静岡|熱海サンビーチ(1):花とアートと修羅場恋愛の文学

 

東京で育つと「思わず入りたくなるような海に行きたければ、遠くに行かなければならない」という刷り込みに近いような根深い思い込みがあります(特に昭和育ちは)。湘南に行けば?相模湾は東京湾よりずっときれいでは?と思ったら、「まあ、東京湾よりいいけど、思わず入りたくなるかっていうとそんなこともない」という感じだと思います。

 

熱海だって東京から1時間半で来られる距離だから、きれいといってもたいしたことないんじゃないの?と期待せずに来たら、水に透明感があるのに驚きました!

 

青い海と砂浜、立ち並ぶホテル郡、ヤシの並木通り・・・南国の雰囲気ですね。

 

東海岸町あたりは全体が埋立地。1967(昭和42)年に埋め立てと消波ブロックの設置によって、自然海浜は消失しています。熱海は勾配のきつい坂道が多く、もともと平地はほとんどありませんでした(今も非常に少ない)。開発も大変だったろうなと思います。
このサンビーチは縦の長さ400m、幅60mに渡って造成された人工浜です。砂は千葉県君津市の山砂を運び込んで、1986(昭和61)年に完成しました。

東京に近いところにいる感じはあまりしない。

 

バブル崩壊後、ちょっとさびれた感じになってしまった熱海も徐々に観光地や別荘地として盛り返してきます。2004(平成16)年からは、日本で初めての砂浜のライトアップがほぼ毎日行われています。世界的照明デザイナーの石井幹子さんによるプロデュースで、「月光」をイメージした青緑の夜間ライトアップだそう。日没〜22時まで。

 

東南向きのため、朝日が昇るのが見えるビーチです。

 

今回は、400mあるビーチのうちおよそ半分くらいにあたる、南北に伸びる「ジャカランダ遊歩道」の周辺のみ撮影しました。冒頭にも書いたように、海の水は本当にきれいでした。

 

今年は暖かく11月下旬で20℃を超えたこともあり、膝まで海に浸かる人も。


 iPhoneだといまいち透明感が伝わりませんが・・・、ただ東京湾や相模湾ではこんな風には映らないんですよね。

写っているもこもこしたものは砂です。すぐに沈んできれいになります。

 

来たのが11月だったのでお花はありませんが、5月~7月になると遊歩道にはブーゲンビリアが、5月~6月中旬は、日本ではなかなかお目にかかる機会の少ない、世界三大花木のひとつ「ジャカランダ(和名:紫雲木)」が見頃を迎えます。

ただ、この時期は海開き前の時期でもあり、ビーチのお手入れに加え、海岸侵食の問題もあり、5月中旬~6月いっぱいくらいまでは(毎年ではないそうですが)養浜の工事を行っていることもあるようです。熱海市のHPで確認してみてください。

 

ポルトガル・カスカイス市と熱海市が姉妹都市になった記念として、
2本のジャカランダの木が贈呈され、2014年に歩道が完成した。

 

モザイクタイルを使ったレトロな歩道橋「サンデッキ」もありました。
デッキの下には、250台くらい停められる「東駐車場」があります。デッキの海側階段下にはトイレ(北側が男性用、南側は女性用)があり、国道側のデッキ下には男女それぞれのトイレとロッカールームがあります。

 

完成したのは1967(昭和42)年だそうですが、誰がデザインしたのかは不明です。

この太陽マークの下(北側)には水道があり、
砂だらけになった手足を洗えるようになっている。


 

 

出入口が何か所もあり、頭上にも凝ったタイル模様がありました。



街を歩いていてもそうなんですが、意外なところにアートが紛れているですね。


 

サンビーチには、他にもオブジェが色々あって、今回行かなかったエリア(親水公園等)の方が大きく立派なものがあります。でも、こちら側にも広場の片隅に可愛らしいハートのオブジェが。



