東京|JR神田駅周辺・街歩き(2):高架下とか商店街の風景

神田と聞くと、東京駅や日本橋、秋葉原の間に挟まれているためすごい都会をイメージする人もいますが、小中規模ビルが立ち並びこのエリアだけ下町的、庶民的な雰囲気が残っています。何でここだけ?な感じです。大手町方面から来て日本橋川を渡るとタイムスリップをしたかのように街並みが変わります。JR神田駅付近は、東京に馴染みのない遠くから来た人がイメージする神田は、ちょっと遠いエリアのことだったりします。

実は、煉瓦造りに見えるのは中央線の西側部分のみだったりする


たとえば「神田明神」は御茶ノ水の方が近く、戦前からの有名老舗飲食店が多いのは小川町の方が近い、「古本屋街」や「レトロ喫茶が多いエリア」は神田神保町で歩くにはちょっと遠い。じゃあ、JR神田駅周辺はどんな感じかというと、中小規模のオフィス、居酒屋、カラオケボックス、消費金融(以前は格安チケットのお店も多かった)とか、そんな雰囲気です。

 

北口周辺。

住民の反対が強く鉄道用地の買収がなかなか進まなかったため、高架ができたという。

 

駅前なのにロータリーもなく、どこからバスやタクシーに乗れるのかも不明。おしゃれな駅ビルもありません。山手線や中央線も乗り入れている駅前とは思えない光景ですよね。出口によりますが、いきなりこうした高架下と古い煉瓦、パチンコ屋や居酒屋、これが東京なの?あの東京駅の隣なの?皇居に近いの?という印象だと思います。でも、慣れるとそうそう、このあたりってこういう感じだよね、神田駅周辺にいるなあと感じます。


 

江戸初期の町割(区画整理)で作られた「職人の町」として完成していたため、町の骨格は、鉄道を敷設する話があっても、関東大震災があっても空襲があっても大きく変わることなく明治、大正、昭和、平成、令和と受け継がれています。それだけできあがっていることもあって、再開発の手が伸びて来ようとも、簡単に変えられる町ではなさそうです。当時の町割が残っているって東京では珍しいと思います。

 

 

JR神田駅は1919(大正8)年に鉄道院中央本線(現在の中央快速線)が、今はなき万世橋駅から延伸され、東京駅へ乗り入れる際に途中駅として開業しました。当時の国内有数の繁華街・商業地であった神田須田町と日本橋の間にあることから『神田は事実上、東京の中心地』とも言われていたほどです。

1925(大正14)年には東北本線の東京~秋葉原間が開業して山手線の電車運転が開始されています。1931(昭和6)年に、東京地下鉄道(現在の東京メトロ銀座線)の駅も開業しました。

旧神田区自体は軌道(馬車鉄道・路面電車)の開通も早く、鉄道駅としては1890(明治23)年に「秋葉原貨物取扱所」もできるなど交通の要衝であったものの、旅客駅としての開業はそれほど早くもありません。さらに神田駅周辺については用地買収は大変だったそうです。


また、戦前までは北口が近い須田町あたりが繁華街として栄えていたのですが、現在はそうでもなく、むしろ東口や西口の方が飲食店も多く、ごった返している印象です。

 

 

 やけに古~い店舗も残っています。ほんと、カオスです。



西口商店街より少し大手町に近い方の通りである「出世不動通り」の方が昔ながら・・という感じが残っている気がしました。中小規模のビルが立ち並んでいるのと、おそらく定住者はどんどん減っていると思うのですが、チェーン店に押されてない感じがします。


昔ながらの製法で今でも作っているお豆腐屋さん。揚げ出汁豆腐など持ち帰れそうなものも売られています。その日に作ったものしか売らないのがモットーなうえ、早く売れてしまってお店自体が早く閉まっていることもあるようです。でも、朝は豆乳が売られています。


 

本当に本当においしい豆腐を液状にして飲んでる感じ。これまで飲んでた豆乳とは全然違います。どうしてもスーパーで並べたり、チェーン店で豆乳ラテを出そうと思うと仕方ないのかもしれませんが、これからはお豆腐屋さんで飲みたい!
でも、もうこういうお豆腐屋さんがどこでも少なくなっていますよね。まさか神田で飲めるとは思っていませんでした。

 

そしてこんな酒屋さんも。私はお酒をほとんど飲まないので立ち寄りませんでしたが、楽しそうですよね。



また夏の終わり頃のある日、「大人の縁日」と称してこの出世不動通りを封鎖(?)して、町をあげての「外・飲み会」をしていました。もちろん、誰でも気軽に楽しめます。三味線の生演奏も聞けて、下町だなーという感じです。


神田というと、神田祭が有名ですが、こんな楽しみもあるんですね。
 


話変わって、2023年10月2日(月)より、JR神田駅のホーム駅名標や、駅舎駅名標などが「JR神田駅(アース製薬本社前)」という名称になりました。山手線(内回り・外回り)ホームの発車メロディが、『モンダミン』のCMソングになっていました。


変わるといっても、そんな大きく変わらない気もするけど、こればかりはわかりません。神保町の方は随分変わってきているので、JR神田駅周辺もどうなるやらです。

ちなみにこちらが鎌倉河岸跡と鎌倉橋。この橋の向こう(大手町)とこっち(内神田)の雰囲気の違いもお楽しみいただければと思います。

左側が内神田方面、右側が大手町方面。

最初に架けられたのは江戸時代。
大正時代に架け直されていますが、それでももう100年くらい?



また、神田駅の煉瓦同様、鎌倉橋にも空襲時の機銃掃射の痕が残っています。ところどころ削れたままになっているところもありますが、30カ所くらいのほとんどはセメントか何かで塞がれています。


太平洋戦争から随分経っているし、空襲で焦土になったとは想像もつかないような街並みです。下町へ行くとあちこちで石碑や仏像を見かけることがありますが、もうどこを探してもなかなか実際に空襲で付けられた「傷痕」を見つけることは出来ません。そういう意味ではちょっと貴重な場所だと思います。

 

 

 

有名なのは「言問橋」ですね。焼け跡や取れない黒ずみは東京大空襲の際”燃やされてしまった”人体の脂が焦げた跡だと言われています。鎌倉橋ではそこまで生々しいものは見当たりませんが、多くの人が亡くなった場所であることには違いありません。
心より合掌。

ただ、この記事を書いている間にも、世界では戦争が起きていることを思うと何とも言い難く、一秒でも早い停戦を切に願います。

 

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神田の雰囲気と大手町の雰囲気の違い。大手町のオフィス街です。歩いて10~15分程度なのに、違い過ぎるだろ!!!!


 

↓ちなみに神田といっても広いんですよー。



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