映画|セデックバレ/抗日事件「霧社事件」のこと

以前(2008年頃)南投縣・仁愛郷の町役場にお邪魔したことがあります。このあたりは、台湾原住民による最大で最後の抗日蜂起事件となった「霧社事件」があったところ。


この事件を題材にしたのが、2013年公開された映画「セデック・バレ」を観ました。残酷なシーンも多いので、つらくなりそうな方はここでページを閉じてください。

  

役場では、戦後、針金で手足を縛られた遺体がたくさん発見されたそうです。事件当時の当事者によれば、霧社事件の際に蜂起部族が処刑されたものだとか。

 

霧社事件とは

1905(昭和6)年に起きた、台湾原住民による最大規模の抗日暴動事件。
 

台中州能高郡霧社(現在の南投県仁愛郷)で起きたことから「霧社事件」と呼ばれています。

 

1895(明治28)年、日清戦争で清が敗れたことによって割譲された台湾に、日本は直ちに入り、統治を広げていきます。清朝時代はほとんど放置されていた山奥にも及び、そこに住んでいた原住民たちの暮らしはどんどん奪われていきました。
日本の警察は原住民に対し、彼らの文化・習慣・信仰を尊重しない生活指導や服従を強い、材木を担いで運ばせるなどの重労働を課していました。そんな生活をひたすら耐え抜いていた、 そんな中で起きた事件です。

 

この事件を起こしたのは、セデック族(賽德克族)。
台湾の中部、南投県と花蓮県の境界にまたがって居住。日本統治時代はタイヤル族の支族と分類され、戦後も引き継がれたが、2008年に台湾政府より独自の民族としての認可を受け、現在14番目の部族とされています。
そのため、資料を見ると「タイヤル族」と書かれていることもあります。また、日本統治時代はセデック族を「紗績族」と表記したり、文献によっては「セイダッカ」と書かれていたりします。

 

蜂起のきっかけとなったのは、日本人警察官が同僚と村で行われていた結婚式の酒宴の場を通りかかったときのこと。祝宴に招き入れようと村の若者が警察官の手を取ったとき、警察官はその手を振り払い、ステッキで若者を殴打。侮辱を受けたと感じた原住民たちは、その警察官を集団で殴打しました。日本軍や警察からの報復を恐れ、また部族の誇りのために原住民たちが先手を打って武装蜂起したのが霧社事件です。


殴打事件から20日後に行われた村の小学校で運動会には、大勢の日本人家族が学校に来ていました。そこへ霧社セデック族マヘボ社の頭目モーナ・ルダオを中心とした6つの社(集落)の男たち300余人が、槍、刀、銃を持って乗り込み、134名を殺害し、首を狩りました。
※原住民の一部の部族には「出草(しゅっそう)」と呼ばれる首狩りの習慣がありました。出草は「部族を外敵から守る力を持った一人前の成人男子」として認められるための通過儀礼(成人式)でもあり、狩った首の数は部族内の誇りでもありました。


事件後、日本軍が兵士を大量投入し、空襲もして、どうにかこうにか鎮圧をしました。ところが、最初は抗日事件だったはずが、日本の警察によって同じ部族の者同士が抗日派と「味方藩(親日派)」に分断され、互いが殺しあう戦いに変えられていきます。
日本軍や警察は、事件以前から部族間に存在していた一触即発の緊張を利用し、禁止したはずの出草を解除しただけでなく、本来なら出草の対象外である女性や子供まで懸賞金をかけて、けしかけたのです。彼らが狩った首の数を誇るのを知っていて。
悲しいことに、霧社から20~25kmほど離れた埔里(プーリー)付近では、集団自殺も起きていました。

さらに日本軍は味方蕃をそそのかし、生き残った抗日派がいる収容所を襲わせ(第二霧社事件)、濁水渓中流域の川中島(現在の清流部落)に強制移住させます。そこでは、警察からの厳しい監視下に置かれ、さらに病死や、絶望感による自死などもあり、徹底的に追い詰められたセデック族の人口は激減、絶滅が危ぶまれるほどだったといいます。

 

