ハトヤホテル内にはいくつかお店があるのですが、私が行ったとき唯一営業していた「Bar花」さん。昭和&平成前期には、こういうシブいバーはたくさんありました。何だか大人の世界という感じで、若い人同士で入れる雰囲気ではありませんでしたが。
だから、さほど思い出はないとはいえ、まさかこの令和の時代にお目にかかれるとは。天然木のカウンターやガラス扉の棚、高そうな洋酒の瓶、磨き上げられてキラキラ輝くグラス。どれも重厚感があって、カッコいいですよね。
ハトヤホテル内にはいくつかお店があるのですが、私が行ったとき唯一営業していた「Bar花」さん。昭和&平成前期には、こういうシブいバーはたくさんありました。何だか大人の世界という感じで、若い人同士で入れる雰囲気ではありませんでしたが。
だから、さほど思い出はないとはいえ、まさかこの令和の時代にお目にかかれるとは。天然木のカウンターやガラス扉の棚、高そうな洋酒の瓶、磨き上げられてキラキラ輝くグラス。どれも重厚感があって、カッコいいですよね。
前回に引き続き、ハトヤ宿泊記。タワー館の山側の和室10帖のお部屋です。床の間やサンルームがあるから、余計に広々した感じ。家族旅行や修学旅行、社員旅行や会合などの団体さんの利用が多かった時代の作りだなあという感じ。
前回からの続きで、ハトヤのロビーの画像です。ハトヤの名物のひとつ(?)!の渡り廊下は、本館と新館を繋ぐもので1968(昭和43)年に完成したそうです。
アーモンド形の窓枠を見て思ったのですが、1960年代の女性用の腕時計にアーモンド形のデザインのものが多数ありました。当時の流行だったのでしょうか。
関東圏ではお馴染み「伊東に行くならハ・ト・ヤ、 電話はヨイフロ(4126)」のハトヤに宿泊してきました。本館は、1957(昭和32)年、別館は1967(昭和42)年竣工。
本館はもうすぐ築70年。古いホテルに泊まるといつも思うのですが、敷地の使い方も、建物内も、かなりゆとりを持たせた空間の使い方です。徐々に慣れてしまったので気づかないけど、こうして古いホテルに訪れると時代が随分変わったのを実感します。
千里阪急ホテルに宿泊するにあたって、北大阪急行「千里中央」駅前も少しだけ散策。まずは、かわいいショッピングモール「せんちゅうパル」。160の店舗からなっていて、かつてはとても賑わっていたそう。
向こうにタワーマンションが見えるけれど、ここもいつか開発で取り壊されるのだろうか・・と思ったら、せんちゅうパルについては具体的な計画はないそうです。ただ、千里阪急ホテルも解体されるので、ここもどうなるか・・
ホテルの外観も低層で昭和っぽいけど、プールも昭和。ホテルのプールって昔は「贅沢」の象徴だったような気がします。このプールも1970(昭和45)年の開業時に作られ、1997(平成9)年にリニューアル。
千里阪急ホテルには宴会場もあり、ここで結婚式を挙げた方も多いと思います。「この場所で結婚式を挙げたい」という声を受けて作ったそうですが、これは素敵!
これが閉館しちゃうの?解体しちゃうの?すごく惜しいです。
多くの人の手仕事で丁寧に仕上げられた空間ならではの温かみっていいですよね。
前回に引き続き、千里阪急ホテルの記事です。今度はお部屋の中。シングルで予約をしたのですが、西館のツインにアップグレードしてくださいました(たぶん、スーペリアツイン)。シングルは東館にしかなく、西館はツインのみ。
なので、チェックインのときに西館ですって言われたときには思わずニンマリ。東館の方が古いので、そちらはそちらで楽しめたと思いますが、どちらでもいい思い出になりそうな気がしました(実際、いい思い出になりました)。
まずは、1階のフロント&ロビー。南欧風とか邸宅風と表現される内装と調度品も素敵で、入った瞬間にもう「来てよかったなあ」と思いました。ただ、建築が専門ではないので、素敵だとは思いつつも、その価値や技術、設計者が意図するところなどをちゃんと理解できないことがちょっと悔しい。
「あんなところにどうして八芒星のレリーフタイルを付けたんだろう?」とかも、わかったらきっと面白いんだろうなと思います。
ホテルの東館2階にあるメインラウンジ「さくらラウンジ」へ。やっぱり内装もレトロ。
アフタヌーンティーを狙いつつ、土日はもちろん平日でも混んでいると聞いて夕方近くなって行ったら、既に売切れでケーキももう2種類しかないほどの人気店です。
