2025-07-12

東京|被爆80年企画展 ヒロシマ1945:東京都写真美術館(東京都目黒区)【終了】

終戦80年の今年、恵比寿ガーデンプレイス内にある東京都写真美術館で「ヒロシマ1945」が開催されています。期間は2025年5月31日(土)から8月17日(日)まで。写真美術館では撮影不可のことも多いのですが、今回のこの企画展では接写をしない等の条件はあるものの、写真撮影をさせていただくことができました。

原爆のことなのでどうしても胸が痛む記事になってしまいます。なので、気分がすぐれない方やつらくなりそうな方はご無理をなさらず、またのお越しをお待ちしております。

 

<企画展の説明>
第2次世界大戦末期の1945年8月6日午前8時15分、米軍がB29爆撃機「エノラ・ゲイ」から人類史上初めて、都市の上空に原子爆弾を投下しました。あの日広島が、3日後に長崎がただ一発の爆弾によって焦土と化しました。その頃、自ら被爆しながら、あるいは放射線被曝の急性障害に苦しむ人間の姿に衝撃を受けながら、カメラを手に原子野を歩いた者たちがいました。
広島では年末までに推計で14万人が犠牲になったとされます。あれから80年となる2025年現在、世界は9カ国が保有する1万2千発もの核兵器に脅かされ続けています。世界各地で戦火が絶えない今こそ、被爆者の「決して繰り返させてはならない」という訴えとともに、原爆写真と映像を広く共有しなければなりません。

このたび、広島市民、報道機関のカメラマンや写真家の手による広島原爆写真約160点と映像2点を公開します。資料の所蔵や保存・活用に携わってきた報道機関が連携し、原爆写真と映像の展覧会を主催するのは初の試みです。

なお、本展覧会は、2023年に報道機関と広島市が共同で国連教育科学文化機関(ユネスコ)「世界の記憶」に国際登録を申請した「広島原爆の視覚的資料―1945年の写真と映像」(写真1532点、映像2点)を基に構成しています。それらは、敗戦直後の混乱や占領期の報道統制に撮影者があらがい、自ら守り抜いた資料でもあります。

(引用:東京都写真美術館 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-5175.html

 

企画展の説明文とサイトを見て頂くだけでも胸にぐっとくるものがあります。展示会場も広く、内容も非常にボリュームがありました。 



下の写真に映るT字の橋は珍しく、現在では川の多い広島ならではの風景という感じ。一番上の写真をよく見るとH字になっていて、明治11年に架けられた木造の東西2つが残されていたようです。この珍しさゆえに、こまさか原爆投下の目印にされたとは。


詳しくはこちら:https://peace-tourism.com/spot/entry-116.html

こうして地図で見ると、被害は広島の一部だけのように見えてしまいますが、実際の被害の範囲はもっと広いと思います。ただ、この半径2~3kⅿの中にどれだけの人の生活があったのか。そして、この色を付けられたこのエリアに何が起きていたのか。


投下されたのは「ウラン型爆弾」。広島市の市街地や病院の600メートル上空で炸裂しました。「太陽がもうひとつあった」とも表現されるような閃光の直後、爆心地周辺の地表は3000 度~4000 度に、爆風は秒速約280 メートルに達し、爆心地から約 2 キロの範囲の建物はほとんど全焼、全壊しました。

原爆資料館でガイドをされていた方とお話したことがありますが、投下直後のことを「街まるごと、ミキサー付の溶鉱炉に放り込まれたような地獄」と表現されていました。それでも悲惨さを伝えきれずに、もどかしそうだったのを覚えています。

原爆投下の2分後に撮影されたきのこ雲と、爆心地からかなり近い場所で撮影されたものが展示されていました。こんな雲、見たことないですよね。当時、これを見た人たちは何を思ったのだろう?
それにしてもよく撮影できたよなあと、まだ入館したばかりなのに思ってしまいました。

写真でこの迫力。


下の写真は、有名なものなので見たことがある方も多いと思いますが、原爆投下直後の人々を撮影した写真。ひどい火傷をしているのけれど、薬もなく、とりあえず熱を取るために油を塗ったりしたそう。


原爆が投下された翌日から、カメラを持っていた市民のほか、日本軍の調査関係者、朝日新聞、毎日新聞、同盟通信社の記者たちがカメラを持って歩きまわったそうですが、彼らがみたものは?壊滅した街、苦しむ人々、困難を極める救護活動、ご遺体、火葬の様子・・、中にはどうしてもシャッターを押せないものもあっただろうと思います。

火傷したり、さまざまな症状が出ている自分を撮らせてくれた人達がこんなにいたことにも驚きます。


「被爆」という言葉は、2011年の東日本大震災の原発事故でぞっとするくらい身近なものになり、よく耳にするようになりました。それがどんなに恐ろしいことなのかは本当に経験した人でないとわからないことではあるもののの、私達はあまりに知らなすぎのようにも思います。とはいえ、知るのも勇気がいりますよね。


 
東京都写真美術館(恵比寿ガーデンプレイス内)
B1F 展示室 被爆80年企画展「ヒロシマ1945」 
(アーカイブサイト)https://visual-archives-hiroshima.jp/ 
 
 

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【編集後記】 
原爆ドーム前や原爆資料館には外国人の方がはるかに多く、世界で唯一の被爆国に生まれ育ちながら、「被爆」とはどういうものかを知らず(知ろうとせず)、他人事のように過ごしてきた私達。それでは「被爆国の国民としての自覚」とはどういうものなのか?と言われると、それもまた難しい。写真を見たからといって理解できるわけではないとしても、見ておくことは大事だと思います。自分の国に起きたことで、自分の親や祖父母の世代のことだから。
もうひとつ、私達が当時の様子をこうした形でうかがい知ることができるのは、撮影してくださった方々のお陰なのですが、彼らがどれほど危険な状況下に置かれていたのか、撮影時の動揺や葛藤がどのようなものだったのか、撮影をしたことでどれほど傷ついたのか。そしてフィルムをどのようにして守り抜いてきたのか。
そして、世界中の人たちが「貴重な一次資料」として見られることがどれほどすごいことなのか、この80年の間にどれほど多くの人の「思い」や「手」があったのか。
そんなことにも思いを馳せながら、見ていただきたいなと思います。
今、自分の目の前で起きているわけではないけれど、ほんとうにすごいものを目にしているんだと、さらに震えました。
写真は過去の出来事を写しているけど、悲しいことにこの問題は終わっていないのですよね。終わりはどこにあるのだろう?