2025-09-25

静岡|昭和遺産:ハトヤホテル(4)バー(伊東市)

 ハトヤホテル内にはいくつかお店があるのですが、私が行ったとき唯一営業していた「Bar花」さん。昭和&平成前期には、こういうシブいバーはたくさんありました。何だか大人の世界という感じで、若い人同士で入れる雰囲気ではありませんでしたが。

 

だから、さほど思い出はないとはいえ、まさかこの令和の時代にお目にかかれるとは。天然木のカウンターやガラス扉の棚、高そうな洋酒の瓶、磨き上げられてキラキラ輝くグラス。どれも重厚感があって、カッコいいですよね。

 

今の時代、一見お洒落でもテーブルはひと目で合板とわかってしまうことも多いので、やはり、いいものはちゃんと見て触れておくことって大事だなと思います。

大人の世界・・という感じですよね。

昔は、浴衣姿のおじさんが、石原裕次郎さんの「夜霧よ、今夜もありがとう」とか、エルビス・プレスリーの「ラブ・ミー・テンダー」とか、デュエット曲の「銀座の恋の物語」、「ふたりの大阪」とか歌ってたんだろうな。

お酒が飲めなくても大丈夫。

若い方には目新しいようで、写真を撮ったり、マスターの昔話に耳を傾けたり。
既にハトヤさんの従業員の方もずいぶん入れ替わっており、全盛期を知る社員さんはマスターを含めて2人しかないとか。若くない私は(おそらくマスターと年齢は近い)、異業種交流的に当時のお話を楽しく聞かせて頂きました。 


繁忙期は、週末は600名、平日でも400名を超えるお客様が宿泊に来ていて、さらにキャンセル待ちも多く、本当に忙しかったそうです。社員旅行や慰安旅行などの団体さんが殆ど。
シアターでショーをやっていたため芸能人の方も色々来られていたし、団体さんがパーティコンパニオンさんを呼ぶことも多く、とても華やかだったとか。当時はとにかく忙しくて忙しくて大変だったけれどもやりがいもあった、今こうして静かになってしまうと、とても寂しくて仕方ないそうです。
現在は、週末でも宿泊客は100名いくかどうか。かつてのような団体客はなく、多くても10名くらいのグループ、家族4人くらいとか、カップル、一人旅といった感じで、ユニットが小さい。・・・それは確かに寂しいよなあ。

きっと昔は、歌声や笑い声でいっぱいだった。

 そういえば、バブルの頃、伊豆のホテルに宴会場にパーティコンパニオンさんが来ていたのを見たことがあります。着物を着ていたり、全員お揃いのワンピースを着ていたり。ロビーも人でごった返していましたっけ。

ところで、あの当時、コンパニオンさんをお願いするのにいくらかかったのだろう?
マスターではなく、当時を知る人達に聞いてみました。場所やホテルのグレード、時間にもよるみたいですが、「ひとり2万5千円とか3万円以上はしたのではないか。お願いするにあたり最低人数3名から+お車代+飲み物代。延長すればその分は割増追加料金。彼女達は宴会場では一切食事は摂らないが、飲み物は飲んでよいことになっている。二次会に行ったときは、こちらからおつまみや軽食も勧めていた(ただ、軽食はお断りされたらしい。おそらく規則)。いくら仕事とはいえ二次会まで付き合わせておきながら、飲み物だけというわけにはいかない。それは格好悪いというより、失礼だから。」だそう。
小さい宴会の一次会でもコンパニオンの料金だけで10万円は超え、二次会まで・・となるとその倍以上になりますよね。(私が見かけたのはどれも10名~15名くらい。)

コンパニオン会社にもよるそうですが、基本的には心づけ(チップみたいなもの)は不要。ただ、やはり格好つけたいから、好みの子や話が合う子にはそっと数千円くらい渡すこともあったし、ビンゴゲームをやれば景品が出るので、それをあげたり。
宴会場のお座敷では、機嫌よく食べて飲んでお話して歌って、ちょっとダンスをしてみたり。やっぱり女性が居た方がいいよねという程度と言いながら、「その程度」にそれだけお金を使えた時代だったというのも驚き。でも、それが会社や組織の経費で落ちるんだ??というのはもっと驚きです。

前出のバブル期おじさんの話の続き。
コンパニオンをやっていたのも、ごく普通の女性たち。女子大生あたりが多かったのではないか。今でいうフリーターというか、パーティコンパニオンやイベントコンパニオンなどのアルバイトを掛け持ちして稼いでる子もいたと思う。あとはOLさん、主婦の人もいた。

水商売ではあるけれど、そこそこのグレードのホテルの宴会場での仕事で、宴会場の入口には会社名が掲げられているし、仲居さんたちの目がある。偉い人も、自分の上司も人事部の社員も、同じ空間にいる。だからお酒の席とはいっても、そんなに下品なことや危ないことはしない。羽目なんか外せない。
彼女達の時給がいくらだったのかまではわからないが、お店で働くほどよくはないと思う。ただ、当時はDCブランドブームもあったし、欲しいものがいっぱいの若い女の子たちが、あの過激な消費社会をうまく渡り歩くためには、こうしたバイトは「割のいいバイト」の部類だったのかもしれない。世の中にお金は回っていたが、異常な回り方をしていたので、若い女の子たちはそれなりに大変だったと思う、とのこと。

ここにもかつて浴衣姿のおじさんや、きれいなコンパニオンさんで満席だった

 

確かにそんな時代を知っていると、今のこの状況は何?という感じだし、マスターをはじめ、やりがいを持っていた人たちはどうしていいかわからなくなりますよね。
それでもこの仕事を続けて来られたのは、この仕事が好きとか、振り返ると自分に向いていたということもあるけど、いろんな人と会えること、以前に来店したお客さんがまた来てくれて、別のお客さんを連れて来てくれたりすることなど数えたらきりがないようでした。


あんなバブルはもうないとしても、もう少し庶民にもお金が回ってくるといいんだけど。むしろこれからは、所得は増えないのに、値上げ、値上げ・・かな。
そう思うと、本当にすごい落差だけど、ハトヤ、頑張れ。