Book|魂でもいいからそばにいて~311後の霊体験を聞く(著者:奥野修司)

東日本大震災の津波で亡くなった家族から携帯電話にメールが届いた、枕元に現れた、おもちゃが動いていた・・被災地の「不思議な体験」。亡くなった家族や友人に会った、霊を見たという話はテレビや新聞でも取り上げられていました。



これまで恐怖を煽るような切り口で語られ、特にテレビでは「見てはいけないのに見てしまった」霊の存在に焦点が当てられてきましたが、この本では癒しとしての霊体験が書かれています。

 

生活面を振り返れば、日本人は仏壇やお墓や遺品・思い出話を媒介にして死者と一緒に生きてきた感じがします。時代が変わり、物質的な豊かさや景気に翻弄され、「死」などの話題をタブー視していくうちに、何か大切なもの忘れてきてしまった、そんな時代に蘇った「怪異譚」。

こうした不思議な出来事について、ノンフィクション作家の方が本を書いたということも興味深く、思わず手に取った一冊です。検証はどうしたのだろう?「裏」を取りようがないと思うのだけれど。


幽霊話に興味はなかったという著者の奥野さん。
ある医師との会話をきっかけに耳にした被災地での不思議な話。「きちんと聞き取りをした方がいいんだけどな」と医師に促され、しぶしぶ腰を上げたそうです。

これまで霊を見て怖がっているとばかり思っていたのに、家族や恋人といった大切な人の霊は怖いどころか、それと逢えることを望んでいる。この人たちにとって此岸と彼岸は大して差がないのだ。
たとえ死者であっても、大切な人と再会できて怖いと思う人はいない。むしろ、深い悲しみの中で体験する亡き人との再会は、遺された人に安らぎや希望、そして喜びを与えてくれるのだろう。


悲しみを抱えた遺族が立ち直るための癒やし、回復するための過程に霊体験があると考えるようになったそうです。けれど、検証ができないのにどうやって「事実である」と伝えるのか、これがノンフィクションとして成り立つのか、と困ったそうです。
それについては、

誰にでもわかるという普遍性がないから、それを信じようと信じまいと僕は構わない。再現性もないから、それが正しかどうかを証明することもできない。(中略)事実であるかもしれないし、事実でないかもしれないが、確実なのは、不思議な体験をした当事者にとって、それは「事実」であるということである。


「あるか、ないか」「信じてるか、信じていないか」は、答えの出る問題ではありませんよね。また、個人的に信じてない人でも、何かの体験をきかっけに信じるようになることだってあります。

日本人は、こうした問いにあえて明確な答えを出さずに、仏壇に手を合わせたりお墓参りをしたり、お盆や命日などの行事を淡々とやりながら、故人との時間を大切にしてきました。時には「昨日、おじいちゃんが夢に出てきてさ」とか会話して。
むしろ、そういう態度の方が現実的とも言えそうです。


この本とは直接関係ないけれど、NHKが遺された人たちが故人と「再会」した体験を語った番組を制作しました。

NHKスペシャル:
シリーズ東日本大震災 亡き人との"再会"(2013年8月23日放送)
https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009050140_00000


この番組には大きな共感が寄せられ、不思議なことに「NHKが心霊番組を制作するとは何事か!」的なお叱りはほとんどなかったそうです。
番組を制作したディレクターの佐野広紀さんは、社会番組部の初動班として被災地に入り、震災から半年を過ぎたころから不思議な話を多く聞くようになったそうです。「そんなこともあるのかなあ」くらいの気持ちだったのが、少しずつ心に引っ掛かり始めていったといいます。
NHKがほとんど扱ったことがないタイプの番組だったこと、こうした“再会”体験は目に見えない、カメラで記録することもできず、裏をとることは難しい・・・、けれど「体験をした人が大勢いる」という重い事実を伝えること。
死者を身近に感じた人たちのかけがえのない体験が膨大に存在する、それは極めて個人的な物語であり最大限尊重されるべきだ、と思うようになったとか。

こういう視点や心持ちも、現代は失われてきた気がします。
大切な人をまだ亡くしたことがない人にも読んでもらいたい一冊です。

魂でもいいから、そばにいて―3・11後の霊体験を聞く―(新潮文庫)

私の夢まで、会いに来てくれた 3・11 亡き人とのそれから (朝日文庫)


 

*  *  *  *  *  *

<編集後記>
大切な人を失った事実をどうやって受け入れるのか(まして震災などご遺体と対面できなかった場合などは)、その喪失感をいかにして癒し、乗り越えていくのか。そこには時間薬や休息のほかに、やっぱり何かしらの非合理的なものや非日常的な不思議なものなど、緩衝材みたいなものが必要なんじゃないかなと思います。
また、49日、100日、一回忌、三回忌といった法要には、少しずつでも遺された者が前を向けるよう促すような、そうそう非合理的とも言い切れない役割があるのかもしれない。
自然界にもともとなくて人間が進化して独自で作れたものは、宗教と芸術と文字いうのを聞いたことがあるけど、確かになあ・・。


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