以前(2008年頃)南投縣・仁愛郷の町役場にお邪魔したことがあります。このあたりは、台湾原住民による最大で最後の抗日蜂起事件となった「霧社事件」があったところ。
この事件を題材にしたのが、2013年公開された映画「セデック・バレ」を観ました。残酷なシーンも多いので、つらくなりそうな方はここでページを閉じてください。
以前(2008年頃)南投縣・仁愛郷の町役場にお邪魔したことがあります。このあたりは、台湾原住民による最大で最後の抗日蜂起事件となった「霧社事件」があったところ。
この事件を題材にしたのが、2013年公開された映画「セデック・バレ」を観ました。残酷なシーンも多いので、つらくなりそうな方はここでページを閉じてください。
台湾鉄道「台中」駅!鉄道工事は、日本統治時代の1905(明治38年)に始まり、開業当時の駅舎は木造だったそうですが、1917(大正6)年に現在のこの駅が完成したそうです。
東京駅っぽいと思ったら、東京駅丸の内駅舎や日本銀行本店などを設計した建築家・辰野金吾によるデザインの流れを汲んでいるとか(設計は、台湾総督府鉄道局に勤務していた建築家・松崎萬長氏)。
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台湾原住民が住むエリアの1つ。仁愛郷互助村の清流部落、日本統治時代には「川中島」と呼ばれていました。
1930(昭和5)年に起きた霧社事件(日本統治時代最大の原住民による抗日闘争)で、日本に対し蜂起したタイヤル族の6部落の生き残りが強制移住させられた場所です。
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高雄に現存する日本統治時代の建築「旧・高雄駅」。1940(昭和15)年に竣工、台湾西部に造られた日本統治時代最後の駅舎。ただ、この帝冠様式の建築は、ナショナリズムの台頭した時代に誕生したからか「ファシズムの象徴な建物」というレッテルを張られがちです。当時の台湾ではどうだったのだろう?
現在は、壁沿いに椅子があるだけで、簡易的な待合室みたいに利用されていました。
台湾も温泉王国。南部にある「四重渓温泉(スーツォンシーウェンチェン)」に行ってきました。台湾北部(陽明山温泉、北投温泉)と南部(泥温泉の関子嶺温泉)と並んで四大名湯のひとつに挙げられ、その水質は台湾で一番いいという評価。
「川を四回渡らなければならないため四重渓と名付けられた」という地に湧いたこの温泉、台湾で一番汚染の少ない川のそばに湧き、「霊泉」と言われています。ぬるっとした感じはあるけど、柔らかくて滑らかな水質です。
台灣鐵路・集集(ジージー)線の「集集車站」こと「集集」駅。
台湾のローカル線の旅には外すことのできない集集線は、彰化縣「二水」駅と南投縣「車埕」駅の間の7つの駅、わずか29.7kmの区間を走る非電化の単線。しかも行き止り線。
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ここが駅のホーム。 |
集集線で、唯一残ってる日本統治時代の面影を残す駅舎「集集」駅は、1933(昭和8)年竣工のヒノキ造り。
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日本の関東圏だと箱根登山鉄道が有名ですが、世界三大登山鉄道のひとつと言われている「阿里山森林鐵路」、やはりパワーが違います!
始発「嘉義」駅~終着駅「沼平」駅(旧・阿里山駅)まで全長72.7kmを、約3時間30分かけて登りますが、その標高差は2274m、30m進むごとに高さ1m上昇するくらいの山道。
阿里山森林鐵路は、15の駅、49のトンネル、72の橋と3つの気候帯(熱帯0~800m、亜熱帯800~1800m、温帯1800m以上)を通っています。
この橋が造られたのは日本が台湾を統治していた1940(昭和15)年。
当時、セメントは希少で高価だったため、糯米に黒砂糖や石灰などを混ぜて代用して造られたそうです。長さ:約53m、幅:約5m、高さ:約20m。橋の名前は「糯米橋(もちごめばし)」。
場所は、南投縣國姓鄉北港村という山奥。当時このあたりには20の村があったことから「二十粒」と呼ばれ、この橋は主にサトウキビを砂糖工場へ運ぶためによく使われていたそうです。
台湾には日本語を流暢に話す人や日本人に親切な人が多いことはよく知られているけど、みなさんが日本や日本人に対してはどんな記憶や思いを持っているのか、直接聞いたことはありませんでした。
滞在中、日本統治時代を知る世代の方々とお話する機会に何度か恵まれました。強い反日感情を持つ人も当然おられだろうし、抗日事件だってあったわけだし・・と、少し緊張しましたが、まるで親戚の子にでも会ったかのような温かいもてなし。
・・・負の記憶ではないのかな?
阿里山に、日本統治時代に建てた「樹霊塔(シューリンタ―)」がありました。今でも林業の現場では行われているのかもしれませんが、当時も木々の命や魂を敬っていたことが伺えます。木材は私達の生活に欠かせませんが、日本も台湾も森林に守られた国であることになかなか意識が及びません。
山で暮らす台湾原住民の方達は、「国民党時代の教育を受けた漢人にはこうした発想はまったく見られない!!」と嘆いていました。こうした嘆きについては別途記事にするとして・・・・