台湾|加害の歴史を知る:台湾初の平和と女性の人権資料館「阿マの家」(台北市大同區)(5)

台湾初の平和と女性の人権資料館の記事の続編です。普段アクセス解析はほとんど見ていないのですが、久しぶりに見たら「阿マの家」関連の記事に思った以上のアクセスがあり、驚いています。


これまで台湾で慰安婦問題がどのように継承されているかという視点で書いてきましたが、一方で日本側はどうであったのか、今回はそのあたりに触れたいと思います。これまでとはまた違うしんどさがあると思いますので、つらくなりそうな方はまたのお越しをお待ちしております。


以前の記事で、1992年に伊東秀子元議員が防衛庁の図書館で3通の電報を見つけたことを皮切りに、台湾で調査団体が立ち上げられ、日本政府の関与や被害者の実態調査など、事態の究明が進められたと書きました。

ちょっと調べたところによると(不足や間違いがあったらすみません)、日本政府は1993年の「河野談話」で「旧日本軍の関与の下、慰安婦にさせられた女性たちの名誉と尊厳を深く傷つけた」として反省と謝罪を表明しました。
それにも関わらず、2015年に安倍元首相と朴槿恵大統領の間で行われた日韓合意では、日本側は追加拠出をし、韓国側は「今後、韓国は慰安婦問題について非難、批判することは控える」といった声明を発表しました。河野対談から離れた内容が締結され、各国の人権団体や慰安婦問題研究者から強く非難されることに繋がりました。
2017年、韓国の文在寅大統領が「この合意で慰安婦問題が解決されない」ことを改めて表明しました。

これは日韓の問題ではあるものの、こうした動きは台湾にも影響はあったと思います。
慰安婦問題に限らず、反省や謝罪は被害者の回復には必要だと思いますが、心の傷を完全に癒してくれるものではないとはいえ、、本人が存命のうちにどれだけ働きかけられるのか、いつかどこかでつける区切りはどうするのか、非常に難しいところだと思います。
謝罪というのも難しく、「謝罪した後のこと」についても考えなければいけないし、口先での謝罪だと思われたら、さらに相手を傷つけることになってしまいます。
 

 

賠償については、政府による賠償金は既に支払われているような印象ですが、賠償金は日本の民間からの寄付金をアジア女性基金という財団法人を通じて被害者に送られました。しかし、台湾と韓国では多くの被害者がこのお金の受け取りを拒否しています。日本のこうした対応が、韓国でも台湾でも「日本政府は責任逃れをしている」という反発を招く事態となってしまいました。
ただ、1965年に成立した日韓請求権協定によって「過去の出来事に遡って賠償金を請求することは認められていない」ため、募金という形を取ったとされています。

賠償金や慰謝料というのは本当に難しいものだと思います。
たとえば離婚の慰謝料レベルでも請求すれば「不幸に乗じて金儲けをしようとしている」「高すぎる、恨みを募らせてブン取ろうとしている」といった批判が外野からも出たりします。
時間を巻き戻すことも現状回復することもできないので、被害者に対して司法ができることは賠償金や慰謝料といった金銭の話が中心になってしまいます。なのに、世間の関心はどうしても「お金」にいきやすいのは事実です。

彼女たちが余生を賭けて他国の政府と闘うのは賠償問題のためだけでなく、無念の思いを残して亡くなっていったたくさんの女性たちの分も含めて、正義を勝ち取るためなのですが、そこが難しいところです。

 

解決とはどんな状態なのだろう?

 

 


日本の学者や政治家の中には、1990年代に入ってから次々と発表された元慰安婦たちの証言に対して、捏造だ、作り話だという声を上げた人たちがいました(今でもいると思う)。

「当時の日本軍だけが従軍慰安婦を連れて行ったのではない。もっと昔から他の国も制度であり、アメリカやドイツなど他国の軍にも慰安婦がいたことが確認されている。」
「慰安婦は、民間の斡旋業者によって集められた売春婦で、日本軍は高い賃金を支払い働いてもらっていた。自ら志願して働いていた人が大半である。若い女性が自分の意志に反して慰安婦になったケースもあるが、それは貧困ゆえに親が娘を売った場合などであり、いずれにしても日本軍は関与していない。」
「戦時中の日本軍による暴行などもなく、強制連行もなかった。でっちあげだ」など。

