台湾|日本統治時代のこと:木と森と樹霊 (嘉義縣阿里山郷)

阿里山に、日本統治時代に建てた「樹霊塔(シューリンタ―)」がありました。今でも林業の現場では行われているのかもしれませんが、当時も木々の命や魂を敬っていたことが伺えます。木材は私達の生活に欠かせませんが、日本も台湾も森林に守られた国であることになかなか意識が及びません。


山で暮らす台湾原住民の方達は、「国民党時代の教育を受けた漢人にはこうした発想はまったく見られない!!」と嘆いていました。こうした嘆きについては別途記事にするとして・・・・

 

まずは、木々や森が果たしている重要な役割、森林が持つ能力について、簡単に復習してみます。

森林の土は、落葉・落枝などの堆積物や土壌生物を多く含み、木の根が土や石などをしっかりとつかむことによって土の流出や浸食が抑えられ、降った雨の大部分を蓄え、地下水としてゆっくり時間をかけて川に流していく。
こうした仕組みは、洪水や渇水、土砂崩れを防ぐ役割も果たし、土砂の流出は裸地の100分の1~150分の1、雨水の地中への浸透は裸地の2倍とも3倍とも言われている。

浸透の過程では、ろ過や浄化が行われ、岩石の間を通ることによりミネラルを含んでいく。また、多くの動植物や昆虫や微生物の棲み家となり、他の動物の命を繋ぎ、木々も他の種に助けられながら、何百年、何千年と生きている・・・。


これほど完璧な循環システムは、人間には作れないし、仮に作れたとしても延々とメンテナンスし続けられるものではありませんよね。自然の力はすごいなあ、そんなところに「神性」を感じてもおかしくはないよなあ、と改めて思いつつ、ありがたみも、そういう感性も失ってることに気付かされました。書きながら耳が痛い。


日本も国土の70%近くを占める森林があるものの、江戸時代から森林伐採は進み、特にヒノキは希少なものとなっていたそう。台湾の国土の森林が占める割合はおよそ58%、豊かな森林を持つ台湾を統治していた当時の日本は、阿里山のヒノキに出会い、森林鉄道を敷き、営林事業を行うようになったそうです。
阿里山ヒノキはとても質が良く、橿原神宮の神門や外拝殿、東大寺大仏殿、靖国神社の神門、など数々の神社仏閣の建材に用いられ、明治神宮の鳥居にも、かつては阿里山の紅檜が用いられていたとか。
このあたりから運んだのかあ・・と、阿里山森林鉄道にも興味が出てきました。



ちなみに、この樹霊塔にはこう刻まれていました。

1935年、日本人が阿里山を開発し大量の樹木を伐採した際に、
生き物には皆、魂があるとの考えから、この塔を建立し、樹木の霊を慰めた。
一つ一つの輪が年輪を表している(一つの輪が500年)。
脇に刻まれている跡は、伐採の際の鋸の跡。


森林には、人が手を入れてはいけない森林もあれば、人が手を入れることによって育つ森林があるそう。高さのある木を切ったり、枝を落とすことによって、森に光や風が入り、小さな木や草が育ち、豊かになる・・・、そうしたことをちゃんと調査した上で計画的に伐採してきたからこそ、今もこうして美しい森林として残っているそうです。


それにしても、「樹霊」という言葉も概念にも、今では殆ど触れないで育ったのに、言われると抵抗がないってなんだか不思議な気がしますね。



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▼「原住民」という表記について
漢語で「先住民」は既に滅んだ民族を意味しており、台湾では「原住民」という表記が公式に使われています。また、日本語も漢語も理解できる原住民の方々にお聞きしたところ、「私たちは ”原住民” である。そう呼んでほしい」とのことでした。当サイトでは彼らの意思を尊重し、「原住民」という表記にしています。



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