2025-03-27

大阪|ピースおおさか(2):庶民の暮らし

 

偶然、大阪に訪れたのは3月13日。そう、大阪大空襲(一次)があった日でした。予定を組んでいるときにふと思い出したので、何とか時間を作り、追悼と学ばせていただく気持ちで、「ピースおおさか 大阪国際平和センター」に立ち寄りました。

本当に駆け足での拝観となり、画像も説明も不足した記事になりそうですので、詳細はピースおおさかのHPをご覧いただいた方がよいかもしれません。また、前回も書きましたが、見てつらい気持ちになりそうな方は、ご無理なさらず、他のジャンルの記事をご覧いただくか、またのご訪問をお待ちしております。

 


前回記事にも書きましたが、1981(昭和56年)、社会福祉会館で小さな資料室からスタートし、現在は展示室が3フロアもある資料館になっています。1987(昭和62)年に、大阪府が「基本計画」を策定し、翌年に、財団法人大阪国際平和センター設立 基本財産2億円、大阪府・大阪市が1億円ずつ出捐。愛称が「ピースおおさか」になり、1991(平成3)年に、ピースおおさか(大阪国際平和センター)開館します。

設置理念はこちら

30年以上前に書かれたこの理念の文章には、これまでや、これからの世界の状況を危惧しているような部分があります。

今日の世界は、なお多くの戦争の危機をはらんでいます。
それらが局地的紛争から世界的規模での戦争に拡大する危険性は
決して少なくありません。
軍事技術の発達と人類を絶滅させるに十分な核軍備の存在は、
それらが使用された場合には、
かつての世界戦争の惨禍を越える被害をもたらします。

(ピースおおさか 設置理念より)

 

2015(平成27)年にリニューアルオープン。大阪空襲を中心に取り扱うようになったのはこの時からだそうです。

2階がエントランスになっていて、そこロッカーがあるので不要な手荷物を預けることができます(数は少ないです)。歴史が苦手だった人や、そうした勉強から少し遠ざかっている人でも安心、わかりやすいよう展示も工夫されていますが、ミュージアム展示ガイドアプリ「ポケット学芸員」を利用して聴くことも可能です 。

 

空襲で町が焼けたというのは、どういう状況のか。大きなパノラマ写真のお出迎えです。少し進むと、日清・日露戦争から太平洋戦争までが年表になっています。歴史が苦手だった人にもわかりやすく工夫されています。

 

 

 当時の写真を丁寧に集め、解説も日本語と英語で付けてあります。
平日の昼間だったこともあって、来館者は少なかったけれども、外国人の方も数人来館されていました。

当時の学校で使われていたのと同じ形の机と椅子。
天板をパカッと開けて物を入れるタイプの机、ありましたよね。ここでは、それを展示に利用しています。

 

戦争が始まると、子供たちへの教育も大きく変わりました。尋常小学校とは、明治から続いていた初等教育機関。現在でいう小学校で、義務教育として初等普通教育を施していて、科目には「修身」がありました。
修身については現在も色々言われておりますが、それがどうだったかは、戦前と戦後を比較できる世代でないとわからないことが多い気がしています。なので、個人的にはそれについては語れないので、是とも非とも言えません。今の時代には合わないかもしれませんが、当時どうだったかは別の話ですものね。

1941(昭和16)年の4月から、国民小学校に変わったことにより、戦時体制下の教育になりました。本当に子供にこんな教育をするのか?というような、今では考えられないカリキュラムです。
聞いたことがあるかもしれませんが、女の子も敵兵が上陸して攻めて来たときに闘えるように薙刀を持って訓練をさせられたりしたそうです。軍人相手に敵うわけないのだから、逃げることを教えるべきでは?と思いますが、もう既にそういう空気ではなくなっていて、軍国少年、軍国少女にさせられていったわけです。
この教育を受けた世代の方が、「教育」ではなく「狂育」と憎々しく言っていたのに、おかしいと思いながら抵抗できない感じが強く表れていますよね。


 

本当に何から何まで戦争のことばかりで、本当に「戦争一色」。
広告も、当時人気だった、日本漫画界の先駆者・横山隆一さんの漫画「ふくちゃん」も使われていたことに心が痛みました。(ちなみに横山隆一さんは、横浜名物の崎陽軒の「シウマイ」のしょうゆ入れ「ひょうちゃん」をデザインした人だそうです)。

 
これ、現代に置き換えたらどうでしょうか?
ポケットから次々兵器を出すドラえもんとか、国民の命や財産や鍋釜まで取り上げて敵に放つドラゴンボール悟空のポスター・・・・、想像しただけで何て嫌な時代なんだろうと思いますよね。子供に人気のキャラは使わないで欲しいけど、それも平和だから言えることだとわかりつつ。


 

贅沢は敵!の時代ですから、 着るものもこうなります。ほんの20年くらい前まで、都会は大正ロマンだ、大正モダンだと華やいでいたのに、です。先のことはわからないとはいえ、その頃、誰がこんな時代を想像したでしょうか? 

