最近は減りつつあるようですが、デパートの最上階にはレストランフロアがありました。神奈川県藤沢市の藤沢さいか屋8階のレストラン街にある「COFFEE HOUSE瓦斯灯」。
レトロ喫茶って、つい街歩きをしながら探してしまうんですが、デパートの最上階っていうのもありですね。盲点でした!。1978(昭和53)年オープン。
最近は減りつつあるようですが、デパートの最上階にはレストランフロアがありました。神奈川県藤沢市の藤沢さいか屋8階のレストラン街にある「COFFEE HOUSE瓦斯灯」。
レトロ喫茶って、つい街歩きをしながら探してしまうんですが、デパートの最上階っていうのもありですね。盲点でした!。1978(昭和53)年オープン。
ラーメンは博物館もあるほどの人気食。「二郎系」「家系」など有名店の暖簾分けや、「北海道系」「熊本系」と地域に分けたり、〇〇系と特色を打ち出したりと様々。お店もきれいだし、確かにおいしいのだけれど、個人的には昔ながらのラーメン屋さんって結構好きです。
今回お邪魔したのは、湘南茅ヶ崎にある1964(昭和39)年創業の「サッポロ軒」さん。サッポロと名乗っているあたり、北海道系ってことになるのでしょうけれど、今のラーメン屋さんとは時代の違いを感じますよね。
普段コーヒー派だけど、たまにおいしい紅茶が飲みたくなる、そんなときの候補・横浜編は「サモアール」さん。1974(昭和49)年に横浜駅西口で創業、ジョイナス地下2階にあるのが本店で、今回は1983(昭和58)年にオープンした馬車道店へ。
50種類以上の紅茶が楽しめるお店で、人気は「アイスロイヤルミルクティ」。大きなグラスに注がれた紅茶、ミルク、フレッシュクリームのグラデーションが素敵。馬車道店では、変わり種のオムライスも頂けます。
普段レトロ喫茶最優先で行っていますが、たまにはレトロではないところへ。今はさほど古い感じはしなくても、しばらく経つときっと懐かしくなると思うので、今のうちの撮っておきたいものもたくさんあります。そんな中のひとつ、個人的に気に入ってるのが「Urth Caffe(アース・カフェ)」です。
初めて訪れたのは1996年の初夏(うろ覚え)。ロサンゼルス在住の友人に、ウエスト・ハリウッド店(第1号店)に連れてきてもらいました。その頃の日本にはまだ「オーガニック・コーヒー」はそれほど出回ってなかった気がするので、おそらく初めて飲んだのはそのときだったと思います。
JR横浜駅のみなみ西口(相鉄線改札の方面)から徒歩2分”横浜のリトル歌舞伎町”とも言われる西口五番街にある老舗喫茶店「横濱珈琲店五番街」さん。1965(昭和40)年に創業した輸入食材を扱うお店から、1970(昭和45)年頃に、珈琲店に転身したそうです。
この辺りにお店が軒を連ねるようになったのは、昭和30~40年代にかけて。キャバレーやバーが集い、”ディスコ”もあるような夜の歓楽街だったとか。
JR東海道線・大船駅東口から歩いて7~8分のところにある「紙風船」さん。芸術館通りをひたすらまっすぐ進むむと、大船中央病院前の交差点がありますが、その少々手前で左斜めに入る道沿いにこの赤い装てんが見えてきます。ロゴがかわいらしいですよね。
近くには、鎌倉芸術館や鎌倉女子大がありますが、かつてこのあたりには松竹大船撮影所がありました。お創業は昭和の終わりごろ。なのでもう40年くらいになるそうです。
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寅さんを演じる渥美清さんと山田洋次監督。 撮影は昭和44年から平成7年頃まで約26年間も続いた。 |
無声映画からトーキーへ移り変わると、周囲にある町工場の騒音が撮影に差し障ることから、1936(昭和11)年に、神奈川県鎌倉郡大船(現:神奈川県鎌倉市大船)に移転しました。寅さんでおなじみの「男はつらいよ」もここで撮影されていました。
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JR横須賀線・北鎌倉駅の小さな駅前広場の両サイドには、小規模ながらも個性的な飲食店が軒を連ねています。その中のひとつ、喫茶「門」。1965(昭和40)年創業です。
