台湾|機内からの眺め:桃園台地埤塘

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離陸してから3時間が過ぎ、台湾が見えてきました。この後、窓からたくさんの埤塘/陂塘(ひとう/ピータン=貯水池)が見えてくると、台湾に来たなあという感じがします。


今回は天候に恵まれなかったけど、お天気のよい昼間や風景がオレンジ色に染まる夕焼けの時刻は、空を映した水面が光ってきれいですよね。同じように思った方、いらっしゃいますかね?

 

桃園の埤塘
空港付近にありがちな田園風景だけど、なんでここは水田も貯水池もこんなに大きさも形も間隔もバラバラなんだろう?しかも、結構な数あるよね、何だろうなあ・・と思っていたので、今回、ちょっと調べてみました。普通の人があまり興味を持たないであろうことも調べて記事にしてしまうのが、このブログです。

これが埤塘(ひとう)。慢性的な水不足だった地を豊かな水田に変えた。
 
 
これらの埤塘は、18世紀(清朝の時代)に原住民(平埔族)と漢人、客家人の農民たちが開墾を始めて灌漑用に造った水利施設。1741(乾隆6)年に最初の埤塘を完成させて以降、福建省や広東省からの開拓民の入植がピークを迎えた清代後期は、1万ほどあったといわれています(現在では3,000ほど)。
そして、日本統治時代に水路との大規模な再編成が行われました。

降水も河川の水も当てにならない土地だった。
 

1895年に埤塘を繋いで大用水路を建設する構想があったものの実現しませんでしたが、1911年に襲来した2つの大型台風によって台北盆地に大水害が起きたのを機に河川の全面的な調査が行われました。その結果、新たな治水計画が立てられ、台湾総督府は1916(大正5)年から灌漑工事を実施。その測量や調査を担ったのが、台湾総督府土木局で当時最年少だった八田興一技師(1886〜1942)。設計と施工、監督は狩野三郎を中心とする若手技術者たちでした。

八田興一技師というと、不毛の地として放置されていた嘉南平原を台湾最大の緑野に変えた人物として知られていますが、まだ若い時に担当した工事のひとつがこの桃園の埤塘なのだそうです。

地質は赤土と礫層。台北の土がこんなに赤いとは。

 

大きなダムを建設せず、雨水や河川も水路も埤塘(貯水池)も、あらゆるものをうまく活用して水を引き込んで貯水量を増やしたこの工事は、世界的にも例を見ないものなのだとか。

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1980年代の急速な工業化や人口増加に伴い、埤塘の数も3分の1ほどに減少しましたが、それまでに形成された生態系や独自の文化はまだまだ守られており、現在は親水公園もできているそうです。改めて地図を見ると、思った以上に埤塘だらけですね。 


日本統治時代の建築には目が行っても、インフラまではなかなか気づきにくいですよね。
気づいても、残っている建造物が地味であったり、行きにくいところだったり、スケールが大きすぎたり、土木や建築の知識がないと、用語ひとつとってもイメージすらできず。たとえば、「暗渠」「開渠」なんて普段の会話では使わないので。それだけにとっつきにくいし、本当のすごさはわからないのですが、知識があるが見たらどう感じるのかなあと思います。

 

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【編集後記】 
土木のことはわからないとはいえ、ほんの少し知るだけでも、日本統治時代を知る台湾の方々から「日本人が造ってくれたから、台湾の近代化が進んだ」とおっしゃっていただけるのかなとは思う。とはいえ、実際に現場で厳しい条件下で過酷で危険な労働をした人たちの中には、かなり多くの原住民を含む台湾の人たちがいたこと、労働をさせられた、非常に低賃金だったなど、つらい話もあることを忘れてはいけないと思う。


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