Thailand|泰緬鉄道の旅(5):カンチャナブリー駅からタムクラセー駅へ

泰緬鉄道の端から端までではなく「クウェー川橋」駅から「タムクラセー」駅まで、片道で約1時間半くらいの乗車。それでもすごいところに鉄道を通したと感じられる風景やポイントがありました。

フランスアルストーム社製のディーゼル車が牽引。かつては蒸気機関車だった。


ものすごい暑さなのに、当然ながら車内にエアコンはなく、扇風機はあるのにまわっていませんでした。でも、古い車両も悪くないかも。



第二次世界大戦中には、タイの「ノーンプラードゥック(バンコク西65km)」から、ビルマ(現:ミャンマー)の「タンビュザヤ(Thanbyuzayat)」までの約400kmを結んでいました。
戦争が終わると、ミャンマー側の全線とタイ側の国境から3分の2にあたる区間が廃止されたり、タイ側の一部はダムに沈んだため、路線距離は約195km。
タイ国有鉄道南本線ナムトック支線として、バンコクの「トンブリー(Thonburi)駅」を起点に、カンチャナブリーを経て、ミャンマー近くの「ナムトック(Namtok)」駅まで運行しています。

「クウェー川橋」駅、ここではバンコクから来た車両を連結します。


遅れるのは当たり前だそうで、この日は10分遅れでやってきました。
バンコクからカンチャナブリまで列車で行ってもいいのでは?と思いますが、これがとても時間がかかる上に、あまり快適な移動手段ではないらしいです。実際に乗るのは地元の人か、あとは旅慣れた若きバックパッカーか。



古い車両の3等客車だからか、お尻のクッションはありません(新しい車両では3等客車でもクッション付きのようですが・・)。往復で3時間くらいの長旅、痔主さまでなくても、心配な方は空気を入れられるドーナツ座布団を持って行ってもいいかもしれません。




カンチャナブリとはどういうところか
山と渓谷のエリア、西側はミャンマーと隣接。国境の街サンクラブリーには、ミャンマーの内戦を逃れたモーン族やカレン族など仏教への信仰が篤い人々が昔ながらの生活をしているそうです。
また、泰緬鉄道建設中に、何と先史時代からクメール帝国時代の数々の遺跡が見つかったそうです。しかも、ほぼ完全な人骨や石器、装飾品などが発見されたのはタイで初めての事例で、出土品は現在「バーンカオ国立博物館」に展示されているそうです。




いよいよ出発

走行中でも窓や乗降扉は全開。生あたたかい湿気を帯びた風、泥や肥料の臭い、たまに入ってくる土埃や葉っぱや虫・・。鉄橋を通り少しすると、もう一面、畑。


走り始めて10分か15分くらい経った頃、みんなが一斉にカメラを持って車両の左側へ押し寄せました。



Chungkai Cutting(チョンカイの切り通し)
垂直に鋭く切り立つた岩の間を列車が通過します。ここが難工事のポイントのひとつ、「チョンカイの切り通し」。かなりスレスレのところを列車は走ります。社内のアナウンスなんてものはないので、周囲の反応で見どころを知り、注意事項も自分で判断するしかありません。



通ってみればあっという間なのですが、これを酷暑や大雨、虫が飛び交う中、大した重機・機材や爆薬も人手もなく、線路が敷けるように砕いていったんですね・・・。その後、列車はゆるくカーブを描きながら、鬱蒼と茂る緑の中をゆっくり進んでいきます。




Wang Yen駅
途中、 「Wang Yen」という駅がありました。有人駅でした。
この路線では、栄えているのか、カンチャナブリー駅とタムクラセー駅の間にある駅の中では一番大きいな駅でした。




何か観光スポットがあるのかもしれませんが、バックパッカーが数名降りたくらいでした。通にしかわからない何かがある?!



Ban Kao(バーンカオ)駅

小さくて、駅というより停留場のよう。何もなさそうですが、このあたりの人口は1万6千人ほど。また、ここには泰緬鉄道建設中に発見された遺跡があるそうです。約4千年前、クウェー河畔で猟をしながら洞窟や岩穴で暮らしていた新石器人がいて、中国漢時代の青銅器の影響を受けたと思われる壷なども発見されたそう。
国立博物館もあるそうです。




バンコク下町ライフ:カンチャナブリのバーン・カオ国立博物館を訪れる
https://thai-miya.net/ban-kao-national-museum/




Thakilen(ターキレン)駅
この駅の前後では、車窓からマンゴーが成っているのが見えたり。




油断すると、また岩壁スレスレのところに出くわします。窓から手足を出している人、焦ったと思う(笑)。


川が見えてくると、線路のカーブも多くなってきます。
バンコクもそうでしたが、タイの河川はこんな風に濁っているのが普通のようで、日本の子供たちは河川を青で描くけど、タイの子供たちは、黄土色で描くのかな。



川が見えるところは、列車が崖っぷちを通ってるところでもあります。乗客の気分が上がって、みんな窓際に寄って写真や動画を撮っていました。重みで傾いて落ちないだろうね(笑)。






Thamkrasae(タムクラセー駅)
タムクラセー駅に到着。駅前にカフェらしきものがありました。タイ版の「駅ナカ」かも?地元の人が集う場ではなく、観光客が向け。線路はまだこの先も続いているので、もっと乗って居たいのをぐっとこらえての降車です。




列車は1日3本?(往復6本)



この水はけの悪い、ぬかるんだ土途中にあった切通のような硬い岩盤や、こんな土を相手にしてきたんだ・・・、と胸が詰まります。現地に来たから感じられたことだけど。


工事のために動員された人数、死亡者数は諸説あるのですが、工事に携わった捕虜5万5000名のうち1万3000名,現地労働者約5万名のうち3万3000名が死亡、そして日本軍の死者は約900名と言われています。

実際のところはわかっていないし、終戦直後に(この件に限らず)多くの書類は焼却処分され、確かめようがないことが多いのだそうです。 また、虐待そのもので亡くなった例や病死、事故死などの理由も正確なところはわかっていません。




*  *  *  *  *  *

<編集後記>
降車して、ものすごい暑さの中、このぬかるんだ水はけの悪い土を歩きながら、どんなに過酷だったかを想像して、本当に恐ろしくなりました。どうしてこんな思いをしなきゃいけなかったのか、生き延びた人たちの心の傷が癒えるはずがないなと、怒りや悲しみがこみ上げてきます。せっかくの旅行だけれど、ここでは決して楽しいとは思えませんが、もし自分の親や親族がここで亡くなっていたとしたら、もっともっと違う感情を抱いたと思います。



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