 これに加え「吉田証言」が、でっち上げ論に拍車をかけました。
吉田証言とは、吉田清治氏がベストセラーにもなった「私の戦争犯罪」という著書の中で、戦時中に慰安婦の強制連行に携わっていたと証言し、朝日新聞が吉田氏にインタビューをして大きく報じられました。しかし、20年ほど経った頃、吉田氏は「お金目的で捏造した(慰安婦の強制連行は、虚偽の証言であった)」と自ら認め、朝日新聞も追加調査を行い、誤報であったことを公式に認めています。


この虚偽を認める証言があったからといって「慰安婦の強制連行はなかった」と言い切るのは弱すぎますが、強制連行があったとしても、証拠などは今更揃えようがありません。裏付ける材料が乏しいうえに、時間が経過してしまい、ますます証明も継承も難しくなってしまっています。事態は、私たちが考える以上に複雑な気がするのに、時間の経過や時代・世代の変化によってますます難しいものになっている気がします。

慰安婦問題や徴用問題を考える際、「強制だったか、自発的だったか」が論点になりますが、重要なのに忘れられがちなのが「当時の台湾や朝鮮の人たちが、日本人と対等な立場にあったのかどうか」という点だと思っています。
この点を無視してしまうと大事なものを見落とすというか、植民地統治には、どうしても構造的な問題があるからです。

 

 


こうした意見や誤報など様々な出来事が起こるたび、強く大きく声を上げてきたのが韓国なので、やはり日本と韓国の間のことばかりが目立ってしまうのですが、日本政府の態度について台湾の元慰安婦たちも、黙っていたわけではありませんでした。

そして現在も、台湾では慰安婦についての調査や研究は進められています。

海南島では、日本軍が慰安所建設だけでなく運営にまで関わっていた?

 

また、各国の女性団体の努力により、国連人権委員会はすでに、日本軍の慰安婦を一種の「軍隊の性的奴隷」と認め、人権を侵しているうえに、婦女子の人身売買を禁じる国際法にも違反した戦争犯罪だとしています。 

この問題、政府としてはどうするのでしょうか?
そして私たち日本人はどう捉えて、どのように継承していけばいいのでしょうか?

館内には小さな図書コーナーがあり、女性の権利関連の書籍が並べられていた。

日本語の書籍もありました。水木しげるの漫画「姑娘(クーニャン)」も。


戦時性暴力は現在も世界の紛争地で繰り返されており、多くの女性だけでなく、幼い少女たちまでもが犠牲となっています。阿マの家では、展示資料の多くが日本軍による慰安婦問題のものですが、現代社会におけるさまざまな女性差別と性暴力に苦しむ女性たちについての展示もしています。こんなときどうすればいいんだろう?と一人で悩みを抱えてしまいがちな問題についても考える機会を与えるような工夫もされています。
 

日本軍のことを書いた後に書くのは抵抗がありますが、悲しいことに、1980年代の台湾では、女性の人身売買は非常に深刻な状況だったそうです。古い家族観により、子どもは親の所有物とされていて、経済的な事情で、多くの少女が親によって身売りされ、性産業に従事させられていたといいます。原住民の少女たちが多かったそうです。本当にこうしたことはなくならないというか、途絶えることすらありません。
でもね、館内には書いていなかった(と記憶していますが)、1980年代って台湾に出張に来る日本人も増えていた時代です。遡れば、1960年代の日本の経済成長とともに、日本人女性の身売りの悲劇は減っていったものの、東南アジアへの売春ツアーが盛んになり、批判を浴びました。

戦争加害の歴史とは違いますが、そのことにも別記事で触れたいと思います。
 

 

*  *  *  *  *  *

【編集後記】
慰安婦問題については「すべて強制連行だった」とも「すべて本人の自由意思だった」とも言えません。当時の慰安婦の集め方には、本当にさまざまな形態があり、本人が自由に選択できる状況ではなかったケースも多々存在したため、被害者本人からすれば「強制性があった」と主張する十分な理由があったと感じざるを得ませんでした。
阿マの家関連の記事では何度か「当時の台湾人の立場」という構造的な問題にも触れてきましたが、男性の中には「女性の体を資源・資材」のように考えている人達がいることも大きく影響したと思います。非常に腹立たしく感じますが。
今でも女性の権利は守られていると言い難いけれども、本当に昔の女性たちはひどい目に遭ってきたと思います。戦時中から数えてもまだ100年も経たない間に随分変わったとは思いますが、それでもまだまだ・・・。

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