湘南|昭和の団地がある風景:浜見平団地(1)【解体】

最近、町並みが急激に変わり始めていることを実感しています。新しいものに嬉しくなる一方、見慣れたものがなくなる寂しさもあり。「もっと見ておけばよかった」「撮っておけばよかった」と思うかもしれないものを地味に記録しています。


昭和30年代から続々と建てられた団地もすっかり老朽化。ライフスタイルもご近所づきあいも随分変わりました。今回は「団地」に焦点を当てました。


エレベーターがない古い団地は高齢化社会にはつらいし、地震も心配。現在、様々な団地で少しずつ建て替えが行われています。

写真は神奈川県茅ヶ崎市の浜見平団地。
1964(昭和39)年に建てられたので、今年で築54年。かつては3407戸もあり、街区も17に分けられていたそうです。間取りも1DK~3DK。
2016年時点ではまだまだ残ってますが、4分の1くらいは既に建て替えが済み、「コンフォール茅ヶ崎浜見平」という名称になっています。

道路の右側は既に立替が済んだエリア。かつては左側と同じような団地だった。


団地ができるきっかけとなったのは戦後のひどい住宅不足でした。
住宅金融公庫法(昭和26年)、公営住宅法(昭和27年)、日本住宅公団法(昭和30年)が次々と施行され、日本の住宅事情も変化し、この頃から暮らしも大きく変わっていったといいます。



コンクリート造りで5階建、食寝分離、水洗トイレやお風呂が各戸室内にあり、ちゃぶ台ではなくテーブルと椅子、ステンレスの流し台、シリンダーのついた金属製のドア。気密性もプライバシーもある、かなりモダンに見えたと思います。その頃、団地暮らしは憧れの対象だったといいます。

高度経済成長が加速するにつれ、物価も上昇。民間家賃も上昇していき、公団の方が安いということから、人気が殺到。今は空いてる部屋に申し込めばよいのですが、1980年代後半頃までは、抽選だったようです。倍率もそれなりに高く、何度か申し込んでやっと当たる状態で、3年越し、5年越しという人もざらだったとか。


(出典)年次統計:https://nenji-toukei.com/n/kiji/10047


一方で、高所からの飛び降り自殺(の噂)、中高年の孤独死、そして「鍵っ子」と呼ばれる子供達も増えたと言われています。また、融資や供給などが整備されていき、住宅取得がしやすくなってくると「憧れ」から一転、団地は低所得者の住宅とか、子供同士でも「団地っ子」とバカにされたりするような扱いを受けるといった風潮になってきます。


その後、バブルの時代にも民間家賃は高騰しますが、公団の家賃は大きく上がることはなかったといいます。国民の暮らしも豊かになっていたため、新たな問題が発生したそうです。「駐車場不足」です。


たった15年か20年くらいでこれほど暮らしぶりや評価が変わるんだから、いちいち評価に振り回されず、自分が納得できればいいという風潮ができるのも自然なことかなあと思えてきます。

低所得とバカにされた団地暮らしの人達が、数十年に渡る住宅ローンに縛られず、バブル崩壊もリーマンショックもどこ吹く風、猫の額のような土地と家屋の相続で揉めることもなく、人生を楽しんでいたり、長年の見栄を張らないご近所づきあいで助け合いをしていたり。

一体どっちが幸せなのやら、ですよね。


公団は、民間の賃貸のような礼金や更新料がなく、連帯保証人も不要です(緊急連絡先は必要)。駅から離れている所にあることが多いけれど、家賃も安く、緑が多く、和室や大きな押入れなどの「昭和のレトロ感」も若い世代には新鮮なのだそうですよ。
ただ、日本がデフレ続きで、それだけ貧しくなったとか、格差が広がって来たという事情もあるかと思います。
家賃は固定費だし、支出に占める割合は大きいですものね。




残念ながら、浜見平団地は建て替えられてしまい、この光景も、もう間もなく見られなくなります。それと、新しく建て替えられたものはきれいだけど、家賃は高い・・・。
そもそも公団の目的って何だっけ?というくらい、高い(^^;)


次の記事では、3DKのお部屋、内見です!


公団ウォーカー:浜見平団地
https://codan.boy.jp/danchi/kanagawa/hamamidaira/index.html

UR:コンフォール茅ヶ崎浜見平
https://www.ur-net.go.jp/aboutus/publication/web-urpress62/special2.html


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