何より「お宮の松」と「貫一お宮の像」があります。
熱海は、明治時代から多くの文豪たちが居を構え、名作を執筆した地。 中でも有名なのが、尾崎紅葉の小説「金色夜叉(こんじきやしゃ)」。明治30年より6年間「読売新聞」「新小説」に断続的に掲載されました。この小説で、主人公の貫一とお宮の泣き別れの場面を描いた像が建てられ、横には小説にちなんだ「お宮の松」がありました。


彫刻家・館野弘青の作品、1985(昭和60)年。


「いいか宮さん。
来年の今月今夜…再来年の今月今夜…、10年後の今月今夜…、

一生を通して僕は今月今夜を忘れん、僕の涙で必ずこの月を曇らして見せる。
月が……月が……月が……曇つたらば、
宮さん、貫一は何処かでお前を恨んで、今夜のやうに泣いてゐると思つてくれ」

 

自分に酔ってないか?と思える恨み節的な名セリフを吐いた後、お宮を足蹴にして立ち去るシーンは有名ですよね。

 

 

この像を制作するにあたり、やはりというべきか、各方面から「女性を蹴るを銅像にするな、女性蔑視だ」という抗議の声が上がったそうです。せめて、お宮の乱れた裾はなしにしようなど、多少の配慮はしたものの、どうなんでしょうねぇ。
1980年代でさえそうした抗議があったくらいなのですから、平成や令和を生きる若い女性達からすると、「DVじゃん」「修羅場」「貫一、何様?」「マジ、あり得ない」ということになるのでしょうか。

昭和生まれの私から見ても、文学だからとはいえ、気持ちのいいものではありませんね。

 


 外国人向けの説明も。

 

 

 

マンホールもありました。

  

当時「熱海の海岸散歩する・・・」で始まる金色夜叉の歌も後押しし、爆発的な人気小説となりました。まだ熱海村だったこの地も非常に人気が出て、観光地として、また別荘地や保養地として開発が進められていきます。

 

 

これがお宮松。
すごくきれいに手入れされていますが、実は二代目。

こちらが初代。年輪が立派ですね。
この太さに育つまではまだまだ時間がかかりそうです。

大正時代は「羽衣の松」と呼ばれていたとか。


今回はあまり時間がなかったのですが、今度は親水公園の方にも行ってみたいと思います。いつになるかな~。

 

*  *  *  *  *
<編集後記>
秀才だが貧乏な学生(貫一)は、富豪に彼女(お宮)を取られて激昂し、彼女を罵り蹴り倒し、学問の志を棄て高利貸の取立て屋に。一方、お金に目がくらんで両親共々、富豪との結婚話を進めたものの、人柄がよいとはいえない相手と愛のない結婚生活に憔悴しきった彼女。そんな二人が再会し愛憎泥沼劇へ・・という、どっちもどっちなお話です。尾崎紅葉が途中で亡くなり連載が強制終了したことにホッとした感じもします。
また、時代が流れて問題の表層は変わっても、「お金か恋心か」的な視点の似たような修羅場はたくさん耳にしました。高校生くらいまでは好きとか気が合う程度でも付き合っていても、成長するに従って収入や資産の多く落ち着いた「大人な彼」に乗り換えていく女の子たち、やっぱり女は金目当てだと地団駄を踏む男の子たち。
で、その「大人な彼」とうまくいかなくなると「あのときの恋は純粋だったわ」と懐かしみ、やめときゃいいのに思わず元カレに電話をしてしまった、でも、もう彼は・・・・、みたいな話、ありましたね。そうした昭和・平成の修羅場はトレンディドラマで表現されました(笑)。

いつの時代も男と女は・・・。お金と恋愛についてえげつなく書いた作品のひとつですが、小説だからいいし、人の縁はわからないものだけど、現実にはいったん終わった恋は、復活愛などと言わずにそのまま放っておくに限りますよね(個人的な意見です)。




コメント