東京|報道写真展:【9月4日まで】関東大震災100年-写真に刻まれた記憶-(汐留)

汐留シオサイト地下歩道の特設スペースで写真展が開催されていました。この写真展は、新聞通信調査会が毎年開催している報道写真展シリーズ「定点観測者としての通信社」。2023年の今年は「関東大震災100年-写真に刻まれた記憶-」です。


1923(大正12)年9月1日11時58分、相模湾北西部を震源とする大地震が発生マグニチュード7.9と推定、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、山梨県で震度6を観測、死者・行方不明者10万5000人以上の被害を出しました。写真展では、各地の惨状や復旧に向けた動き、懸命に生きる当時の人々の姿と暮らし、そして100年後の街並みなどの報道写真が展示されています。

 


関東大震災というと被災した都内の風景が多く、また慰霊堂も都内にあるため、東京が震源と思っている方も多いのですが、相模トラフを震源とする海溝型地震です。揺れが最も大きかったのは相模湾に面する湘南エリアと、千葉県の房総半島の先の方です。

 

震災前の東京市(当時)は、急速に人口が増加していました。
丸の内にはビジネス街ができていたし、山手には都心へ通勤するサラリーマン向け一戸建て貸家、下町には工場周辺に労働者向け長屋や成金職工の戸建て借家、住宅街のそばには商店が増加し、密集していました。
都市・住宅関係の法令が相次いで制定され、都市計画は動き出してはいたものの、市街地の急激な発展のスピードには追い付かず、改善には至っていませんでした。

それだけに被害が大きかった。

画像が鮮明なのに驚きます。


そんなときに大地震が起きるだけでも恐ろしく、10万棟を超える家屋が倒潰。また、発生が昼食の時間だったことから、多くの火災が発生、当時は殆どが木造家屋なので、大規模な延焼火災に拡大しました。


被災した新橋や横浜駅、焼け野原になった銀座、焼け落ちた万世橋駅、建てられたバラック、配給を待つ人や犠牲者を悼む人、家族や知人に居場所を知らせる立て札や張り紙・・・。

東京市内の約6割の家屋が罹災。震災直後の避難地調査によれば、9月5日に避難民1万2千人を超え、集団避難地は160か所もあったそうです。


でも、さすが報道写真というべきか「こんなときにこんな商売が儲かっていた」という写真もありました(たとえば、自転車のタイヤ。瓦礫だらけのためパンク修理の需要が増えた、など)。


100年前のことだし事情も違うけれど、人が困ることや助かることってほとんど変わらないものだなと思います。一方で、100年経った今、こうして暮らしていることが不思議で、ありがたく思えてきます。 

東京はもちろん、かつて震災で大きな被害を受けた地域で小・中学校時代を過ごした人は記憶にあると思いますが(といっても昭和40~50年代?)、防災頭巾を各自で用意して、学校の自分の席の椅子に付けていたり、9月の第1~2週目には大地震を想定した避難訓練をしたり。消防署の人が来て、火災の怖さを話してくれたり、消火器で火を消すところを見せてくれたり。とにかく、災害の恐ろしさや自分の身や社会を守る大切さを伝える大人たちがたくさんいましたよね。伝えるだけではなく、ビルを建てるのにも関東大震災の怖ろしさを経験した設計者が工夫を凝らしたりもしてきたり(そのビルが老朽化を理由に壊されていくのは悲しいですが)。

 




そうした場が今ではぐっと少なくなって、思っている以上に記憶が薄れていく中、こうした写真展に行くことで防災意識が高まればよいのですが、悲しいかな、その後に起きた大地震があっても、なかなか備えることができていない・・・。

個人で備えられる物資はたかが知れているけれど、不安を煽るものや混乱に乗じたものに惑わされないように、このとき何が起きていたのかを知っておくことも大事だなと思っています。もちろん、その場になったら、惑わされてしまうとは思うけれど、何も知らないよりはいいと思います。

 

報道写真展「関東大震災100年-写真に刻まれた記憶-」
会期:2023年8月18日(金)~9月4日(月)
時間:9:00~21:00(初日10:00から/最終日:18:00まで)
会場:汐留シオサイト 地下歩道 特設スペース

※写真撮影自体はOKですが、一点ずつの接写は遠慮してくださいとのこと。



*  *  *  * 

<編集後記>
もうさすがに、このときの記憶を語れるひとはいないので、すごく貴重だと思います。私の曾祖父母や祖父母は東京で被災していますが、写真で見るとこんな時代を生きてきたんだなと、何とも言えない気持ちになります。
よく祖母が「あんなに揺れるもんかねぇ。目の前にあったはずの柱が視界から突然消えたり、また視界に入ってきたりを何度も繰り返して、そのうちバリバリとすごい音がしてきた」と言っていたそうです。

関東大震災で忘れてはいけないのは、戒厳令下で「暴動を起こす」などの流言飛語が飛び交い、数千人ともされる朝鮮人や中国人が殺害されたという歴史のこと。2018年の西日本豪雨のときも、「外国人窃盗団がいる」などの偽ニュースがネットを通じて広まりました。ヘイトは怖れや虚偽情報とともに広がることが多いし、今はSNSがあるから、拡散の速度も速い。困ったことに渦中にいるときは確かめようがありません。
備えは物資だけにとどまらず、便利になった分、いろいろ考えなくてはいけませんね。

 


コメント

202 さんの投稿…
はじめまして
ネットサーフィンでたどり着きました。

この展示会私も拝見いたしました。
非常に考えさせられました。

202さん、はじめまして。こんにちは!
コメント、ありがとうございます。
承認とお返事が遅くなってしまい申し訳ありません。

202さんもご覧になったのですね。衝撃的でしたよね。
とても備えきれるものではないし、
実際にこうした状況になったら人は何をするのだろう?
とも思いつつ、少しでも知って考えて心に留めて、
悲しくつらい思いをすることが減らせたらいいですよね。

また折を見て、こうしたことを記事にしたいと思います。
よろしければまた来訪してください。