東京|1948年創業、豆の入手困難な時代を経て:斎藤コーヒー店(神田)

またまたJR神田駅周辺の記事です。この辺りはおいしくて珍しいコーヒーを頂ける昔ながらの喫茶店が多いのですが、お豆まで買えるお店も多いです。そのうちのひとつ、1948年創業の斎藤コーヒー店さん。西口から徒歩3~4分くらいのところです。

 

少し離れたところに焙煎のみをしているお店があるのですが、喫茶店は現在2店舗。1961(昭和36)にオープンした「日本橋室町店」は伝統的なスタイルの喫茶店。今回お邪魔したのは、「内神田店」。1983(昭和58)年に開店したセルフサービススタイルのお店です。


 

 

最初に喫茶店を出したのは、1948(昭和23)年6月創業者・斎藤軍平氏が神田小川町3丁目2番地に出店した「コーヒールーム」。終戦からまだ3年も経っておらず、輸入も途絶えていました。


 

1945(昭和20)年の終戦直後から1952年までのおよそ7年間、日本は連合軍の占領下にありました。1949(昭和24)年になると民間輸出が、翌年の1950(昭和25)年に入ってやっと民間輸入が再開されるようになりました。

 


 

そんな時代だったので、開業準備から開店後しばらくまで、さまざまなご苦労が続いたことが伺えます。
斉藤コーヒー店さんのHPによれば、必要な焙煎機やコーヒーミルを始め、珈琲生豆の入手に大変苦労し、重たい珈琲生豆や器具を地方で調達し、満員列車で東京へ持ち帰った事もあったとか。


 

コーヒーは戦時中、贅沢品指定を受け、コーヒー豆の輸入も停止されました。

終戦後は戦中よりもひどい食糧難や物資の不足、町にはまだまだ焼け跡が残っているような状態です。日用品の入手もままらない中、1948(昭和23)年に、まずは群馬で旧日本軍のコーヒーの払い下げがあり、その後連合軍のコーヒー払い下げが行われたそうです。

創業したのはそんな荒廃した時代ではありましたが、戦時中、代用コーヒーを飲んでいた人々にとって本物の美味しいコーヒーが飲める店として広まり、人気店になっていったそうです。


代用コーヒーとは、コーヒー豆を使わず、たんぽぽ、玄米、とうもろこし、大豆などを使って、コーヒーに似た風味を出したもの。現在はオーガニックやビーガンのお店で玄米やたんぽぽをつかったコーヒーを提供していますよね。あれも好みが分かれると思いますが、戦時中に飲めた代用コーヒーは、あんなに飲みやすい物であったかは疑問です。それに一般庶民が気軽に口にできる物ではありませんでした。


 残念ながら、最初にオープンした小川町の「コーヒーハウス」は、1978(昭和53)年に入居ビルの火災があり、閉店されたそうです。
そのため、喫茶店は2店舗のみです。

 

内神田店はこんな感じ。お店の内装はリニューアルしているため、レトロ喫茶という感じはしないけど、歴史的な物があちこちに。

他の喫茶店のようなモーニングセットはありませんが、好きなトーストを選んで、ちょっとお安く飲み物を付けてくれるような感じでした。トーストもジャムを選べるようになっていました。

この日は、シナモントーストにしました。



少し離れたところに、焙煎所兼店舗がありました。こちらが多分、「本店」。
喫茶スペースはありません。


斎藤コーヒー店
http://www.saitocoffee.co.jp/instanthp/page01.html


コーヒーにこだわりがある方は是非!

 

 


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