書籍|昭和の名作「はだしのゲン」/平和学習教材から削除?

半世紀以上読み継がれている「はだしのゲン」。広島市に住む国民学校2年生の主人公・中岡元(通称・ゲン)が1945年8月6日に投下された原爆によって、父、姉、弟の3人を亡くしながらも、たくましく生きる姿を描いた名作です。現在では24の言語に翻訳され、単行本の売上は累計で1千万部以上、アニメ化や映画化もされました。


終戦時に6歳だった中沢啓治さんが30代の頃に描いたもので、しかも自伝的要素が強い作品であるため、非常にリアルです。戦争や原爆投下の残酷さ・悲惨さ、唯一の被爆国としての思いを後世に伝える漫画として、家や学校の図書室で読んだ人は多いと思います。

 

広島市は2013(平成25)年度から小学3年生などに向けた平和学習教材として採用していましたが、「今の児童の実態に合わない」として、市の教育委員会が来年度(2024年度)からは使用しないことを決定。「家族を失った実体験」の教材へと変更されるとのことです。
理由は、まだ原爆が落とされる前の生活で、

  • 主人公のゲンと弟が家計を助けようと街角で浪曲の真似事をして小銭を稼ぐシーン
  • 栄養不足で倒れた身重の母親に何か栄養のあるものを食べさせようとして池のコイを盗むシーン

これが誤解を与える恐れがあり、補足説明が必要になるとか。

 

今は文庫版が出ているけれど、1976(昭和51)年発行の単行本は5巻まで。


それを言ったら他にもダメな漫画はありそうですが、何故いつも「はだしのゲン」が対象になるのか?もちろん、反対の声が上がっています。他の都道府県や市区町村ではなく、広島市だから余計に衝撃的です。

 

作者の中沢啓治さんについて
1939(昭和14)年3月14日 ~2012(平成24)年12月19日。
広島県広島市舟入本町(現:広島市中区舟入本町)に住んでいた。1945(昭和20年)8月6日、広島市立神崎国民学校(現:広島市立神崎小学校)1年生だった時に広島で被爆。奇跡的に助かったものの、父、姉、末弟の3人を失う。次いで原爆投下当日に生まれた妹も4カ月半後に亡くしている。

1961(昭和36)年2月に上京。当初は周囲の原爆被爆者に対する差別を感じ、もう二度と「原爆」という言葉を口にしないと決心、被爆について語ることもなく、少年向け漫画誌にも原爆とは無縁の題材を描いていた。
転機となったのは、1966(昭和41)年の母の死。広島に戻って火葬した際に、放射能を浴びた母の骨はすべて灰となり、遺骨がひとかけらも残らなかったこと、くわえて火葬前にアメリカのABCC(原爆傷害調査委員会)が母の遺体の解剖を迫ったことに憤激を覚えたこと。けれど、はだしのゲンは反戦漫画ではなく、「たくましく生きること」を思いっきり描いている作品となっている(読むとよくわかると思う)。

広島市主催の平和記念式典については、やらないよりはやった方がいいとは思っているものの、ずっと出席しなかったという。「原爆のことに触れるのが嫌だった、8時15分が迫ると気分が重い。逃げ回った姿が蘇る」。被爆体験への忌まわしさと戦争責任を追及しない内容に「あんな白々しい式典で、あの原爆地獄の苦しみと怒りと、悲しみが、鎮められるかっ」との思いがあった。広島市から招待され、2011年に「今生の別れのつもりで」と初めて出席した。

 

心の傷の深さは、戦後に生まれ育った私達が決して理解できるものではありませんが、次世代の私達は、この時代のことを知って考えて想像して、伝えていく必要があるのでは?と思っています。
「はだしのゲン わたしの遺書」もお薦めです。
 

NPO法人はだしのゲンをひろめる会
https://hadashinogen.jp/

 

 

もう50年位前のものだから、さすがにヤケてしまいました。


 中沢さんは、「はだしのゲン」の前にも原爆を題材とした漫画を描いています。初めての漫画は「黒い雨にうたれて」。当時、原爆を描いた漫画はなく、原稿を各出版社に持ち込んでもどこの出版社からも掲載を断られていたそうです。
そんな時代を経て「黒いシリーズ」が生まれ、「はだしのゲン」も生まれました。あまり知られていませんが日本復帰直前の米軍基地問題を描いた「オキナワ」も描き上げています。

 

「はだしのゲン」をめぐる動き
2007(平成19)年5月、ウィーンで開催された核拡散防止条約(NPT)運用検討会議の第1回準備委員会で、日本政府代表団は「はだしのゲン」の英訳版を加盟国に配布した。

2012(平成24)年、島根県松江市教育委員会が、小中学校に対し「はだしのゲン」の漫画の貸出禁止要請。一部の市民から「間違った歴史認識を植え付ける」との声があがり、学校図書館室から撤去を求める陳情が市議会に提出し、同年12月、市議会では「不採択」とした。ところが、市の教育委員会が内容を改めて確認し、「旧日本軍がアジアの人々の首を切ったり、女性への性的な乱暴シーンが小中学生には過激」との判断から、同月の校長会で閉架措置(教師の許可がないと自由に閲覧できない)を決定、さらにできるだけ貸し出さないよう口頭で求めた。市内の49小中学校にうち39校が「はだしのゲン」全巻揃えており、それがすべて閉架措置になった。


他にも戦争を題材にした漫画はありますよね。我が家にもありますが、田河水泡さんの「のらくろ」、水木しげるさんの「昭和史」とか。それに、戦争を題材にしていなくても過激なシーンを含む漫画はたくさんあるのに、何故か「原爆」「核兵器」を扱っている「はだしのゲン」が槍玉に上がる。一体どうしてなんでしょうか。


*  *  *  *  *  *  * 
<編集後記>
うちの父の末の弟が中沢さんと同じ年齢で、東京で空襲に遭い、疎開生活も戦後の大混乱も大矛盾も経験しています。「まだ小さかったから、当時のことは兄貴ほどはっきり覚えていないよ」と言いつつも、非常に鮮明に覚えていて話を聞くたび驚かされます。戦争や戦時下の暮らしは小さな子供の記憶にも深く焼き付き、大人になっても他の事とはまるで記憶群が異なるかのようでした。
「はだしのゲン」の文庫版の販売数は、3月に通常の15倍超に急増したそうです。何か話題があるたびに中古本の価格が高騰しては下がり、また何かあると・・を繰り返しています。たまたまうちには単行本があったけれど、断捨離するときも売らずに取っておき、他の名作と併せて、数十年後にはどこかに寄付したいなと思っています。

 

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【補足】
中沢さんが当時住んでいた広島市中区舟入町。
原爆ドームや平和記念公園からこんなに近いところです。本当によくご無事だったと思います。

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