東京|新東京ビルヂング/「9人の写真家が見た水俣」展(1)

有楽町駅前の再開発も決まっているし、東京の風景もどんどん変わっていきそうなので撮りためています。今回は「新東京ビルヂング」、1963(昭和38)年第一期竣工、1965(昭和40)年完成。


この時代のビルは角に丸みを付けたものが多い気が。デザイン的な流行か、「尖ったものや鋭さを感じるものを他人様に向けてはいけない」ということに敏感だった昭和らしい感覚か。角に使われている曲面ガラスは当時の最新技術だったそうです。



新東京ビルは、高度経済成長期に入った1950代後半に、赤煉瓦のオフィスビル19棟を鉄筋コンクリートの近代的高層ビル8棟に集約するという「丸の内総合改造計画」で竣工したビルのひとつ。
地上9階建てですが、ビル全体の延べ床面積は10万平方メートルを超えているそうです。


 丸の内の街並みはともかく、ビルに入ったとき、よく言えば「落ち着いている」「重厚感がある」印象だけど、いくらオフィスビルだからといっても華やかさに欠けない?と感じる方もいらっしゃると思います。実際、上京や出張で来て「東京って思ったより地味」と感じたことがある人も。

生まれも育ちも東京だとなかなか気づかないことなのですが、東京って一部を除いて、華美な表現が苦手というか、前面に出すのを良しとしないような空気や、「合理的」「質実剛健」な感じは確かにあるかもしれません。でも、この時代の建物は、中に入って行くと装飾性が豊かなものが多いです。このビルもその典型みたいな感じですね。

 


 エントランスにある石の壁画は、日本の洋画家・矢崎六郎さんの作品「彩雲流れ」だそうです。大理石モザイク壁画の先駆けであり、昭和時代のモダンアートの旗手のひとり。このあたりで見られる代表的な作品は、有楽町にある交通会館のモザイクタイル画でしょうか。
こういう芸術作品や工芸品といっていいような装飾が、こんなに普通に使われていいることに驚きます。

 




 いろいろなところに装飾が盛り込まれていて、よく目をこらさないと気づかないかもしれません。それがいたるところにあって、この空間を創っているのですね。


確かに老朽化や設備、修復・維持管理費用などさまざまな事情は仕方ないのですが、古い、時代後れ、と言って切り捨てるような再開発はしないで欲しいなあと思います。
名前を知られた人の作品も、たくさんの無名の素晴らしい職人さんたちの技術も、忘れずに大事に残して欲しいですよね。

空間ごとに趣きがあって素敵ですよね。
それと、このあたりのビルはオフィスビルだからあまり用はないと思わずに、建築の素晴らしさも見て頂きたいのですが、中にある店舗やギャラリーも見逃せないものがあります。
新東京ビルでは、1階の入り口にある小さなギャラリースペースや、2階の回廊で様々な展示を行っています。今回は「9人の写真家が見た水俣」展が開催されていました。



日本の歴史として忘れてはいけないもののひとつだと思います。こう書くと”既に終わったこと”みたいに聞こえてしまうけど、その終わりはまだまだ見えません。一体終わりってどこなのでしょう?
日本の敗戦後の復興や高度経済成長は類まれなるものであり、欠かせないプロセスであったと思います。けれども、それはこうした悲しくつらいことによって成り立っていたという現実があることを、忘れてはいけないと思います。
「この時代の建物っていいよね」だけで済ませたくない自分がいます。


続きます。
東京|新東京ビルヂング/「9人の写真家が見た水俣」展(2)


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<編集後記>
今後の再開発について「大丸有(大手町、丸の内、有楽町)にはアートが足りない、アーティストが共存できるようにする必要がある」という有識者の声もあると聞きました。どこ見てんねん?こういうのを壊しながら言うことか?と思ってるのは、私だけではないと思うっ。
アートをすごく特別扱いして「これがアートです」っていうのもいいけど、日常に溶け込んでいるものはアートではないみたいな考えってどうなんだろう?という疑問が長らく拭えずにいます。そうして、マルセル・デュシャンなどの難しい本に手を伸ばしては、わけわからなくなって苦しむのですが。



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