大阪|千里阪急ホテル(1):まずは千里の歴史から【2026年3月閉館予定】

今回の大阪旅行(?)では、1970(昭和45)年の「日本万国博覧会(大阪万博)」に合わせて開業した「千里阪急ホテル」に宿泊しました。倉敷アイビースクエア倉敷市庁舎を設計した建築家・浦辺鎮太郎氏の設計であることや、万博開幕中には外国の要人も宿泊した老舗のホテルとしても知られていますが、素敵な内装がSNSなどにあげられてご存知の方も多いのではないかと思います。


すごーく残念なことに、このホテルも老朽化や再開発のために、2026 年 3 月 30 日(月)の宿泊利用をもって営業を終了、閉館後は取り壊されてしまうそうです。

 


 

ホテルが見えてくると、建物入口のオレンジの屋根とアーチ型の窓に視線がいきます。でも、そこを見る限りそれほど大きなホテルには見えないですが、現在の総客室数は203室。

開業当時は、128室の客室棟(現在の東館)、施設もグリル・バー、コーヒーショップ、プールのみ。お客様の要望に応えて、1976(昭和51)年に宴会場を増設。またさらに要望があり、大小3つの宴会場を増築。
1984(昭和59)年に西館をオープンし、客室・宴会場・レストランの営業開始・・・こんな具合に万博終了したあとは地元に密着して、次々にお客様の要望に応えて規模を拡大してきたそうです。

ホテルのあゆみを知ると、現在では再現することはできないものがたくさん詰まっている感じがしますよね。

 

 

 

 東京が1964(昭和39)年の東京オリンピックに合わせて新幹線や高速道路などざまざまな交通網が発達し、都市開発も進んだように、大阪では大阪万博も大きな機会だったのかもしれません。
大阪市内から電車で20分くらいだけれど、大阪の中心地にはたくさんホテルがあるので、今回みたいな機会がないと来なかったかもしれない「千里」という町についてちょっと調べて見ました。

 

モノレールの車窓から見た千里阪急ホテル。大阪の中心地から20分とは思えない。

 

<千里ニュータウンの歴史>
大阪の中心部から10~15kmほど離れた吹田市と豊中市に跨る千里丘陵は、水田には向かない土地だったこともあり、江戸時代は桃などの果樹を栽培していたそう。その後、たけのこや松茸も栽培していたそうですが、宅地開発と共に姿を消していったとか。

また、江戸中期から大正時代の初めごろまで「旗振り通信の中継地」でもあったとか。旗振り通信とは、まだ電話などの通信網がなかった時代、堂島の米などの相場の情報を手旗信号で全国にいち早く知らせるための手段。千里は「先物取引の相場の速報」を旗を振ってリレーで知らせる人達がいた場所のひとつでした。
いったいどこにどのくらいの速度で広がっていったのかはわかりませんが、とにかくこのあたりは、中継地点になるほど見通しの良い場所だったようです。

 

▼興味を持たれた方はこちらへ
Nippon.com
江戸時代のトレーダーが構築した情報ネットワーク : 世界に先駆ける先物取引を支えた「旗振り通信」
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g02365/

 あと、豊中では「ワニ」の化石が発見されたんだって・・・(@@;)

▼興味を持たれた方はこちらへ
1964(昭和39)年に約45万年前の大きなマチカネワニの化石(約8m)大阪大学豊中キャンパス(待兼山町)で発見された 。
City Life News
シティライフアーカイブズ【北摂の歴史記録】 第8回 マチカネワニの発見
https://citylife-new.com/newspost/3647/

 

 


大正後期、北大阪電気鉄道(現:阪急千里線)が開業して以来、千里では住宅開発が進んでいきます。イギリスの田園都市をモデルに「千里山住宅地」を開発し、ニュータウンとまでは言えないものの「人がたくさん住む町」が形成されはじめました。

1957(昭和32)年には「千里山団地」の入居も始まり、1958(昭和33)年には大阪府が大規模開発が決定。千里丘陵は日本初の大規模ニュータウン構想のもと開発されました。当時としては世界でも例のない大規模な工事だったそうです。

千里ニュータウンは、1965(昭和40)年には人口が3万人を超え、日本一のマンモス団地になっていたそうです。

その2年後の1967(昭和42)年、延伸された北千里駅には、開業と同時に世界初の「自動改札機」が10台導入されました。立石電機株式会社(現:オムロン)と近畿日本鉄道と共同開発で、定期券(パンチカード方式)と普通乗車券(バーコード方式)の機械が導入されたそうです。

▼興味を持たれた方はこちらへ
公益社団法人 発明学会
戦後のイノベーション100選:自動改札システム
https://koueki.jiii.or.jp/innovation100/innovation_detail.php?eid=00039&age=high-growth

 

開発のスピードも人口流入スピードも、暮らしもすごい勢いで変わったのですね。高度経済成長期、おそるべしです。

 

こちらは、1984年に開業した西館。

 


1970(昭和45)年に開催された「日本万国博覧会」の会場の西側に北大阪急行電鉄も開通、「千里中央」駅ができて、周辺は千里ニュータウンの中心地として発展していきました。

そうした歴史や背景を知ると、よくそんなに忙しい時代に、これだけのものを造ったなあと思います。人口が多かったといえばそうでしょうけれど、何より当時の日本人は本当によく働いていたのだと思います。

この時代はまだ週休1日が当たり前でしたよね。

 

 


設計者は、このホテルを作るとき「人の手でしか作り出せないぬくもり」を建築に取り入れることにこだわったそうです。外観からも伺えますね。
ホテルの記事はまだまだ続きます。


千里阪急ホテル
  • 住所:大阪府豊中市新千里東町2-1
  • 西館:地上7階・地下1階建て/東館:地上4階建て
  • 交通/北大阪急行・大阪モノレール千里中央駅より徒歩4分

 
開発したら地図が変わっちゃうと思うので、画像で貼り付け。
MAPを見たい方はこちら→ https://maps.app.goo.gl/v4839EF96zBWofUWA

 


コメント