今回の大阪旅行(?)では、1970(昭和45)年の「日本万国博覧会(大阪万博)」に合わせて開業した「千里阪急ホテル」に宿泊しました。倉敷アイビースクエアや倉敷市庁舎を設計した建築家・浦辺鎮太郎氏の設計であることや、万博開幕中には外国の要人も宿泊した老舗のホテルとしても知られていますが、素敵な内装がSNSなどにあげられてご存知の方も多いのではないかと思います。
すごーく残念なことに、このホテルも老朽化や再開発のために、2026 年 3 月 30 日(月)の宿泊利用をもって営業を終了、閉館後は取り壊されてしまうそうです。
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今回大阪に行くにあたり、東海道新幹線のお世話になりました。「のぞみ」に乗れば、品川から新大阪までの500km以上の距離が、約2時間20分。
開業したのは1964(昭和39)年10月1日ですが、計画された段階から今日まで、東海道新幹線が歩んできた60年以上の月日は、近代日本の発展の歴史のひとつだと思っています。久しぶりに乗ったので、改めてその歴史やルートなどを書き留めておきたいと思います。こういうのってきっかけがないと、調べたり、思いを馳せたりしないですよね。
とても 久しぶりに大阪に来ています。東京や横浜も再開発ラッシュで色々な名店の閉店や、名建築の解体がすごい勢いで進んでいますが、もしかしたら大阪も・・ということで時間の許す限り、レトロ巡りをしています。
大阪・梅田の喫茶店というと、真っ先に思い出すのが「マヅラ」さん。多くの人がブログやSNSでアップしていて、お店の歴史や人気メニューなどについてはもうあまり書くことがないほどの名店です。
ここ最近続けていく機会があったので、神田駅周辺特集みたいになっています。再開発が進み高層ビルが建ち並ぶ東京駅周辺に程近く、少しずつ再開発の手が伸びて来てはいても、昔とあまり変わらない庶民的な街。
大手町方面に歩いていくと、いかにも高度経済成長期に建てられた感じの「鎌倉河岸(かまくら かし)ビル」が見えてきます。1973(昭和48)年竣工。鉄筋コンクリート造の地上10階・地下1階建て。地味だけど、よく見るとちょっとかっこいい。
有楽町駅西口を出てすぐのところにあるワインレッドのビル「有楽町ビルヂング」。竣工は高度経済成長期の1966(昭和41)年5月。外見は控えめな印象だけれど、一歩中に入ると、飴色のタイルの美しさに目を奪われます。
残念なことに、建築ファンにも愛されているこのビルも、とうとう建て替えられるらしい、と聞きました。時期は2023年頃とか。
前回の続きです。ここがビル2階にあるアートスペース。オフィスビルとはいえ、ビルの1階~2階は公共施設みたいな雰囲気もあり、気兼ねなく入れます。ちょうど2022(令和4)年7月4日~30日まで「9人の写真家が見た水俣」の写真展が行われていました。
1969(昭和44)年に出版された石牟礼道子(いしむれ みちこ)さんの「苦海浄土」、昨年秋に公開された映画「MINAMATA」は有名ですが、数十年に渡って水俣に足を運んで撮られてきた写真はどれも胸に迫るものがあります。
でも、つらいものばかりではありません。
有楽町駅前の再開発も決まっているし、東京の風景もどんどん変わっていきそうなので撮りためています。今回は「新東京ビルヂング」、1963(昭和38)年第一期竣工、1965(昭和40)年完成。
この時代のビルは角に丸みを付けたものが多い気が。デザイン的な流行か、「尖ったものや鋭さを感じるものを他人様に向けてはいけない」ということに敏感だった昭和らしい感覚か。角に使われている曲面ガラスは当時の最新技術だったそうです。
隣にある有楽町ビルヂングと共にこちらも建て替え、2023年に閉館が決まっているそうです(2021年7月29日に三菱地所=発表)。
竣工は1967(昭和42)年1月。地上14階、地下4階、塔屋1階建てのオフィスビル。強い青味を帯びた黒の外観は、ビルの外観としてはあまり見かけない色。また窓の意匠もユニークです。
いつでも行ける、今度でいいや、と足を運ぶことを先送りにしていたところのひとつ、貿易センタービルの展望台「シーサイドトップ」。
このあたりなら東京タワーに行くと思いますが、貿易センタービルは浜松町駅から直結、入場料が620円と安い、空いている、そして、東京タワーが見えます(当たり前だけど、自分が東京タワーの展望台に居たら東京タワーって見えないですもんね。)