2025-09-11

東京|再開発でビル建て替え!ミカド珈琲 日本橋本店(中央区日本橋室町)+戦後のコーヒー事情

もうあっちもこっちも再開発でどんどん街並みが変わっていますが、大好きなミカド珈琲さんも2025年9月30日で現在の店舗から移転と聞いて、行ってきました。


正確にいうと、ビルを建て替えた後に現在とほぼ同じ場所で営業するそうですが、工期が6年もかかるため、それまでは40mくらい先にある仮店舗で10月上旬から営業するとのことでした。 



ミカド珈琲さんというと、「モカソフト」や「コーヒーゼリー」は特に有名ですが、これらは1963(昭和38)年からのメニューだそう。

 

 

店内はいつも混んでいるので、今回は仕事前にモーニングメニューを頂きに。日本橋本店は、朝7時から営業しています。 

 

アイスコーヒーもおいしい。酸味を大事にしているとのことですが、酸味が強いコーヒーが苦手な私でも全然大丈夫。災害級と言われるほどの暑い夏には、こんなにすっきりするのかと。

 


雑誌やインスタなどでご存知の方も多いだろうと思いつつ、一応書いておくと、ミカド珈琲さんは、日本橋と軽井沢に店舗がある老舗コーヒーロースター。1948(昭和23)年、コーヒーおよび喫茶材料の小売業として、今のこの日本橋本店がある場所で創業されたそうです。

 

創業者の方が輸入商社に勤めていた関係で、当時はまだ一般に広まっていなかったコーヒーに出会い、豆を仕入れてドラム缶で炒ってコーヒーを造ったのが始まりだそうです。

さて、1948(昭和25)年、その頃の日本。

  •  アメリカの陸軍長官が「日本を反共の防壁にする」と演説、対日民主化政策の転換が明らかになり、日本は冷戦体制の中へ。
  • 第二次吉田茂内閣が成立。
  • 東京裁判では東条英機らA級戦犯7人に絞首刑が宣告。
  • 笠置シヅ子が歌う『東京ブギウギ』が大ヒット
  • ロングスカートとアロハシャツにリーゼントの「ニュールック」が流行。 
  • 戦後初の夏季・冬季五輪が開催。
  • 水泳で古橋広之進が日・立・明3大学対抗の800m自由形で9分46秒6の世界新記録を出す。
  • 帝銀事件や大手化学会社の昭和電工事件などの大事件が起こる
  • 福井大地震。

沸き立つようなニュースもあれば、大変なこともたくさんある、明るいのか苛酷なのか何だかわからない時代。


 

とはいえ、終戦からまだ3年。戦中よりひどい食糧や物資の不足のため、コーヒー豆の代わりに大豆や穀物、ユリの根を使った“代用コーヒー”ばかりで、本物のコーヒーにはなかなかお目にかかれない時代。当然、庶民には手が届かない。
そんな中、創業者さんは「広く、おいしいコーヒーを」と、立ち飲みコーヒーを始め、当時の半額で提供したそうです。

それにしても代用コーヒーってどんな味だったのでしょうね? 


 

現在のビルになったのは1997(平成9)年頃。創業時のスタイルを意識してか、1階はスタンドです。テーブル席は2階と3階。2階はカジュアル、3階はちょっと落ち着いた雰囲気です。

見慣れたお店の中も、あとわずかで見納めかあ・・・。 

 
 

ミカド珈琲
HP https://mikado-coffee.com/
X(旧Twitter)https://x.com/mikadocoffee_pr

 

ここ数年でコーヒーの価格は結構上がっていて、インスタントコーヒーですら値段を見て横転しそうになったけれど、敗戦で焼け野原になった日本では、どれだけ手に入りにくかったのか。

 

戦後のコーヒー事情
1938(昭和13)年に国家総動員法が発令されると、コーヒーも輸入規制の対象となり、1944(昭和19)年には完全に輸入が途絶えてしまいました。その頃は「贅沢は敵」という時代だから、たとえ豆があってもどれだけの人が飲めたかはわかりませんが。

終戦後もしばらく深刻なコーヒー不足は続き、代用コーヒーが出回っていました。そんな中、「特殊物件」と呼ばれる物資がたびたび闇市に現れ、本物のコーヒーが売られていたときもあったとか。
ちなみに、特殊物件とは、戦時中に軍部が軍需用として備蓄していた食糧や貴金属などさまざまな物資を連合国軍が接収し、その後日本政府に返還されたもの。それを内務省の指示で、各府県が払い下げなどの処理をしていました。

いろいろ決まりはあったものの、終戦後のどさくさで、軍人による持ち去りや、出入りしていた商人たちへの勝手な払い下げ、米軍から横流し品の粉コーヒーの缶詰も出回っていたそうです。闇市にはこういうルートのものが多かったのではないかと思います。

一方、決まりを守って正式な払い下げを願い出たのはコーヒー業者だけでなく、儲けを見込んだ他業種(お魚屋さんとか)もいたそうです。そして何故かオランダ領時間に引き渡されたり、あまりよろしくない商人も暗躍しているという噂もあったりと、油断がならない熾烈な争奪戦だったことが伺えます。
コーヒーの輸入再開は1950(昭和25)年、一般家庭にインスタントコーヒーが普及したのは1960(昭和35)年頃だそう。輸入商社に勤めていた強みはあっても、そういう時代に創業し、輸入が安定するまでどう乗り越えたのか。素直にすごいと思いますが、いったいどんな日々だったのか、どんなご苦労や喜びがあったのか。
 

今はこんな風に当たり前に、コーヒー好きな人は1日に数杯飲めるような時代だからこそ、ちょっと考えてしまいました。

 

時代は流れて、再開発でこのビルも、この景色もなくなってしまいます。 



 

 *  *  *  *  *

【編集後記】
既に閉店されてしまったけど、戦後間もない頃に創業された喫茶店では、どこも創業者はご苦労されたようです。横流し品のLIPTONの紅茶の缶を見せていただいたこともありました。

拙記事:東京|かつての名曲喫茶・神田白十字 【解体】 

再開発や不況などの影響で、同じような内装と味を提供できる大手のチェーン店はさらに増えていますよね。土地勘のない街で歩き疲れたときには慣れた味は有難い反面、その町だからこそ出会えた内装や味、店主さまのお話、そのお店の歴史、ファンの方との交流、といった楽しみ方自体もレトロになりつつあるのかなあと寂しくもあります。
まあ、新しい楽しみ方もいろいろ出てくるのかなと思いつつ。

でもやっぱり寂しい。 


地図も画像で残しておきます。


リンクはこちら→ https://maps.app.goo.gl/Ao48r4W3cH8pNQM5A

 


 

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