昭和史|占領期:オキュパイド・ジャパン製品(3)

 前回からの続きですが、随分時間が空いてしまいました。戦後、国民が荒廃と混乱の中で生きるのに必死になっている頃、世界では共産主義が拡大していき、1950(昭和25)年に朝鮮戦争が勃発。日本は「対共産主義の前線基地」への変化を余儀なくされました。

 

聞いているだけでまた戦争かと腹立たしくもなりますが、財閥解体などで力を落とした日本にとって、工業分野を復活する大きなきっかけになりました。

その後も日本を取り囲む周辺の環境は大きく変化していき、工業の復活が日本の独立や国際社会への復帰を早めたとも言えます(「〇〇はするな」と言ってたのに「やっぱ〇〇しろ」となったわけですね)。
戦争によって大きく傷いてつらい思いをした日本が、わずか5年後に始まった朝鮮戦争の軍需景気によって豊かになって、どんどん時代が変わっていく・・、皮肉なものですよね。

金彩が多少剥がれているけど、70年以上前に作られたものとは思えない。

 

焼け野原からスタートし、物資もロクな設備もなく、心身が疲弊しきっている中で作って、梱包して、運ぶまでの作業をするだけでもすごいのに、素敵なものをいっぱい作ってるんですね。
命令も出てるし、生活や復興のため、産業や地域のためにもやらなきゃいけない状況ではあったものの、さまざまなことに挑戦してきたんだろうなと。美意識も現代より全然高いんじゃないだろうか?すごい力強さも感じます。
当時を知る人は、「腹も減っていたけど、精神的な飢えというのか、きれいなもの、文化的・芸術的なものにもかなり飢えていたからね。それだって生きるためには欠かせないものなんだよ」とのこと。

 

柄は、葉っぱからすると「どんぐり」っぽいけど、実は「しいの実」っぽい。

 

それにしても「占領下にあった」ということはどういうことで、長い日本の歴史の中でどんな意味を持つのだろう?これからの日本にどんな影響を及ぼしていくのか。

意味云々以前に、大日本帝国が消滅した後の6年8カ月のことを「占領期」と呼び、それが終わると「主権回復」と言ってます。その期間、この地に”国家”はなかったわけですが、じゃあそれはいったい何だったのか、本来どう呼ぶべきなんでしょうか。
このブログでも便宜上「占領」とは書いているものの、疑問がつきまとっています。「主権」についても多々疑問はありますが、ここでは脇に置いておきます。

下記は、1947年2月20日に発出された「Occupied Japan」の表記を義務付けることを知らせる対日指令書です。
製品は、日本と呼ばれている地で製造されいてるが、その地は「国家」ではない・・・、改めて考えると珍しくも不思議な表記・刻印ですよね。
初めて買ったのは高校生のときだったから、さほど深く考えずにいましたが、それでも「こんなの他の国であるのかな??」等、特殊に感じて色々疑問に思ったのは覚えています。

※ドイツも敗戦によって占領下に置かれたことから、「Made in occupied Germany」の表記が義務付けられていました。日本と異なるのは分割統治だったため、「US Zone(アメリカ合衆国地区)」「USSR Zone(ソビエト連邦地区)」も記載されていたようです。もしその製品とご縁があったときには記事にしたいと思います。

この表記が義務づけられたのは、海外貿易が再開された1947(昭和22)年から1952(昭和27)年の5年間。この間にどれだけの物が作られたのかはわかりません。ただ、こうした不思議な表記・刻印がある製品のその数は限られているため、誰かが残さない限り、消滅してしまいます。


SCAPIN-1535: MARKING OF EXPORT ARTICLES 1947/02/20
文書名:Supreme Commander for the Allied Powers Directives to the Japanese Government (SCAPINs) = 対日指令集
国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/9886692/1/1


読みにくいので一部書き起こすと、

GENERAL HEADQUARTERS 
SUPREME COMMANDER FOR THE ALLIED POWERS


20 February, 1947

Marking of Export Articles

1.  The Imperial Japanese Government is hereby directed to take immediate steps to insure that every article prepared for export after 15 days of receipt of this Directive, the immediate container thereof and the outside package will be marked, stamped, branded or labeled in legible English with the words " Made in Occupied Japan."

2.  All making, stamping, branding or labeling shall be made in a conspicuous place and shall be as nearly indelible and permanent as the nature of the article will permit.


すぐやれ的な感じですよね(笑)。現場は大変だったろうな。


我が家にあるオキュパイド・ジャパン製品はごくわずかだし、高価なものはありません。ほとんどが学生時代に買ったもの。今でもコレクターではないし、蔵があるわけでもないから、探すといってもまったく手間はかかりません。
またダンボールをゴソゴソと開いて探してみようと思います。物はダンボールに入れるためにあるんじゃなくて、使うためにあるんだけれど(笑)。


過去記事
昭和史|占領下時代:オキュパイド・ジャパン製品(1)
昭和史|占領下時代:オキュパイド・ジャパン製品(2)

 

*  *  *  *  *  *
<編集後記>
単に希少というだけでなく、その背景にあるものを想像して、日本人として大切にしていった方がいいんじゃないかと思っています。
70年後に生きている私達が知らないもの、もっと受け継ぐべきものがたくさんあって、もっと話を聞いて、もっと書き残しておくべきだったなあと悔やまれます。
当時のことを知れば知るほど、現代に生きる私達があの時代にタイムスリップしたら、すぐにバテる気がする、そんな過酷な時代です。話してくれる人も少ないけど、聞きたがる人はもっと少ないのです。時間がない・・そんな焦りが常にあります。


オキュパイド・ジャパン~進駐軍ソング傑作選



コメント