東京|昭和の美人喫茶から専門店へ:神田珈琲園(神田)

旧万世橋駅から新橋駅まで続く赤れんがの高架橋は、明治の都市計画に基づく近代化遺産。ガード下の飲食店というと有楽町で、サラリーマンの憩いの場となっているけれど、神田駅にも規模は小さくともガード下には様々な飲食店が軒を連ねています。


飲み屋さんとかラーメン屋さんが多い中、カフェってちょっと珍しい。この神田珈琲園さんは1958(昭和33)年にこの場所でオープン。最初は自家焙煎の専門店ではなく”美人喫茶”だったといいます。もうそのカテゴリーがいかにも昭和ですよね(笑)。

 喫茶店やカフェは時代によって業態やスタイルを変えているのでどこまでさかのぼっていいやらですが、明治時代に西洋からカフェーの文化が入った当初はサロン的だったのに、関東大震災後に女給さんが男性客にちょっと密なサービスをするお店(今でいうキャバクラっぽい)に変わったりもしています。どんどん変化していく、もともと非常に柔軟というか、カオスな業界ということが、もうこのあたりで察しがつくと思います。

それが、終戦後の1950(昭和25)年にコーヒーの輸入が再開されて以降は喫茶店も増えたものの、多種多様を超えてさらにカオスになっていったそう。そりゃあ、今までずっと戦争一色で、やっと戦争が終わったと思ったら、戦後の飢餓、連合軍の占領下に置かれたり、本当に激動の時代でしたものね。


ジャズやシャンソンを流す「ジャズ喫茶」「シャンソン喫茶」、ひたすらクラシック音楽に聴き入るための「名曲喫茶」、画廊が始めた「画廊喫茶」、夜は飲み屋になる「喫茶バー」、夜中に営業する「深夜喫茶」など、この時代を知らなくても聞いたことがあるものばかり。実際のところ、当時の喫茶店の実態は、都や保健所、警察署などのお役所もつかめなかったといいます。

 

今は当時の面影はなく、おいしいコーヒーとトーストのお店です。


そんな時代に生まれた喫茶店のひとつが「美人喫茶」。つまり、若くて美しいウェイトレスさんが居る喫茶店で、女優さんや歌手の卵たちが働いていたがゆえに「美人喫茶」と呼ばれるようになったとか。当時は映画などの娯楽が盛んだったことを思うと、何だか自然な流れのようにも思えますが、神田珈琲園さんの場合、美人喫茶を始めようと思ったわけではなく、神田という場所柄、そういう人達が職を求めているので雇ったらそう呼ばれたという方が近そうです。
ハリウッドに行けば今でもチャンスを待つ役者の卵たちがカフェで働いている現実があることを思えば、別に何てことはないのですが、「美人喫茶」という言葉が生まれることに、時代を感じますね(笑)。

 

種類が豊富!

 

昭和40年代に入り、この神田珈琲園さんも直火焙煎の珈琲専門店に業態を変えたそうです。そして2020(令和2)年に改装。現在ではコーヒーとトーストがおいしいお店として、さまざまな人が人が訪れています。場所柄、サラリーマンが多いけれど、地元の人や学生さんらしき人たちも。

コーヒーは、あまり聞きなれない種類のものもたくさん置いてあり、その特徴がわかりやすいようにメニューも工夫されています。
私はちょっと疲れているときは、酸味が少ないコーヒーの方がありがたいタイプなので、こういうメニューは助かります。好みを伝えれば選んでくれたりもします。



そして、トーストは季節メニューがありました。
訪れたのは10月、秋らしくなってきたということもあって、きのことブロッコリーが乗ったグラタントースト。これは、すごくおいしかったです。毎月変えているわけではないそうですが、季節メニューを楽しみにしているお客さんもいらっしゃるそうです。


画像ではわかりにくいですが、1階にはブース席があり、案外落ち着いて話せます。2階席もありました。JR神田駅ってあまり降りないですが、降りたときには寄ってみて。

 

神田珈琲園
https://www.kanda-coffee-en.com/


↓このGoogleMAPだと、場所がズレています。
だたしくは、ガード下にあるテング酒場神田東口店の隣です。

 

 

*  *  *  *  *

<編集後記>
現在の純喫茶・レトロ喫茶のブームの、「昭和レトロなインテリアや食器やメニューがおしゃれ」「チェーン店のカフェのような賑わいがない、ゆったりした時間と空間が素敵」というのは否定しません。けれど、本当に大事なこと、今に至るまでのことにもっと焦点が当たればいいのになって思います。
いろいろお話を伺いたいけれど、飲食店はいつお客さんが来るかわからないし、忙しいということで、なかなか伺えないもどかしさがあります。写真で残すこと以外にも、どんな時代を経て来たか、どんな思いで商売を続けて来たか、などについても、少しずつ書き加えたいなと考えています。




コメント