以前から入ってみたかったのですが、混んでいた時期で、しかも4人は無理だったので泣く泣く諦め、ようやっとかないました。紫陽花で有名な円覚寺さんのすぐそばのため、窓からお庭が見えます。紫陽花の季節を外せば、比較的静かに過ごせます。
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先日行った永楽湯さんから徒歩圏の「仲乃湯」さん。横浜市営地下鉄「阪東橋」駅が最寄りだと思いますが、横浜商店街を抜けてさらにまっすぐ進んだ住宅街の中にあります。
1949(昭和24)年創業、1957(昭和32)年に増改築。もうかなり古い建物ですが、中はとてもきれいに保たれています。撮影に使われたこともあるそうです。
横浜市営地下鉄ブルーライン・伊勢佐木長者町駅から徒歩5分くらいの場所、横浜市南区永楽町にある「永楽湯」さんは、1951(昭和26)年。レトロ銭湯といえども、最近はあまり見かけなくなった「サウナ」が付いています。
また、黒湯もあります(残念ながら、現在はポンプ故障のため薬湯です)。
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不二家レストラン1号店と言われている横浜センター店は、JR関内駅から徒歩5分。伊勢佐木モールに入って割とすぐの場所。不二家の発祥地は数寄屋橋ではなく、横浜の元町だったのですね。
ファミリーレストランの発祥は、1970(昭和45)年開店のすかいらーく1号店である国立店(現ガスト)と言われていますが、不二家さんの歴史を知ると、ちょっと待て!と言いたくなるかもしれません。
JR根岸線・山手駅から、全国でも珍しい直線を引いたような長い商店街を歩いて5分くらいのところにある「いなり湯」さん。商店街も珍しいけれど、緑色を基調とした銭も珍しい。
もともとは横浜市南区で別の銭湯を経営していたそうですが、1945年5月29日の横浜大空襲により焼失してしまったそう。1946(昭和21)年にこの場所で「いなり湯」を開業、1961(昭和36)年に建て替え、今に至るそうです。
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外国人墓地というと山手外人墓地が有名ですが、横浜には4か所の外国人墓地があります。他3カ所は、英連邦戦没者墓地(保土ヶ谷区狩場町)、中華義荘(地蔵王廟・中区太平町)、そしてここ「根岸外国人墓地(中区仲尾台)」です。
4つあるのに、ここが”もうひとつの”と形容されるのは、山手外人墓地と同じ区内にありながら、1967(昭和42)年頃まで荒れた状態で放置されたため、あまりに知られていなかったといいます。しかも、連合軍による接収や書類の没収などによって過去のことがよくわからないとか。
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1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災による建物の倒壊で、山手も瓦礫の山に。駐留していた外国人は神戸など他の都市への移住が相次いで、震災前に7650人いた外国人は翌年には2156人まで減少。そこで横浜市は復興事業として山手や根岸に市営住宅を建設しました。
この山手234番館は外国人向けの共同住宅として、現在の場所に建てられました。
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1853(嘉永6)年の黒船来航から5年、1858(安政5)年に日米修好通商条約をはじめとする安政の五カ国条約が締結されたのを機に、1859年7月1日(安政6年6月2日)に日本初の近代国際貿易港として横浜港が開港しました。
居留地の中でも、山手居留地は住宅地として発展、1899(明治32)年に居留地撤廃されたものの、割とそのまま残っていたようですが、1923(大正12)年の関東大震災で壊滅状態に。現在残っているのは関東大震災後に建てられたものです。