JR東日本の路線網の中で最南の「伊東」駅。JR東海道線は 熱海から沼津へ向かう本線と伊東行の伊東線に分かれ、伊東から以南は伊豆急行になるのですが、特にホームや改札を分けているわけでもなく、下田までSuicaが使えます。
伊東駅の駅舎は、1938(昭和13)年12月15日、鉄道省の伊東線が網代駅から開通したときに建てられたもの。2025(令和7)年の時点で、築87年。まだまだ現役です。
当時はこういうデザインが流行っていたのかな。大磯駅もこんな感じ。 |
1938(昭和13)年というと、日中戦争が泥沼化し、「国家総動員法」が制定され、戦争遂行のため、国民生活や資源が軍事目的に政府によって広範に統制された頃。ネオンサインが制限され、重油やガソリンが切符制になり、木炭自動車が登場。綿糸、砂糖、マッチなどの生活必需品の不足が深刻化。軍需工場に女性が動員されるなど労働力の徴用、物価高騰と耐乏生活、相互監視の社会、かなり息苦しい時代だったようです。
日本の外では、ヒトラーがウィーンに入り、オーストリアのドイツへの併合を宣言など、暗い時代に入っていました。
そんな時代に作られたからか、駅看板の上の窓のあたりだけ見ると何だか社会主義国の建物みたいな雰囲気ですよね。
87年も経つのに、修理や補強はもちろん時代に合わせた設備を整えたり、さまざまな手入れをしつつ、大切にされている感じがいいですよね。東京では「老朽化」を理由に高度経済成長期に建てたものをどんどん解体しているから、不思議な感じさえしてしまいます。
ちなみに、戦後は4年間程度、伊東駅から広島県の呉駅間にはイギリス連邦占領軍専用の休暇列車「BCOF(British Commonwealth Occupation Force)train」が運行していたとか。
そして高度経済成長期に整えられたであろう駅前の商業ビルと、かつてはタクシーがいっぱいだったであろう駅前ロータリー。平日なのに、シャッターは締まり、空室も目立っていました。
かつてのような賑わいはないものの、移住ブームもあって、都市部からの移住者も増えてきているそうです。
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【編集後記】
いつかこのあたりも再開発されるのかなと思ったら、もう少し写真を撮っておけばよかったです。 雨が降ってきてしまったからやむを得ず・・だけど、雨にも負ける、風にも負ける、それで記録ができるか!とちょっと反省しました。ちなみに、東海道線の大磯駅、横須賀線の久里浜駅、鶴見線沿線や相模線沿線などこうした駅がまだまだ残っています。(建替えられたものもありますが)。新しくできた高輪ゲートウェイ駅との差にくらくらしつつも、撮影して残しておきたいと思います。
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