Thailand|王宮寺院(2):ワット・ポーの大寝釈迦仏/足の裏の話

大寝釈迦仏で有名なワット・ポー。バンコク最古の寺院で、1788(仏歴2331)年に、ラマ1世によって建てられました。


正式名称は、「ワット・プラチェートゥポンウィモンマンカラーラーム=ラーチャウォーラマハーウィハーン(Wat Phra Chettuphon Wimon Mangkhlaram Ratchaworamahawihan)」。長いな。さすがにこれは略さないと会話にならない(笑)。





涅槃仏
全長49メートル、高さ12メートル。途中、柱が何本もあるので、細切れに拝みながら進んでる感じですが、どこから拝見するかで表情が違って見えます。お釈迦様の胴体しか見えなくなるところには、小さい像が置かれています。




ようやくお釈迦様のお御足へ到達。


長さ5メートル、幅1.5メートル。偏平足は悟りを開いた者のしるしだとか。



このお御足に描かれている絵は108、仏教と深い関わりを持つバラモン教の宇宙観が表されているそうです。螺鈿細工(細かく砕いて磨いた貝殻を嵌め込む技法)で作られているため、キラキラしてきれいですよ。

タイでは「足の裏は不浄なもの」とされていて、足を向けたり跨いだりすることは日本以上に無作法に当たるそうですが、その足の裏に宇宙観を描けるまでに到達されたお釈迦様・・・、いつかどこかで聞いたお話を思い出しました。




ひとつは、仏教詩人・坂村真民のお言葉「尊いのは足の裏である」。

尊いのは足の裏である
尊いのは 頭でなく手でなく足の裏である
一生人に知られずに一生きたない処と接し
黙々としてその勤めを果たしてゆく足の裏的な仕事
足の裏が教えるもの
しんみんよ
足の裏的な仕事をし、足の裏的な人間になれ
頭から光が出る まだまだだめ
額から光が出る まだまだいかん
足の裏から光が出る そのような方こそ本当に偉い人間である


もうひとつ、元総持寺貫主の板橋禅師の著書より。

「足の裏で歩め」というのは、足の裏の実感を伴って歩きなさい。
足の刺激をよく知りながら歩きなさい。
無駄な頭の考え癖を辞めなさいということです。
足の裏のそのときの刺激はそのまま自分の「いのち」のすべてなのです。
身体に実感することが、そのときの自分のいのちのすべてなのです。
体で実感していることは事実そのものです。
疑いようのない事実、それを仏といいます。
(中略)その現実の生の体験、体の実感を仏というのです。
ところが我々は頭に描いた仏を求める。
何か別な仏があるような気がする。
それで迷っているのです。



お釈迦さまのお御足の裏から背中側にも回れます。
滅多に見ることのない、お釈迦様の後頭部。




108の煩悩を捨てる鉢
廊下にずらりと並べられた108つの鉢。希望者は煩悩の象徴である「サタン硬貨(タイの補助通貨)」を20バーツで購入して、それを順々に鉢の中に入れていくのですが、この行為は「喜捨(きしゃ)」になるそうです。
托鉢の鉢みたいな感じでしょうか。



回廊の壁画も見事でした。まだまだ続きます。



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