台湾|日本統治時代の建築:糯米橋(南投縣國姓郷)+追記

この橋が造られたのは日本が台湾を統治していた1940(昭和15)年。
当時、セメントは希少で高価だったため、糯米に黒砂糖や石灰などを混ぜて代用して造られたそうです。長さ:約53m、幅:約5m、高さ:約20m。橋の名前は「糯米橋(もちごめばし)」。


場所は、南投縣國姓鄉北港村という山奥。当時このあたりには20の村があったことから「二十粒」と呼ばれ、この橋は主にサトウキビを砂糖工場へ運ぶためによく使われていたそうです。

 東京とはケタ違いの台風や豪雨や濁流を、この数十年の間に幾度も受けながらも、残っています。




だから、日本製の方がいいんだ!!
(`Д´)ノ(`Д´)ノ(`Д´)ノ(`Д´)ノ(`Д´)ノ


・・と、日本統治下の教育を受けた「ニッポン贔屓」の老紳士達の声が聞こえてきそう。




*  *  *  *  *

【追記:2019年1月】
この橋に限らず日本統治時代の建築を見ることに対して、複雑な思いがありました 。台湾の人たちにとっては「負の遺産」ではないのかな、とか。台湾の人たちは一体どのようにあの時代のことを「継承」してきたのだろう。
この場所を訪れてから約13年、糯米橋は見事に補修され「北港渓粫米石橋」という名前で観光地化されているそうです。欄干工事に400万台湾元(約1,440万日本円)ほどだったとか。

きれいになったなあ。
南投國姓鄉三級古蹟-糯米橋 | 糯米橋休閒農業區



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