横浜|山手西洋館(2):貿易商の私邸「エリスマン邸」

1860(万延元)年に外国人居留地が開放、当初の居留地は現在の山下町のエリアで、「関内居留地」や「山下居留地」と呼ばれていました。開港後の土地不足に加えて、山下町は埋立による低湿地帯であったため、山手丘陵地の開放が求められ、現在の山手町に「山手居留地」が造られたそうです。


山手居留地は住宅街ですが、山下町の居留地だった場所は当時も商業地区で、高度経済成長期以降はビルやマンション建設が進み、街並みは大きく変わっています。

このエリスマン邸宅はもともと山下町にあり、木造2階建てのスレート葺き、和館付きの白亜の洋館だったそうです。現在は洋館部分のみ残されています。
 
 
 
こんなにかわいらしい洋館が山下町にあったとは、今は想像できません。
 


 

施主:生糸貿易商 フリッツ・エリスマン
(Fritz Ehrismann、1867年ー1940年)スイス・チューリッヒ出身。
戦前最大といわれた生糸商社シーベル・ヘグナー商会の支配人として1888(明治21)年に来日。1940(昭和15)年に亡くなるまで日本で暮らした。没後は横浜外国人墓地に眠る。

1926(大正15)年竣工
山手町127番地に建てられた。戦災を免れ、所有者が何度か変わっても建物は残ったという。1982(昭和57)年にマンション建築のため解体され、1990(平成2)年に現在の場所(旧山手居留地81番地)に移築・復元された。

設計:アントニン・レーモンド
日本の建築界に大きな影響を与え「近代建築の父」といわれるチェコ人の建築家。師匠は、世界的建築家F.L.ライト。


1階は、応接室、居間兼食堂、庭を眺めるサンルームがありました。
テーブルや椅子は、レーモンドが設計した家具を復元したものが置かれていますが、実際にエリスマン暮らしていたとき、どのような家具を使っていたのかは、不明だそうです。


照明は、創建当時のものを使用しているとか。

 

 

2階にはかつて寝室が3部屋あったそうですが、現在は資料展示コーナーになっていて、山手に建てられていた洋館をパネルで紹介しています。地下ホールは貸し出しスペース、昔の厨房部分は喫茶コーナーになっているそうです。
(平日でも意外と見学者が多かったので、人が写ってしまいそうで、うまく写真が撮れませんでした。)

階段はギシギシと音がするので、なるべく端っこを歩いた方がいいかもしれません。また、床もきれいに磨かれているため、階段は特に滑りやすいかもしれません。ご注意を!

 

※館内は土足禁止です。入り口でスリッパに履き替えますので、靴下を持って行った方がいいと思います。 

 


横浜旧市街: エリスマン邸127番地




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