石川県といえば、360年の歴史を誇る「九谷焼」。さすが前田のお殿様、日本中に藩士を赴かせたり、名工を集めては「金に糸目はつけないから、とにかくいいものを作って欲しい」と命じていたとか。九谷焼はその中のひとつだそうです。
展示されていたのは、古九谷様式。また、運よく、名工から素晴らしいお話を伺うことができました。
九谷焼は、石川県南部の金沢市、小松市、加賀市、能美市で生産される色絵の磁器。現在では様々な様式がある。世代も「古九谷」「復興九谷」「新九谷」に大別されます。
ちなみに、「古九谷」様式は、
- 祥瑞手(しょんずいで)
赤の輪郭線を用い、赤、黄、緑などの明るい色調で文様 - 五彩手
黒の輪郭線を用い、赤、青、黄、緑、紫などの濃色で文様を描いたもの - 青手
白磁の質がやや低いものを使うとき、素地の欠点を隠すように、青、黄、緑、紫などの濃彩で余白を作らず、塗りつぶすように描いたもの
に分類されているそう。
また、斬新な絵柄も特徴で、他の色絵の磁器ではお目に罹れない個性的なものや親しみやすい絵柄のものも多いので、陶磁器のことがわからなくても、見ているだけでも十分楽しめます。
青で柿が描かれています。考えてみたら、柿だからといって、何もオレンジや緑で描かなくてはいけないわけではないんですよね。そういういろんな既成概念を軽快かつ斬新にぶち破ってる感じが面白いですよね。どんな職人さんが考えたのだろう?
九谷焼は、大聖寺藩領の江沼郡九谷村(現:石川県加賀市)で良質の陶石が発見されたことが始まり。加賀藩は、藩の殖産政策として窯を開くため、まず、藩士・後藤才治郎を有田へ技能の習得に赴かせ、1655(明暦元)年に開窯します。ところが、今でも理由は不明なままですが、開窯からわずか100年たらずで廃窯してしまいます。この間に焼かれたものが「古九谷」です。
江戸後期、瀬戸で磁器産業が栄えると、加賀でも春日山焼や若杉焼が作られるようになりました。次第に古九谷再興の動きが出始め、1824(文政7)年、再び九谷焼が焼かれるように。
1873(明治6)年に行われたウィーン万博をきかっけに、九谷焼は海外で広く知られ、大量の九谷焼が海外へ輸出されるようになり、今でも「ジャパン・クタニ」として知られています。また、日本の色絵陶磁の代表的なもののひとつとして、宮内庁で贈答品として使用されています。
スペードとハートが描かれていますが、あの時代の日本にトランプはあったのか? と思ったら、お殿様は,宣教師を城に迎え入れ、トランプのゲーム等を教わっていたとか。
リスが元気に動き回る絵柄も!あんまり見かけない絵柄です。
中の方が鮮やかに描かれています。本当にきれいな緑色でした。「着物の裏地に凝る」のと似ていますよね。すごく粋だとも思いませんか?
今回お邪魔したのは、兼六園の茶屋通り(江戸町通り)にある東山(とうざん)窯。
作家・東山二代の吉崎英治さんから直接、九谷焼のことをはじめ様々なお話を伺うことができました(実は、名工の中でもすごい人だったんですね。
経歴を後で知ってびっくり)。
東山窯
http://www.yoshizakitouzan.com/html/guide.html
どのご家庭にも、割ったらもったいないからとか、
特別なときに・・とか言って、
使わずに箱に入れっぱなしの器とか、あるでしょ?
あ~、あります、あります。
その特別なときってどんなときなのか?すら不明確だし、特別だーと感じる機会ってほんとにいつまで経ってもやってこない。”何かのときに”とか、”いつか使うから”とか、”だって高いものだし、もったいないから”とか、”頂いたものだから”とか。
物欲はあるし、いいものが欲しいくせに、そのいい物をどうしているかというと、捨てることも、譲ることも、活かすこともできずに、ただただ仕舞い込んで「死蔵」させている私達。
使わなきゃ(笑)。
もっと目で見て、触って、どんどん楽しんで!
