PEOPLE|台湾原住民の思いとコトバ(1):清流部落編

台湾原住民が住むエリアの1つ。仁愛郷互助村の清流部落、日本統治時代には「川中島」と呼ばれていました。

1930(昭和5)年に起きた霧社事件(日本統治時代最大の原住民による抗日闘争)で、日本に対し蜂起したタイヤル族の6部落の生き残りが強制移住させられた場所です。

当時、険しい道々を数十キロも歩いて移住させられ、最後に住み慣れた地を離れるグループは、家を焼き払ってきたといいます。そして慣れない土地での生活と、監視、そうした歴史を持つ部族が今もここで暮らしています。
もともとここに移住させられたのは抗日派だったそうですが、現在このあたりに住んでいるのは、親日派が多いとのことです。

台湾・清流部落のお土産店の機織り機タイヤル族は「男は男らしく、女は女らしく」と教育される部族のようで、昔の日本と似ているかも。
当時、男女共に紋面(顔への入墨)の習慣があり、男性は戦いと狩りの能力、女性は織布と家事能力の獲得が「成人した」と認められた証だったとか。日本統治時代に紋面は禁止されましたが、織布が女性達の大事な仕事であることは今でも変わらないようです。

清流部落の入り口付近にはお土産ショップもあり、タイヤル族の女性達が織った布で作ったものが売られていました。
布バッグとか、すごく丈夫なの!自宅で洗えるし、そうそう簡単には色褪せませんでした。

 

こちらはタイヤル族の民族衣装、鮮やかな赤が基本カラー。
普段の生活では民族衣装を上から下までフルで身につけている人はお見かけしないけれど、冠婚葬祭や新年などイベントのときはみんなが着るので、その光景はすごく鮮やかなんだそう。

台湾原住民・タイヤル族の衣装



いつもこうして原住民の土地を車で案内してくれるのは、原住民のPさん。
細い山道だったり、一見整備されてても側溝が塞がれていない道を爆走です。清流に限ったことではなく、こうした山奥に行ってくるというと周囲から言われること。

「あの辺り、よく車が(崖から)落ちてるらしいよね」

エェ!?

Pさんいわく、「ダ~イジョウブ~。ここは原住民の土地~。よく知ってる道~」と屈託なく笑いながら、爆走。ちょっと待って。車、この道からも落ちてるんですよね?!と聞いても

「ダ~イジョウブ~!
 原住民の車、落ちな~い。落ちるのは、いつも漢人」



そんなやりとりをしながら、旅は続く。時々悲鳴を上げ、些細なことに驚きながらも、原住民さんたちの桁外れの身体能力の高さ、山に対する思いなどさまざまなものが少しずつ見えてきます。
自然の力で癒されるということは、恐怖と背中合わせでもありました。女性誌に載ってるようなお手軽な「癒し」とは程遠く、刺激に満ちているけれど、原住民の方々の思いを聞かせてもらう滅多にない機会となったのは言うまでもありませんが。


オビンの伝言: タイヤルの森をゆるがせた台湾露杜事件 (教科書に書かれなかった戦争―歴史を生きぬいた女たち)

写真記録 台湾植民地統治史―山地原住民と霧社事件・高砂義勇隊



 

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【表記について】
当サイトの台湾に関する記事においては「原住民」という表記を使用しています。日本では差別的な意味が含まれる語とされていますが、漢語で「先住民」は既に滅んだ民族を意味するそうで、台湾では「原住民」という表記が公式にも使われています。日本語も漢語も理解できる原住民の方々にお聞きしたところ、「私たちは”原住民”である。そう呼んでほしい。」とのことでした。当サイトは日本語で書いていますが、彼らのことを書くときは彼らの意思を尊重して、「原住民」という表記を使用しています。

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