神田神保町にはいろいろな名店がある中で、ここ「ラドリオ」さんについては書く必要もないかなあと思いつつ、記録として残しておきます。コロナ禍に加えて、岩波ホールが閉館してから足が遠のいていたものの、「神田古本祭り」に来たついでに立ち寄りました。
戦後まもない1949(昭和24)年の創業、まだ日本が連合軍の占領下にあった時代です。そう思うとすごいですね。ちなみに、日本で初めてウィンナ・コーヒーを出した店としても知られています。
神田神保町にはいろいろな名店がある中で、ここ「ラドリオ」さんについては書く必要もないかなあと思いつつ、記録として残しておきます。コロナ禍に加えて、岩波ホールが閉館してから足が遠のいていたものの、「神田古本祭り」に来たついでに立ち寄りました。
戦後まもない1949(昭和24)年の創業、まだ日本が連合軍の占領下にあった時代です。そう思うとすごいですね。ちなみに、日本で初めてウィンナ・コーヒーを出した店としても知られています。
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前回からの続きですが、随分時間が空いてしまいました。戦後、国民が荒廃と混乱の中で生きるのに必死になっている頃、世界では共産主義が拡大していき、1950(昭和25)年に朝鮮戦争が勃発。日本は「対共産主義の前線基地」への変化を余儀なくされました。
聞いているだけでまた戦争かと腹立たしくもなりますが、財閥解体などで力を落とした日本にとって、工業分野を復活する大きなきっかけになりました。
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外国人墓地というと山手外人墓地が有名ですが、横浜には4か所の外国人墓地があります。他3カ所は、英連邦戦没者墓地(保土ヶ谷区狩場町)、中華義荘(地蔵王廟・中区太平町)、そしてここ「根岸外国人墓地(中区仲尾台)」です。
4つあるのに、ここが”もうひとつの”と形容されるのは、山手外人墓地と同じ区内にありながら、1967(昭和42)年頃まで荒れた状態で放置されたため、あまりに知られていなかったといいます。しかも、連合軍による接収や書類の没収などによって過去のことがよくわからないとか。
渋谷109とヤマダ電機の間に「恋文横丁」と書かれたステンレス製の碑が立っています。終戦間もない頃、代々木公園にあったワシントンハイツに駐在していた進駐軍兵士と恋に落ちた女性たちの”思い”を翻訳してくれる代書屋さんがいたとか。
おそらく他の町にもこうした代筆屋さんは居たと思いますが(佐世保にもいたらしい)、ここを舞台にした「恋文」という小説と映画が人気となったことから「恋文横丁」という名前がつけられ、有名になりました。
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「敗戦」「占領期」は、当時を知る日本人にとって、思い出したくもないような恐怖や屈辱を強いられた時期、複雑すぎて説明が難しい混乱期と思い込んでいました。食べていくのも困難な大変なのに、敵国の兵士が次々やってくるのですから。
同時に、やっと戦争が終わった!という解放感や希望もあり、生活を立て直そう、国としての誇りを取り戻そうとしていた時代でもあった、そう聞いたことも思い出しました。
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「エリザベス・サンダースホーム」という名前は聞いたことがあっても、どこにあるか、いつ誰が設立したのか知らない人も少なくありません。JR東海道本線「大磯」駅の改札口を出ると目の前に現れる木々に覆われた小山にあります。
終戦後の財閥解体で土地と建物は財産税として国に物納されましたが、彌太郎の孫娘である澤田美喜さんが私財の売却や募金を募って買い戻し、1948(昭和23)年、混血孤児のための孤児院「エリザベス・サンダースホーム」を創設しました。