PEOPLE|日本統治時代を知る人たち(台湾)

 台湾には日本語を流暢に話す人や日本人に親切な人が多いことはよく知られているけど、みなさんが日本や日本人に対してはどんな記憶や思いを持っているのか、直接聞いたことはありませんでした。

 

滞在中、日本統治時代を知る世代の方々とお話する機会に何度か恵まれました。強い反日感情を持つ人も当然おられだろうし、抗日事件だってあったわけだし・・と、少し緊張しましたが、まるで親戚の子にでも会ったかのような温かいもてなし。

・・・負の記憶ではないのかな?


「失礼ですが、おいくつですか?」との質問に、「俺?昭和3年生まれ!」
と元気よく流暢な日本語で自己紹介する老紳士。

「私は昭和10年生まれです。日本語はもうだいぶ忘れてしまいました。
 でも、歌は覚えています。」
と、はにかみつつも歌ってくれたご婦人。

年齢を伺うと、何故か一様に「昭和○年生まれ」と返ってくる・・・・。私が台湾の元号がわからないために気を遣ってくださったのかもしれませんが、これはどうも、日本贔屓の人々の特徴のひとつらしいです。

「私達はニッポン人です。
 ニッポンで生まれて、ニッポンの小学校を卒業しました。」

みなさんの口から次々とあふれ出すのは、日本語。
つい最近のことのように鮮やかに蘇るたくさんの記憶。見た目や立ち居振る舞いも日本のその世代の人達と何も変わらないし、自分が台湾に居ることを忘れるくらい。彼らが話してくれた記憶と思いは、こんな感じ。

「日本人は、本当によく働いていた。」

「台湾が近代化して、今のこの豊かな暮らしができるのは、
 日本人が基礎を作ってくれたから。本当に大変な仕事だったと思う。」

「日本人はちゃんと約束を守った。絶対に嘘はつかない。悪い事はしない」

他にも、山奥まで入って道路を作り、鉄道を敷き、駅舎を建ててくれた。ダムを造り、橋を架けてくれた。学校を造り、不毛の地を耕して田畑も作ってくれた。あれを造ってくれた、これを作ってくれた。これを教えてくれた、あれを指導してくれた。あんな人がいた、こんな人がいた・・・と、目をキラキラさせて話してくれました。
もし当時、台湾にいらっしゃった方やそのお子さんやお孫さん、所縁のある方が聞いたら、嬉しいだろうなあ。



そして話は1999年の台湾中部を震源とする921大地震にまで及びました。「日本から来た日本人」について、
 

あのときもすぐに日本から駆け付けてくれた。
たくさんの人と高い技術で、私達を助けてくれた。

自分たちも危険にさらされ、食事も休息もままならないのに、
助けられなくて申し訳ありません、と遺族に深く頭を下げ、
遺体に敬礼していた。
あれが日本人の素晴らしさだ。昔と何も変わっていない。


是非ともこれは記しておきたいのですが、みなさんは自分たちも大きな被害に遭っているというのに、通訳を申し出たり、日本人か好むであろう食事の調達、その他もろもろ、「ニッポン人」だからこそできることを探しては、日本から来た救助隊のサポートをしてくださったそう。
その話は、日本でも何度も耳にしていましたが、みなさん、自分たちからは一切、仰らない。それも昔の日本人っぽい。



一方、国民党時代は本当に大変だったとか。
(だから、日本統治時代の方がマシに思えている・・という側面も)。

日本語の使用は一切禁止され、漢語で統一、泥棒や詐欺も増え、生活環境は急激に変化。日本も終戦後はそうだったように、台湾でも時代の変化についていけなかった人はたくさんいたという。また、ある方は父親としての心情を全て日本語でこう話してくださった。
 

子供達は日本語が話せない。
子供たちは生まれたときから漢語で育ったから不自由はないが、
私達には込み入った話をしたり、感情を伝えられるほどの漢語は
なかなか身に付かない。

台湾語で話はできたけれど、
言語が違うということは受けた教育が違うということ、
考えも習慣も発想も違う。子供達のことをわかってやれてるのだろうかと、
随分思い悩んだ。衝突もした。
子供達も寂しい思いをしてきたのではないか。




ひとつつだけ、彼らに聞いてみたことがある。
ニッポン人として、今でも日本と呼ばれてる地にいる若い世代へ、みなさんから何か伝えたいことはありますか?

私たちの世代の人生は、やっと戦争が終わったと思ったら
国民党が入ってきて、
まるで自由がなくなった。
国のため、地域のため、生活のため、家族のため、

必死で働いてきた。やっと好きなことができる時代が来たと思ったら、
年老いて体がいうこときかなくなってきた。そうなってはいけない。
自分の好きなことをしなさい。人生を楽しみなさい。
そして、悔いのないように。誇りを持って生きること。

大変なことがあっても必ず報われるときは来る。
決して焦ったり、投げやりになってはいけない。時代は変わるんだから。


 

時代の荒波に負けずに生き、力強くも温かいメッセージをくださった”ニッポン人”の父さん&母さんたち。ふとしたときに「自分の親達は幸せだったか」を考えてしまうことがありますよね。特に、過酷な時代だったことをを知ると、なおさら。親って自分は苦労しても子供達には余計な苦労させまいとするけれど、親の苦労は子供心にそれなりに堪えていたりする。たとえそれが自分が生まれる前のことであっても。

死ぬまで生きているんだから、絶対に最期の瞬間まで幸せでいてください、と心から。この時出会えたみなさんのことは、一生忘れない気がする。

ありがとう。




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