 

そして、戦地に送り出すときは華やかに。贅沢は敵と言っている時代にこれですよ??

「お国のために」命を落とすことが賞賛され、父親や夫や兄や弟、息子を戦地に見送るのはどんな思いだったか。もう生きて帰ってこられないことを前提に、最後に身内として華やかなことをしてやりたいというのもあったかもしれませんが、それなら他のことでしてあげたいですよね。
華やかな送り出しは、親がそうしたいというよりは、おそらく社会的なものや世間的なものが大きかっただろうと思います。 


本当なら、行かせたくない。どうしても行かなくてはいけないのなら、無事に帰ってきて欲しい。けれども、そんなことは一切口にも出せず、態度にだすこともできない空気。

武運長久を祈って作られたお守り「千人針」は、出征する兵士が戦場で敵の弾に当たらないように、また無事に帰還できるようにとの願いを込めて作られていたというから、言葉にできない願いを糸に託したということか。そんなところでしか気持ちを表現できないのはあまりにむごいと思いますよね。

 

 

当時を知る人は、ドラマや映画で「バンザーイ」と言って列車を見送っている描写について、あんなの嘘だ!と言います。バンザイを言ってる人なんかいないと。

まだ戦争初期の頃にはいたかもしれないが、普通の人が赤紙一枚でどんどん兵隊にとられれるような頃にはみんな泣いていたと。もう会えない覚悟なんてできるものではなく、堪えきれるものではないと。それでも声を上げたり、行くなとか、生きて帰ってこいなんて言葉にしたらその場でひどい目に遭うことがわかっていたから、みんな俯いて泣いていたと。駅から家に帰るまでどのように堪えていたのか、どうやって帰って来たのか、覚えていないほどつらかったと。
(その人は大好きなお兄さん2人と、かわいがってくれたお義兄さんを見送っている)


息子さんとの別れがつらく、泣きながら走る列車を追いかけた女性が憲兵に引き留められ、その場で殴打されたところも見たことがあるそうです。顔が腫れ上がるまで殴ることはないだろうし、戦地に送られる側からしたら、最後に見た家族や友人の姿が、憲兵にひどい目に遭わされている姿だったとしたら、たまったものではないのに。
そんなこともわからなくなる、何とも非情な、狂った時代だったと。

 

庶民の暮らしも今とは想像ができないくらい貧しいものでした。 

灯火管制として、夜間に来襲する敵機に対して、航路の判断、目的地や目標等の認知を困難にさせるため、一定地域において消灯、減光、遮光、漏光制限などを行っていました。

各世帯で灯火を各自で処置する各個管制と、発変電所で統一的に電気の供給を断ち切る統一管制がありましたが、後者は産業面を考えると色々と不都合が多いので、各世帯で制限をすることが多かったようです。こうして照明器具に黒い布を掛け、雨戸を閉めたりしていたそうです。女の人は夜に針仕事をすることが多かったと思うので、本当に不便だったと思いますが、何より灯のない部屋にずっといるのは精神的にも堪えそうです。

あと、犬の鳴き声もだめということで、飼い犬が処分されたお宅もあるそうです。

 

庶民の暮らしは厳しくなるばかりなのに「日本は勝っている!」と連日伝えられていたそう。 前出の当時を知る人は、「勝っているのにおかずのひとつも増えないの?」と母親に聞けば、その分を兵隊さんたちに送っているからだよと言ってたのに、兵隊さんたちの殆どは餓死だったと戦後に聞いたとき、本当にとことん騙されていたな、と思ったそう。

 

*  *  *  *  *
【編集後記】 
「本当のことなんて、戦争前と戦争中は絶対にわからない。戦後しばらくして生活を立て直してからでないと知ることも語ることもできない。その頃には記憶違いも出てくるから、どこまで本当かわからない。伝えるって簡単じゃないんだよ」という言葉が頭の中で繰り返されます。それでもそういうものがこれだけ集まった資料館は、実にエネルギッシュ。

今、スピリチュアルブームで、ネガティブな情報は見ないことがよしとされているので、私みたいに戦争体験を聴いたり資料館に足を運ぶ人は、ネガティブエネルギーとか負のオーラとやらでいっぱいなんだと思います(笑)。
まあ、うなされるときもあるくらい、つらいものが多いけれど、もう戦争はしたくない、亡くなった人たちを供養したい、未来の子供たちのために平和な世界を作りたい、という強い思いもネガティブなんだろうか?そういう時代を生きた人達に、すごい力や光を感じないのだろうか。歴史や社会問題を知ることは大事ではないのだろうか?
それならネガティブでいいかな(笑)。