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2023-08-21

東京|報道写真展:【9月4日まで】関東大震災100年-写真に刻まれた記憶-(汐留)

汐留シオサイト地下歩道の特設スペースで写真展が開催されていました。この写真展は、新聞通信調査会が毎年開催している報道写真展シリーズ「定点観測者としての通信社」。2023年の今年は「関東大震災100年-写真に刻まれた記憶-」です。


1923(大正12)年9月1日11時58分、相模湾北西部を震源とする大地震が発生マグニチュード7.9と推定、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、山梨県で震度6を観測、死者・行方不明者10万5000人以上の被害を出しました。写真展では、各地の惨状や復旧に向けた動き、懸命に生きる当時の人々の姿と暮らし、そして100年後の街並みなどの報道写真が展示されています。

2023-03-21

書籍・映画|原発を止めた裁判長、そして原発をとめる農家たち

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2011年3月11日午後2時46分、三陸沖130kmでM9の地震が起き、福島第一原子力発電所では震度6を記録。多くの人が避難を余儀なくされ、計画停電も実施されました。時間が経過するにつれ、当時の緊張や事故の深刻さは人々の意識の中から薄れ、街にも以前のような明るさが戻っていきました。原発とその周辺で何が起きていたのか、私達はよく知らないまま、また知ろうとしないまま、再稼働に向けて舵は切られていきました。


2014年5月21日、当時、福井地裁の裁判長だった樋口英明氏は、大飯原発3、4号機の運転差し止めを命じる判決を下し、翌年2015年4月14日には、高浜原発の運転差し止めの仮処分決定を出しました。日本で原発の運転差し止めの仮処分の決定が出されたのはこれが初めてで、非常に歴史的な判決でした。

2023-03-02

横浜|山手西洋館(3):外国人向けの共同住宅「山手234番館」

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1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災による建物の倒壊で、山手も瓦礫の山に。駐留していた外国人は神戸など他の都市への移住が相次いで、震災前に7650人いた外国人は翌年には2156人まで減少。そこで横浜市は復興事業として山手や根岸に市営住宅を建設しました。


この山手234番館は外国人向けの共同住宅として、現在の場所に建てられました。

2022-08-07

東京|松の湯(品川区西五反田)/宮造りの銭湯が多い理由

銭湯も建て替えが増える中、破風造りの銭湯に惹かれます。ずっと南関東に住んでるから当たり前に思っていたけど、実はこの造り、関東、特に東京・神奈川などに多く見られるのだとか。1923(大正12)年の関東大震災の復興の過程で、頑丈で豪華な宮造りにしたことが始まり、戦後の復興過程でも多く造られたという。元気づけたり安心できる場だったのでしょうね。

東急目黒線「不動前」駅から徒歩7分くらいの住宅街の中にある「松の湯」さん。創業は1961(昭和36)年。 震災からは随分経っているものの、この造りは相当人気だったことが伺えます。

2021-01-09

Book|魂でもいいからそばにいて~311後の霊体験を聞く(著者:奥野修司)

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東日本大震災の津波で亡くなった家族から携帯電話にメールが届いた、枕元に現れた、おもちゃが動いていた・・被災地の「不思議な体験」。亡くなった家族や友人に会った、霊を見たという話はテレビや新聞でも取り上げられていました。



これまで恐怖を煽るような切り口で語られ、特にテレビでは「見てはいけないのに見てしまった」霊の存在に焦点が当てられてきましたが、この本では癒しとしての霊体験が書かれています。

2005-12-29

台湾|921大地震の震源地:九份二山(南投縣・集集鎮)

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1999年9月21日01時47分(現地時間)、マグニチュード7.6。
震源地は台湾中部の南投縣集集(ジージー)鎮の九份二山。爆心地とも呼ばれているこの場所は、現在では「九份二山震災紀念公園」として開放されています。

日本で起こる地震は震源は海底であることが多く、陸地が震源地だったらその付近がどのような状態になるのか想像もつかないけれど、この光景を見たとき、本当にショックだった。わずかに足が震えていました。