「国防婦人会」って大阪発なんですね、知らなかった。ドラマや漫画では、割烹着に襷掛け、厳しく近隣を監視し、悲しむことさえも許さない、 軍国主義を信奉する厄介な主婦軍団という描かれ方も少なくありません。ただ、当時の写真を見ていると「世話好きでよく働くおかあちゃん達」にも見えてきます。
当時の女性たちは「結婚前は親に従い、結婚したら夫や舅・姑に従い、老いては子に従い」で本当に自由がありませんでした。ただ、「お国のため」といえば家を空けることができたし、ひたすら善意だった人、やりがいを感じていた人もいたといいます。軍は女性達のそうしたものさえも利用したとか。戦争の恐ろしさはこんなところにもあるのかと思いつつ、「女性の生きづらさ」という意味では21世紀に生きている私達にも通じるところがあるように思います。
ところで、国防婦人会とは?
1932(昭和7)年に大阪で結成された婦人団体で、「国防は台所から」をスローガンに掲げ、出征兵士の見送りや残された家族のサポート、傷病兵や遺骨の出迎え、慰問袋の作成・発送、陸軍病院などでの洗濯などの活動をしていました。
婦人会という組織そのものは、国防婦人会ができる前からあり、後に統合されていきます。
- 愛国婦人会
1901(明治34) 年、日清戦争に出征した兵士の遺族や負傷して障害を負った兵士(廃兵)の救済を目的に発足。主に上流階級のご夫人を中心に、比較的裕福な家庭のご婦人が多く、慈善活動を主としていた。 - 大日本連合婦人
1931(昭和6)年、 文部省が後援する団体として発足。義務教育の普及に伴って、学校教育への理解と家庭教育の振興を掲げ全国組織に発展していった。
国防婦人会が発会した背景として、発会前年に起こった満州事変に対する「献金」があったよう。はじめは庶民たちが慰問のため行っていたようですが、全国に広がり、組織や地区単位で「国防」のための献金へと変わり大ブームになっていったとか。
また、発起人である安田せいという女性が、大阪港から上海へ出征する兵士たちの中に、見送りがいない若者たちの姿を見たことも契機となったとも言われています。
最初は、割烹着を着て旗を振って出征していく若者を見送ったり出迎えたり、港でお茶を振舞ったり、街で献金を呼びかけたりするくらいだったそうですが、のちにこの見送りや出迎え奉仕は、国防婦人会の地位を最も押し上げた活動のひとつとなりました。
国防婦人会が発会したときは40~50人程度だったのに、翌年には市内で15万人、大阪、東京、神戸、姫路、京都、岡山、鳥取にも支部ができ、翌々年には全国で100万人、愛国婦人会、大日本連合婦人会等と統合されて「大日本国防婦人会」として全国に拡大、1941(昭和16)年には1千万人になっていたそうです。
▼参考:1935(昭和10)年の女性の人口約3,452万人
e-Stat|政府統計の総合窓口 全国,都道府県(大正9年~令和2年)
https://www.e-stat.go.jp/dbview?sid=0003410379
それにしても何が彼女達を動かしたのだろう?
冒頭にも書いたように、まったく自由もなく地位も低かった当時の女性達。参政権もないし、結婚相手も親が決める、少し田舎に行けば「嫁を貰うのは馬を買うより安い」などと蔑まれていたといいます。時代はどうあれ、たとえ小さいことでも自分の意思で決めたいし、一所懸命になれるものや場所は欲しいもの。
「お国のために」と同じような立場の人達が集まれば、そこは公共的な活動の場になり、同じお茶を入れる作業をしても、家で入れるのとは全く違う感触がある、人や社会の役に立っている、仲間意識も生まれる。どれもすごく新鮮な体験だったに違いない。
周囲に従うばかりの窮屈で抑圧的な日常の疲れが癒やされた人もいたかもしれない。国防婦人会の活動や場所自体が心の拠り所になっていたかもしれない。
こうなると「社会進出」「女性解放」といってもいいくらい。
そう考えると、ドラマに出てくる怖くて厄介なおばさんたちではなく、「なんだ、普通の女性達じゃないか」と思えてきます。もちろん、みんなが意気揚々として活動していたわけではなく、仕方なく、何となく、という人もいたと思います。そんなところも含めていたって普通な気がします。
ところが、その裏で陸軍は、彼女達を国民の生活や思想を統制するために利用していたといいます。
子供生んで育てて、人の世話をして、家事をやって、銃後の戦争協力をして、地域の監視もしてくれる、しかもやりがいを感じて懸命に働いてくれる、夫や子どもが戦争の犠牲になっても反戦感情を抱かないように女性が女性を教育できる・・・。
当時の女性たちは既に他者に従うことに慣れていたから、軍にとっては扱いやすかったのではないかと。命令はせず、感謝状を贈るなどして持ち上げて使っていたというあたりもすごく嫌ですよね。その頃の女性達は文句を言われることはあっても褒められることもなく、日常を送っていたのですから、褒められり感謝されればもっと頑張ってしまうのがわかっていたわけでしょう?
承認欲求を刺激して動かす、ぞっとしますよね。想像しただけでむかつきますよね。
日中戦争、太平洋戦争と戦争が続いて泥沼化していくと、国防婦人会を取り巻く環境も役割も大きく変わっていきました。おそらく、彼女たちが怖い主婦軍団と描かれるのは、このあたりからだと思います。
最初は意欲的にやりがいを持って活動していた彼女達も、自分を自分で、あるいは互いに抑圧していくようになってしまいます。
長くなるので、別記事に続きを書きます。
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