台湾|台灣鐵路:集集線「集集」駅(南投縣集集鎮)

 

台灣鐵路・集集(ジージー)線の「集集車站」こと「集集」駅。
台湾のローカル線の旅には外すことのできない集集線は、彰化縣「二水」駅と南投縣「車埕」駅の間の7つの駅、わずか29.7kmの区間を走る非電化の単線。しかも行き止り線。

ここが駅のホーム。

集集線で、唯一残ってる日本統治時代の面影を残す駅舎「集集」駅は、1933(昭和8)年竣工のヒノキ造り。


台湾の鉄道の歴史

  • 1887年に、清朝政府によって建設されたことがはじまり。
  • 1894年の日清戦争後、日本統治時代に入ると日本政府主導のもと、急速なインフラの整備が行われたそうです。中でも鉄道は、かなり力を注いだ分野の1つ。そのため日本の在来線と同じレール幅(1,067mm)。



鉄道は、生活や観光に欠かせないものだけど、同時に日本統治時代と台湾の近代化の歩みを身近に感じることができる遺産のひとつ。残念ながら、現在は、日本統治時代に敷設された他の支線はほとんどが廃線になってしまい、残っているものは意外に少ないそうです。



集集線について
もともとは、1921(大正10)年に水力発電所(門牌潭発電所:現在の大観発電廠)の建設資材輸送のために敷設された専用線。翌年に、水力発電所へ建築材料を輸送するため、台湾電力株式会社の駅として集集駅が開業。

  • 1927(昭和2)年、台湾総督府が買収、交通局鉄道部の駅になる。日本でも私鉄の買収が起きていた頃。
  • 1945(昭和20)年、日本の敗戦により、中華民国台湾鉄路管理局所管に。
  • 次第に周辺住民の生活や農産物や木材など物資の輸送にも使われるようになったが次第に利用者数の減少により、1991(平成3)年に招呼駅(無人駅) に。

 


921大地震と集集駅
集集駅がある集集鎮は、1999年9月21日の台湾の大地震の震源地だった場所で、このとき集集線は廃線の危機になるほどの大きな被害を受けてしまいました。
利用客が少ない駅にも係わらず、関係者の尽力により、言われなければわからないほど見事に再建されました。
再建にあたっては、なるべく元の建材を使うようにしたそうです。幸い、日本製の瓦は粉々になることなく、きれいにすっぱり割れたため、それをひとつひとつ拾って附番し、繋げていくことができたとか。そして、2002年に復旧!非常に根気のいる作業だったと思いますが、

だから日本製の方がいいんだ!!
(`Д´)ノ(`Д´)ノ(`Д´)ノ(`Д´)ノ(`Д´)ノ


と、また、どこかから聞こえて来そう。
(By統治時代に育ったニッポン贔屓のおじいちゃん達)


途中下車して緑のトンネル「集集綠色隧道」へ。
集集線の線路沿いに走っています。12月中旬でこの緑の多さ。さすが、台湾!シーズンオフの平日なので、ガラガラでしたけど、週末は渋滞するそうです。

「集集」駅と、隣の「龍泉」駅の近くにレンタサイクルのお店があるので、借りてサイクリングを楽しむことができます。
1台で100元くらいだったように記憶しています。

 

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