1954(昭和29)年3月1日、アメリカ軍の水素爆弾実験が行われました。この実験により、多量の放射性降下物(死の灰)を浴びたマグロ漁船「第五福竜丸」の展示館があります。
館内に入った途端に思わず見上げてしまう全長約29メートル、約140トンの木造船「第五福竜丸」。1976(昭和51)年6月の開館以来、ここに保存され、もうすぐ40年を迎えます。
汚染が進む東京湾にゴミ同然に放置されていた第五福竜丸を見た市民から保存を求める声が高まり、市民と行政の取り組みが広がり、この展示館は開館しました。これを館内に運搬・設置したその熱意と、これほどきれいに残っていることにも驚きますが、同時に第五福竜丸がとても大切にされている感じが伝わってきます。
第五福竜丸は、ここで何を訴え続けているのだろう。
第五福竜丸の被爆は、広島・長崎への原爆投下から10年も経たないうちに起きた3番目の核被害。落とされた原爆とその被害すらよくわからかった当時の日本にとって衝撃は大きく、これが反核運動や、1955(昭和30)年に広島で開催された第1回原水爆禁止世界大会に繋がったと言われています。
1986(昭和61)年のチェルノブイリ、2011(平成23)年の東京電力福島第1原発事故・・・、形は違っても、どれも核被害であることには変わりはありません。。特に福島の原発事故以来、来館者は増えているそうです。
死の灰
第五福竜丸に降った灰(死の灰)の分析は,東京大学、静岡大学、金沢大学、大阪市立大学などの研究室で科学者が総力をあげて取り組みました。その結果27種の核分裂生成物(放射線元素)を検出。アメリカは第五福竜丸の錠船員の治療についての必要な資料の問い合わせにも応じなかったそう。
「死の灰」の分析は治療方針のうえでも重要なものでした。このガラス瓶の灰は、静岡大学の塩川教授が分析に用いたもの。
死の灰を見ると「白=善」というカラーイメージは、ほんと、ただのイメージだと思う。
誰?麻薬も白いとか言ったの (-_- ;) テレビで見てると確かにな・・
まずは、館内にあった説明から。
ごく一部、概要がわかりそうなところだけを文字起こししています。
第五福竜丸の被災:Daigo Fukuryu Maru Suffers
1954(昭和29)年3月1日午前6時45分(現地時間、日本時間で午前3時45分)、マグロ漁船第五福竜丸の乗組員は、西の空が突然明るくなり火の塊をを見ました。数分後、大きな爆発音がとどろきました。3~4時間経つと白い灰が雪のように降り注ぎ、甲板に足跡がつくぐらい降り積もりました。
On March 1st 1954 at 6:45a.m.(local time, 3:45a.m. Japanese standard time)fishermen on the Daigo Fukuryu Maru(abbr. Fukuryu), a Japanese tuna fishing boat saw a sudden light then huge fireball in the west sky. In several minutes an explosion sounded.Three to four hours later, white ashes fell like snow accumulated on the deck enough leave footprints there.
その場所は、マーシャル諸島ビキニ環礁から東に160km離れたところでした。乗組員が見た火のかたまりは、アメリカがビキニ環礁で行った世界で最初の実用可能な水爆「ブラボー」の実験でした。
当時、アメリカはビキニ環礁とエニウエトク環礁で核実験をしていました。しかし、第五福竜丸が操業していたところは、自由に通行・操業できる公海上で、アメリカが定めた危険区域の外側(東30km)でした。
The place of Fukuryu was 160km east to Bikini atoll in the Marshall Islands. The fireball, which the fishermen saw, was a test explosion of the first practical hydorogen bomb carried out by US and called "Bravo". At that time US was implementing a series of nuclear explosion tests at Bikini and Eniwetok atolls.
The site where Fukuryu was fishing was an open sea where any ship should be allowed to operate and navigate, and in fact outward from(30㎞ east to)the eastern boundary of the dangerous region desiginated by US beforehand.
第五福竜丸に降り注いだ白い灰は、放射能を大量に含んだ珊瑚礁の細かいチリでした。「死の灰」と呼ばれています。「死の灰」は、23人の乗組員の顔、手、足、髪の毛やお腹に付着しました。鼻や体内に吸い込まれました。これが付いたところは、火傷の状態になりました。みんな頭痛、吐き気、目の痛みを感じ、歯茎から出血しました。髪の毛を引っ張ると根元から抜けました。全員が急性放射能症になったのです。
The ashes that poured down on Fukuryu were srongly radioactive dust particles made of coral reef and christened "Death Ash".
Death ashes stuck face, hands, feet, hair and abdomen of 23 crewmen and were also taken in their bodies through nose and mouth. Naked skin become burned due to the ashes.
And headache, nausea, pain in eyes, bleeding in gums and falling of bunch of hairs by just pulling appeared to all crewmen as symptom acute radiation disease.
未だに馴れない、慣れたくないシーベルトという単位と数値。
福島で原発事故が起きたとき、「ただちに人体に影響はない」という言葉と共に、「暫定値」という単語が繰り返されました。「何十年も原発を稼働させておきながら、確定値はないのか?」という疑問を持った人も多いのではないだろうか。
これを見てどう思いますか?確定値がないのではなく・・・
第五福竜丸展示館
http://d5f.org/
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<編集の途中で>
福島第一原発の事故があったとき、「自然界にも放射線があって、誰でも浴びています。○○という仕事をしている私達は、普通の人より多く浴びているけど何ともありません。だから怖がらないでください」みたいな(感傷的)ツイートがありました。
数値的にもケタが違い、自然界にある放射線と原水爆で発生した放射線って同じなのだろうか(同じに考えていいのだろうか)と疑問を持った人もいたと思います。
もちろん、このようなツイートしてた方々は善意で発信されたと思うのですが、不安に駆られた人や興奮状態の人を落ち着かせるための方便としての発言ではなく、本当にそう信じて発信を続けていたとしたら?
善意もまた怖いと思いました。
続きます。
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