原住民がどれだけこの山々を熟知しているか、素晴らしい身体能力をもっているかは既に記事で触れましたが、日本軍も警察も彼らを相手に非常に苦戦します。映画の中で、こんなやりとりがあります。

ある将校が恐る恐る発言します。

どこを通っても蛮族の待ち伏せに合う。行動が全て読まれている。
凶蛮は実に手ごわい、我々はさらに兵を増やすべきです。


これに対し、台湾守備隊司令官・鎌田弥彦は、
 
強力な武器を備えた数千人の武装部隊が、
たった三百人余りの生蕃の獲物にされてきりぎりまいか。
我々の飛行機は上空を飛び回り、ずーっと爆弾を落としているのに、
どうしてやつらを爆撃できないんだ。
貴様たち将校は、一体何をやってるんだ!!!
 
と机をたたいて激怒します。するとまた別の将校が、
 
凶蕃は、攻撃するとすぐに消える。まるで亡霊のような存在です。
足元がおぼつかない険しい山道でも飛ぶように逃げ、
どこから来てどこへ逃げるのか、全く予測がつきません。
バワン・ナウイという子供は(地図を指し示し)、一昨日はここで発見され、
昨日はここに現れ、今日ここに出没しました。
この険しい遠い道のりを子供がどうやって移動したのか、全くわかりません。
 

すると、一言。
 
びらん性迫撃砲弾を用意しろ。
 

つまり、毒ガスです。映画とはいえ、このセリフを聞いたとき本当にぞっとしました。「使われた」という説と、「打電したものの、まだ開発途上だったため使われなかった」、「使ったのは催涙ガス」だという説があります。実際にどうだったのか、いまだに不明確なのだそうです。
 
 
実際に訪れて山々を眺めていると、こんなところまでよく入り込んだものだなあと驚きます。道路を造り、橋を架け、鉄道を敷くだけでもかなり重労働だったはずだけれど、やはりというべきか、原住民たちの重労働がありました。
残念ながら事件にかかわる場所を訪れる時間が取れませんでした。次回来たときに、慰霊を兼ねて訪ねることができたらと願うような気持ちです。

 


映画の中で、鎌田弥彦はこうも言っています。

 お前らに文明を与えてやったのに、反対に我らを野蛮にさせよって。

 

文明?頼んでねーよ。

 

それにしても、自分たちは優れていると勘違いし、相手を見下し、よく知ろうともせずに甘く見て戦いを仕掛けてしまう軍の姿勢は、太平洋戦争に繋がったような気がしてなりません。

 


 

山奥の滝など美しいシーンもあるのですが、戦闘、殺人、首を狩るシーンや、日本の教育を受けた花岡一郎(ダッキス・ノービン)、花岡二郎(ダッキス・ナウイ)の家族21人が自決するシーンなど、かなり残酷なシーンがあります。映画の中で女たちが歌う悲しい歌や、自決に向かう母親について来ようとする子供を突き放すシーンなども、つらくて観ていられません。 

映画はつらいシーンも多いからどこまで薦めていいやら??ですが、霧社事件関連の書籍も出ていますので、活字で知りたい方は書籍をどうぞ。


セデック・バレ 第一部:太陽旗/第二部:虹の橋【通常版 2枚組】[DVD]

餘生~セデック・バレの真実 [DVD]

抗日霧社事件をめぐる人々―翻弄された台湾原住民の戦前、戦後 (史実シリーズ)





*  *  *  *  *  *
<編集後記>
加害の歴史を知ることは被害の歴史を知るのとはまた違うつらさがありますよね。これも歴史として、知って受け止めて行かなくては・・・・。話には聞いていても、映画で見るとまた違う感情が湧いてきます。
訪台時に出会った原住民の方達は(私達日本人に配慮をしつつ)、つらい歴史や自分たちの思いを話してくれましたが、私達日本人はこの歴史をどれだけ知っているでしょうか。原住民たちと日本側の記憶が一致することはないと思いますが、それも含めて、いい関係を築こうと働きかけてくれている人達がいることも、併せて知って欲しいと思います。
かつてこんなにひどいことをした国の人間を相手に、こうしたかかわり方ができるってすごいですよね。非常に勇気と思いやりのある行動だと感じました。ありがとう。
 




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