東京|パブリック・アート:手塚キャラの「ガラスの地球を救え」

鉄腕アトムは、手塚治虫さん(1928ー1989)の代表作、1963(昭和38)年から日本初の連続テレビアニメとして放送。


作中で「主人公のアトムは東京・高田馬場にある科学省で2003年4月7日に誕生」という設定であり、番組制作を手掛けた「手塚プロダクション」の事務所が高田馬場にあることから、1998年に高田馬場駅の高架下にこの壁画は設置されました。

描かれた手塚アニメのキャラクター達が伝えるのは、明るさや地域の歴史、そして地球環境問題。壁画は、駅を出てすぐの早稲田通り北側。縦3メートル、横10メートル。


それまでの高田馬場
何というか、女性にとっては歩きにくい町ではありました。早稲田大学の最寄り駅のひとつではあるのですが、本部キャンパスから遠いこともあり、同じ学生街の御茶ノ水などとは異なる様相でした。ゴミが多い、落書き、一面に貼られたピンクチラシ・・・。もちろん、学生街ならではの安くてボリュームのある定食屋さんや、学生が集まる喫茶店もあったのでしょうが。ピンクチラシは今も残っていますが、それでも随分減ったと思います。
明るく、楽しく、元気いっぱいな感じが子どもたちの心にも届くようにという地域の声が上がるのも自然なことだったかな、と思います。



これまでも手塚プロダクションは、「アトム祭り」を開催して神田川のゴミ清掃をするなど、地域振興に多大な協力してきましたが、「描くことで伝える、町を明るくする」ことは一番自然な発想で、意義を見出しやすかったのかもしれません。
(これならピンクチラシも貼りにくい)



ところが実現するまでのハードルは本当に多く、当時の早稲田大学総長さんをはじめ、多くの人が計画に賛同し協力し、何と4年半もかかったとか。
やっとの思いで設置した壁画も、2005年に駅の改修工事のため撤去されてしまいました。歩道の拡幅工事が終わった2008年3月、再び設置を望むたくさんの声に応え、目白側のガード下に復活、西武側にも追加され、JR側の2箇所になりました。


追加された西武鉄道側のテーマ『歴史と文化~過去から現在そして未来へ』
高田馬場にゆかりのある文豪や高田馬場の歴史が描かれていますが、壁画の地紋やフレームにも注目。江戸友禅の紋で縁取っています。
染色産業は江戸の地場産業で、武士の裃(かみしも)に代表される小紋染などが発展しました。かつては日本染色産業の三大産地として京都、金沢と並ぶほどの規模を誇っていたとか。もともと東京の染色業は、神田、浅草あたりがさかんでしたが、明治時代以降に水質が悪化したためm拠点を上流へと移していき、現在の江戸川橋から落合に至る地域が染色の一代集産地になっていったとか。






JR側のテーマ『ガラスの地球を救え』
四季や朝昼晩という流れと共に、自然と共存している様子描いています。車と人の往来が多くて写真が撮りづらかったので、少ないです。



「ガラスの地球を救え」は、地球環境問題を取り上げた随筆集として出版されています。1989年、執筆の途中で死去されたために未完でしたが、講演会などでのコメントも追記するという形で、同じ年に光文社から出版されました。それほど手塚治虫さん自身が伝えたかったテーマのひとつを一枚の壁画に収めたという、大作です。




以下、「ガラスの地球を救え」からの抜粋です。

無駄な遠まわり、道草を許さない社会は、どう考えても先に豊かさは見えません。
合理主義や生産至上主義は、結局はその社会を疲弊させてしまうでしょう。
なぜなら、みずみずしい感性や独創性をもった子どもたちが、
育っていくはずがないからです。


副題に「21世紀の君たちへ」と付けられていますが、21世紀に入って20年が経った今、どうでしょう??

自然や人間性を置き忘れて、ひたすら進歩のみをめざして突っ走る科学技術が、
どんなに深い亀裂や 歪みを社会にもたらし、差別を生み、
人間や生命あるものを無残に傷つけていくか──



自戒を込めて書きますが、こんなにいい漫画を読ませてもらっていた子供達が、今、中高年になってやってきたこと、していることってなんだったんだろうなと胸が痛みます。

かつて、漫画は今ほど社会的に認められたものでもなくて、子供が漫画ばかり読んでいることは問題で、子供が漫画家や絵描きになりたいと言ったら断固阻止するべし、というような位置付けでした。
多くの漫画家たちにとって、昭和時代は決して恵まれた環境ではなかったはずです。そんな中、どんな思いで漫画を書き続けて来られたのか、それでも伝えたいことは何だったのか、どうしてこれだけすごいものが書けたのか、大人になってもう一度読んだら、この壁画は本当に消して欲しくない気持ちになりました。




JR高田馬場駅は、発車メロディーも『アトム』
西商店街が発案し、JRを口説いて実現したのだそうです。
「視覚障害の方が聴き取りにくいのではないか」というJR側の心配をよそに、2ヶ月ほど試してみたら、問題なしの大好評だったのだそうです。2003年に実現し、今でもアトムの主題歌がメロディーです。
東京都心でご当地メロディーが聞けるのは、JR蒲田駅の「蒲田行進曲」、JR品川駅の「鉄道唱歌」を思い浮かべますが、あとはどこかなあ。町が開発でどこも似たり寄ったりになってきているし、聴覚的なところで違いをだすのはいいんじゃないかなと思ったりします。



手塚治虫オフィシャルサイト
https://tezukaosamu.net/jp/

ご当地駅メロディー資料館:JR高田馬場駅
http://7-pref.com/gotochi_takadanobaba.htm


手塚治虫と戦争

手塚治虫: まんがとアニメでガラスの地球を救え (伝記を読もう 19)




コメント