国葬反対デモ(8月31日、国会議事堂正門前)

2022(令和4)年7月8日、安倍元首相が演説中に凶弾に倒れました。心よりご冥福をお祈りします。まさかあんな風に突然亡くなるとは。ご家族や周囲の方はなかなか気持ちの整理がつくものではないと思います。


けれど、その後の展開も衝撃的でした。まず、岸田首相はその6日後の記者会見で「国葬をおこなう」と表明。これに対し、国葬に反対するデモ集会が8月31日、国会議事堂の正門前で行われました。



一国の元首相が亡くなったのですから、個人差はあれ哀悼の気持ちを表するのはよいとしても(ただ、強制はされるべきではない)、さすがに「国葬」はどうなのだろう?
実際、反対する人が賛成する人をかなり上回っているとのこと。

 


反対の理由としては、様々。
多額の税金が使われる(どうせ後で金額が上がる、使途がわからない、説明もない)、安倍元首相と旧統一教会との関係、アベノミクスという経済政策は成功とはいいがたいという意見が多いこと、コロナ禍で十分な対策をしているとはいえないこと、「モリカケ桜」といわれた政治の私物化問題もあったことなど、挙げたらきりがありません。




しかも、反対の意見を聞かず、法的根拠もないのに首相周辺だけで拙速に決めたことで「どさくさに紛れて決めるな、説明をしろ、話をごまかすな」という声が上がっています。
「国葬の実施は安倍元首相をたたえることにつながる。宗教で苦しんだ人たちをさらに苦しめるのでは」「宗教とのつながりを肯定することになる」「そもそも疑惑が多かった、国葬するに値するのか?」の声も加わり反対の声は日々高まっているようです。

 



国葬の歴史を振り返ってみると・・
まずは、戦前の国葬。東郷平八郎元帥(日露戦争での功績)、山本五十六元帥(太平洋戦争の連合艦隊司令長官)が対象となっていますが、時代的に「戦意高揚」のためかなと思わざるを得ない印象です。ただ、国葬令は戦後の1947(昭和22)年に失効しています。

次に、戦後の国葬は1度だけ。吉田茂元首相の国葬です。当時の佐藤栄作首相が無理を通してしまったような感じもあったそうです。


 

国葬については、皇室典範の25条「天皇が崩じたときは、大喪の礼を行う」と書かれています。つまり、法的根拠が明確な国葬は「大喪の礼」だけ。
吉田元首相以後の首相経験者の国葬が行われなかったのには、こうしたことからだと思うのですが、岸田総理は内閣府設置法にある「国の儀式」を挙げて閣議決定したのだから法的には問題ないとしているようです。

 


 

「安倍元首相だって外交的な評価は高いし」「アベノミクスがあったからもっと経済が沈まずに済んだ」「長期政権で頑張ったのに」などの声もあるのですが、この部分は、それとは別の問題です。

ひどいのになると、
「国葬に反対しているのは貧乏人、
 自分で稼げないから国に何とかしてもらおうとしている脳みその幼い人。
 マスクひとつだって国から頂けるのは有難いことなのに文句を言う。
 そもそも感謝や努力が足りないから、貧乏なのに。」
「国が決めたことなのだから従うべき、それが民主主義。」(←え?)
「政治に文句を言うなら、自分が立候補してやればいいこと。
 できないくせに文句を言うな」

と世迷い事を並べたてていたります。
まあ、議論に値はしませんが、一応書いておくけれど、「エネルギーレベルが下がるから」とか言ってろくに新聞も読んでいないのに(耳触りのいい情報しか仕入れないのに)、反対する人たちを一方的に見下し、ブログや動画に批判記事をアップしてして。またこういう人をSNSでフォローしている女性も多くて、たくさんの「いいね」や賛同コメントがついてるのを見ると、世も末な感じが。

個人を名指しして攻撃はしない方針なのでしませんが、多くは、成金キラキラ系の中高年女性のような気が・・。

これについては、またいつか記事にしたいと思いますので、そのときはご笑納ください。

 


 

あらゆることが閣議決定さえすればいい・・ということになってしまい、そんな前例を作ってしまう。「何でもかんでも閣議決定で決めるな!!!」「国会は何のためにあるんだ!!」という声もかなり上がっています(声は上げるべきです)。


なのに現段階でも、国会や司法の意見をきちんと聞いた様子はなく、このままごり押しするんだろうなと思われます。


 

ノーベル平和賞を受賞された佐藤栄作元首相が亡くなったとき、当時の三木武夫政権は国葬について議論しました。その結果、行政権のほか、立法権(国会=国民の代表)、司法権(最高裁判所=法律の番人)の3つ全てが了承しないとできないという答えを出しました。国葬というのは政府が(勝手に決めて)行うものではなく、国民の集まりである国が行う葬儀なのですから。

ちなみに、三木内閣は1974(昭和49)年12月9日~1976(昭和51)年9月15日。その頃がよかったとまでは言わないものの、どうしてこんなんなっちゃったんでしょう?


 
実績を評価していない、問題が多すぎるということ以外にも、「さまざまな意見を戦わせるからこそ、課題や解決策が見えてくる。政府の意思決定もそうあるべき」、「税金を勝手に使う上に、哀悼の意を表することまで強制しないでほしい」などの声も高く上がっています。このまま国が暴走しないか、自分たちの暮らしだけではなく、子供や孫の世代はどうなる??などなど、心配が尽きないんです。

これ、貧乏人の妬みに聞こえるでしょうか?



あとは、「国葬をするにふさわしいのかどうか」・・ですが、この判断は誰が首相をつとめても難しいですよね。誰が何をどの時点でどう評価するのか?




どのくらいの人が集まっていたのか見当もつきませんが、かなりの人が来ていました。日本だけでなく、海外のメディアも来ていました。むしろ、海外から来てどんどん伝えてほしい(笑)。


*  *  *  *  *  *

<編集後記>
「やってみなきゃ幾らになるかわかんないし、国葬費用の全体も内訳も公表するつもりもないけど、お前ら国民が払え、でも、口は出すなよ」って話なのに、国が決めたことに従えないのは脳みそが幼いからなんですってよ。
「選挙で勝ったんだから、好きなようにやらせてもらう、選んだのはお前ら国民、民意です。文句あるなら選挙で勝って好きなようにやれば?」って言うなら、かなり控えめに言っても内閣独裁と思うけど、感謝や努力が足りないんですってよ。
確かに生活が苦しく、節約・倹約をして活動費を捻出してる人たちもいます。だけど桁違いの財産を持ってる人も居ます。そんなことは全く問題ではありません、特にデモの現場では。そもそも、単に自分がお金が欲しいという理由だけだったら、ここに来るかしら?

 

【追記:2022年9月2日】
この日、約4000人(主催者発表)が集まっていたそうです。そりゃあ、まともに歩けなかったわけだ、と納得。

 

 

コメント