既に湘南の見どころの一つになっている江の島サムエル・コッキング苑の「Sea Candle」。2002年に、江ノ電開業100周年事業の一環として始まってもう16年。ここでは本物のキャンドルです。準備も管理も大変だと思う!
灯りが時代を反映するのか、それとも灯りが時代を作っているのか。
時代がイケイケの時(昭和)は、派手な電飾が多く、室内で使う蛍光灯もメーカーが明るさを競っていました。ミラーボールとかもありましたね(笑)。
311東日本大震災の直後から節電が行われ、今まで電気を使い過ぎていたという反省も出て、まだ高価だったLED電球が飛ぶように売れていました。一方で、「キャンドルライト(もしくは、そう見えるライト)」「ランプ」などぬくもりのある灯も求められていった気がします。
産業的に機械化・合理化されていくと、ある時点でそれに反応するかのように「エコ」が静かに盛り上がってくるなあと実感です。何の力学か、必ず逆のベクトルも動くんですよね。
歴史を遡れば、産業革命のとき「機械は貧しい人から仕事を奪う悪魔」と言われ、欧米では神秘主義とか、誰だったか「森へ帰ろう」と言い出し、自給自足を始めた人たちが現れ、こうしたことが現在のエコ活動やブームの基盤になっているとか。
活動してる割に切羽詰まる一方の環境問題。これまでは、政府や自治体の頑張りよりも、大手企業が腰を上げた方が早くて影響力がありました。宣伝もうまいですしね。
ですが、その大手企業の体力は以前より落ちているし、元気な商店やNPOや零細企業が身近なところですごく頑張っているなあと感じます。こうした活動からどんな基盤ができていくのか、長いスパンで見た技術や工夫や意識が生まれたらいいなと思いつつ。
これだけのキャンドルを一斉に灯せる場所ってなかなかないと思うので、ちょっとお勧めです。
キャンドルの灯りは、リラクゼーション効果も高いそうです。
炎を見つめる機会ってないですけど、眺めているといろんなことに急ぎ過ぎてきたかなと思えてきますし、暗い中で炎を見つめていると、気持ちが鎮まり、素直になれる気がします。
もう閉鎖されてしまったようで見つけられなかったのですが、ある方のブログに、南の島に旅したときに現地のお年寄りが仰っていたことが書かれていました。
人は明かりがないと互いに寄り添い心を開く。
明かりがあると見栄を張ったり、心を閉じてしまい、
皆バラバラになる。
日常生活にもうまく取り入れたら、家庭円満?少なくとも蛍光灯よりはいいと思う(笑)。明るさって人間の心理に大きく影響するのは確かだから。
●江の島サムエルコッキング苑とシーキャンドル:
https://enoshima-seacandle.com/
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<編集後記>
停電や戦時中の灯火管制みたいに強いられた暗闇の中に居たら、小さな灯にホッとしつつも、普通に電気が付いて明るくなる喜びは、すごく大きいだろうと思います。だからきっと活力を取り戻していく過程でとして「電気を煌煌と付ける時代」が必要だったのかもしれません。
今思えば、いくら何でもこれは使い過ぎでは?という反省もないわけではありませんが、そういう心理や必要性を否定するつもりはありません。
今こうしてキャンドルもいいなと感じられるのも、電気をたくさん点けていた時代を知ってるからこそ。行きつ戻りつしながら、どういう基盤ができて、どんな暮らしになっていくのか楽しみです。
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