東京|老舗の甘味処であんみつ&揚げまんじゅう:竹むら(神田)

 

神田というとつい神保町の方ばかり行っていて、JR神田駅周辺に来たのは久しぶり。このあたりは、北側の神田川、南側の日本橋川に挟まれた庶民の町で、低中層ビルが密集するオフィス街。西口に降りれば大手町に近く、北口に降りれば秋葉原に近い。


今回は、北口からおよそ徒歩5分、1930(昭和5年)創業の甘味処「竹むら」さんに行ってきました。 太平洋戦争中の空襲で東京、特に下町は甚大な被害を受けましたが、奇跡的に焼け残った数軒の中の1つです。
 

 
戦前は、神田駅前よりも神田須田町側のほうが賑やかな繁華街だったそうで、寄席や旅館などが建ち並んでいたそうです。現在でも、このエリアには、あんこう鍋の「いせ源」、そばの「かんだ やぶそば」、「神田まつや」など、創業100年を超える老舗が営業を続けています。
 



関東大震災後、神田周辺に本格的な汁粉屋がなかったことから開業したそうです。

こちらはお品書き。春~夏は、あんみつ、氷しるこ、秋~冬は、揚げまんじゅう、粟ぜんざいが人気だそうです。


 

暑かったから「クリーム冷やししるこ」を注文したかったのですが、揚げまんじゅうも頂きたかったのでクリームは避けて、「白玉あんみつ」と「揚げまんじゅう」にしました。 寒天が硬すぎず、ちょうどよい感触。蜜は少しでも十分おいしいです。

そして、こちらが揚げまんじゅう。
2個で520円。お持ち帰りメニューもあります。

箸で割ってみましたが、あんこがどっしりしていて濃いのが伝わりますでしょうか。表面はサクサクしていて、甘さは控えめです。


ここに来たら、建築や雰囲気もお楽しみ。
入母屋造り(日本の伝統的な屋根の形状で、城や神社などにも採用される高級感のある建築様式)、木造3階建て。夜だったので細部はわかりにくいですが、玄関灯や窓枠から漏れる光が何とも暖かい感じがしますよね。町にこんな感じの灯が当たり前に灯っていたのって、東京だったら昭和50年代前半くらいまでかなあ。
 

 

ちなみに「鬼平犯科帳」など多くの名作を遺した作家・池波正太郎さん(1923-1990)が足しげく通ったことでも知られています。まつやで蕎麦をいただき、ここでぜんざいを食べ、揚げ饅頭を手土産に買って帰るパターンだったとか。

 


 

 

Retty:竹むら
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建築の細かいところは暗くてよく見えないけど、雰囲気は夜の方が好きだなあ。

 

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<編集後記>
歴史を遡ると、神田は江戸や明治初期までは職人の街でした。このあたりは、カゴを作る職人が数多く暮らし、関東大震災前の住居表示は「東京市神田区連雀町」。物を背負うときに用いるカゴ、背負い子(しょいこ)に付けられた荷縄を指す”連尺”が街の名前「連尺町」だった時代を経て、いつしか「連雀」という字が当てられるように。
「連雀」とはもともと渡り鳥のこと。中世から江戸時代にかけて商人文化が発達していき、特に江戸時代の城下町には連尺を使った行商が多くいたそうですが、その行商達の様子が渡り鳥のように見えたことから、同義語になったという説があります。彼らのことを連雀商人とか連雀衆とも呼んでいたとか。
明治時代には万世橋駅が開業し、多くの市電が発着して交通の要衝になって、繁華街が形成されていきました。関東大震災後の区画整備によって1933(昭和8)年にこのあたりは須田町に編入。ちょうど100年前ですね。
100年でそんな風に町が変わっていくんだなと思ったら、2123年はどんな街並みになっているんだろう?確実にこの世にいないから見られないけど(笑)。



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