そう、物は使うためにあり、作る人は使ってもらいたくて作ってるはず。これがあって便利、気持ちが潤う、長く付き合っていきたいと思ってもらいたいはず。物だって、出番が欲しいはず。
うっかり割ってしまったとしても、蒼ざめたり、発狂するような高価なものではないのだけど、ただただもったいぶってるやつ。器だけじゃなくて、持ってるだけで満足しているようなものとか、いつか、いつか・・と思いながら、ずっと使っていない物たち。
ありますよね。
あとね、高いからいいものだとか決めつけず、
自分の手で触って、
「これがいい」と思う物を選ぶのが、結局は一番いい。
そういう感覚を大切にするんだよ。
特に日本人は、高いものをいいものだと思う傾向がありました。
日本がまだ貧しく、恥をかかないように、互いに「ちゃんと生活していますよ」と表現し、安心を得るためによいものを持っていた時代もありました。それが「みんなが持っているから」になって感性や思考を鈍らせていきました。
そして現代では、人と比較して劣等感を感じないためのものであったり、「すごい」って言われて承認欲求を満たすためだったり、それにすら気づいていない傾向が強いように思います。
誰かが安いものを持っているのを目ざとく見つけて(逆・目利きみたいな感じ)、バカにする人とかもいます。じゃあ、そういう人がいいものを持つ目を持っているのか、そもそも自分なりの判断基準を持てるほど、色んなものを見てきているかというと、むしろ逆だったりします。
流行に振り回され、周囲に流されていたり、自分もバカにされないようにとキリキリしていたりして。
しっかり「自分」を持っていないと、うっかり汚染されそうになるので、時々こういうところにきて、気持ちを洗い流さないと(笑)。
でも、「これがいい」っていうのは頭や理屈じゃなくて、感性や体感ですよね。それが身に付いて、実際に使えるレベルになるってそうそう簡単なことではありません。
そして、いいお話。
人間って勝手なもので、
花が咲けばきれいだきれいだと言って注目し、
実が成れば、群がって我先に採ろうとする。
花と実しか注目しない。
だけど、草木は注目されようがされまいが、
ちゃーんとやることをやっている。
花も実もない時期が一番大切なんだよ。
それがあるから美しく咲ける。おいしい実をつけられる。
人間も同じだよ。
このときの私、落ち込んでるとか、鬱屈していたわけではないんだけど、元気とも言い難い気分でした。表面上は取り繕っていたつもりが、見事に見抜かれていたようです。でも、さりげなく、私が見抜かれたことに対してもバツの悪い思いをしないように、上手に励ましてくださったのだと思います。
焼き物を向き合い続けた名工でもあるし、人生の大先輩、若造の取り繕いなんぞ、お見通しです。
見送ってくださった名工。
ありがとう、ありがとう。ホントにいい思い出です。
教えださったことをどれだけ理解して、自分の生活や人生に落とし込めるかわからないけれど。
こうして、ひとりひとりをちゃんと見て、その人の肺腑を突けるんだから、すごいなあ、叡智のかたまり。こういう気遣いも、懐の深さも、現代社会に失われたもののような気がします。いい歳の取り方ができる生き方をしたいと思いました。本当に心は熱く、言葉の優しい方でした。
* * * * * *
<編集後記>
実は、ここに来られたのは、予定外で予想外でした。
3月11日(土)に東北地方で大きな地震がありましたが、金沢では震度2、歩いていたら気づかない程度でした。気が付けば、飛行機は欠航、トラックなどの物流も止まっていた状態。東京に帰るに帰れず、ゆっくり眠ることもできず、2泊延泊することに。
もともと「せっかく金沢に行くんだったら、兼六園と東山窯には行きたいなあ」と思いつつ、今回は時間がないとあきらめていたのだけど、まさかこんな理由で時間ができるとは。名工もいつも店にいるとは限らないだろうし、いいタイミングでした。
ただ、理由が災害による欠航とかじゃなくて、違う理由だったらよかった。それについては、今でも胸が痛みます・・・・・。
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