東京|昭和の団地がある風景:青山北町アパート(青山3丁目)【解体】

消えてしまうことが確実な風景、今回は「青山北町アパート」。
最寄駅は東京メトロの「表参道」。終戦後初めて建てられた都営住宅だそうです。


明治時代は集合住宅というと「長屋」、20世紀の初め頃に積層の集合住宅(アパート)が登場。欧米の影響や産業化、都市部の人口増加など様々な事情があって生まれた集合住宅は、構造や間取り、設備や規模などを変えながら、暮らしや社会を創ってきました。

私の知人は、きれいな分譲マンションに住んでいても「コンクリ長屋」と言ってますが(笑)。



明治33年に東京府青山師範学校がここで開校。その後もいくつかの学校として使われてきたそうですが、1945(昭和20)年5月の空襲によって、このあたりは焼野原になってしまったため、教育の場としての役割は終わりました。


終戦後、集合住宅が何度か建て替えられたのち、この団地が建てられたそうです。
昭和30年代の団地ブームの始まりの場所ともいえるかもしれません。敷地は約4ヘクタール、1957(昭和32)年~1968(昭和43)年にかけて建設された4~5階建ての団地が25棟建てられました。



全て賃貸、広さは2DK(32㎡)~3DK(52㎡)。
間取りと家賃は不明です。



煙突のような排気管や、剝き出しになっているメーター、時代を感じます。
まだ生活感はありますが、空き部屋も目立っていました。



 

タワーマンションが立ち並ぶまでの100年ちょっとの間には、関東大震災や空襲もあったし、占領もされた、高度経済成長もバブルもあったし、気候も変った・・・・、デフレも続いている、日本人はどんな暮らしをしてきたのか。
その一時代を切り取った「懐かしい写真」になる日はそう遠くない気がします。

 



 

 

もう築50年以上。長い間、お疲れ様でした。
そう思う一方で、どうして日本は50~60年で壊しちゃうんだろうとも思います。老朽化の問題はあるけど、欧米みたいに築100年とか珍しくないような、街づくりはできないものなんでしょうか。



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