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先日行った永楽湯さんから徒歩圏の「仲乃湯」さん。横浜市営地下鉄「阪東橋」駅が最寄りだと思いますが、横浜商店街を抜けてさらにまっすぐ進んだ住宅街の中にあります。
1949(昭和24)年創業、1957(昭和32)年に増改築。もうかなり古い建物ですが、中はとてもきれいに保たれています。撮影に使われたこともあるそうです。
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先日行った永楽湯さんから徒歩圏の「仲乃湯」さん。横浜市営地下鉄「阪東橋」駅が最寄りだと思いますが、横浜商店街を抜けてさらにまっすぐ進んだ住宅街の中にあります。
1949(昭和24)年創業、1957(昭和32)年に増改築。もうかなり古い建物ですが、中はとてもきれいに保たれています。撮影に使われたこともあるそうです。
横浜市営地下鉄ブルーライン・伊勢佐木長者町駅から徒歩5分くらいの場所、横浜市南区永楽町にある「永楽湯」さんは、1951(昭和26)年。レトロ銭湯といえども、最近はあまり見かけなくなった「サウナ」が付いています。
また、黒湯もあります(残念ながら、現在はポンプ故障のため薬湯です)。
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不二家レストラン1号店と言われている横浜センター店は、JR関内駅から徒歩5分。伊勢佐木モールに入って割とすぐの場所。不二家の発祥地は数寄屋橋ではなく、横浜の元町だったのですね。
ファミリーレストランの発祥は、1970(昭和45)年開店のすかいらーく1号店である国立店(現ガスト)と言われていますが、不二家さんの歴史を知ると、ちょっと待て!と言いたくなるかもしれません。
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2011年3月11日午後2時46分、三陸沖130kmでM9の地震が起き、福島第一原子力発電所では震度6を記録。多くの人が避難を余儀なくされ、計画停電も実施されました。時間が経過するにつれ、当時の緊張や事故の深刻さは人々の意識の中から薄れ、街にも以前のような明るさが戻っていきました。原発とその周辺で何が起きていたのか、私達はよく知らないまま、また知ろうとしないまま、再稼働に向けて舵は切られていきました。
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前回(2021年2月)に記事を書きましたが、ついに、ヘアドネーションしました!あれから2年が経過、決して「あっという間だった」とは言えず、色々なことがありました。(個人差はあるけど、髪が伸びるスピードは、1カ月に1cm~1.5cmくらいだそうです)
途中、切りたいと思ったこともあったけど、美容院選びって大事だなと痛感しました。
結論から言うと「長きに渡ってヘア・ドネーションの実績があるところ」がいいですね。でないと「そりゃあ、ないだろう」って思うことも出てきて、お店を2回変えてます(笑)。
JR根岸線・山手駅から、全国でも珍しい直線を引いたような長い商店街を歩いて5分くらいのところにある「いなり湯」さん。商店街も珍しいけれど、緑色を基調とした銭も珍しい。
もともとは横浜市南区で別の銭湯を経営していたそうですが、1945年5月29日の横浜大空襲により焼失してしまったそう。1946(昭和21)年にこの場所で「いなり湯」を開業、1961(昭和36)年に建て替え、今に至るそうです。
Instagramをやめました。
ほとんど使ってなくて、やめたところで何も支障がない。だからこそやめた、という感じです。あったらあったで楽しいのかもしれないけれど、「あったらいいな=なくてもいいな」です。
”インスタ映え”という言葉もあるように、アップするものが限定的というか、一般に広くウケる「素敵なもの」「こんなに輝いている私」しか載せちゃいけないような気がして。私が書く記事はインスタ向きではないので(笑)。また、もともとあちこちに書き散らかしたものをブログに纏めているくらいなので、さらに書き散かすこともないというのと、「記録する」という趣旨にそぐわないからです。
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1945(昭和20)年3月10日の「東京大空襲」。町が寝静まった午前0時過ぎ、アメリカ軍の爆撃機によって下町が焼かれ、東京の4分の1が焼失、10万人を超える死者を出した史上最大の大空襲でした。もう70年以上も前のこととはいえ、空襲があった痕跡も継承の施設も少なく、この時期になっても話題にのぼることも少なくなりました。
オーストラリア出身の映画監督さんが、東京大空襲の生存者たちを取材したドキュメンタリーが順次上映されています。ただ、東京の話なのに、東京では渋谷の「シアター・イメージフォーラム」でしか上映されていないようです。
JR京浜東北線・大井町駅とJR横須賀線・西大井駅の間くらいにある「大盛湯(たいせいゆ)」さん。東急大井町線「下神明」駅からも行けます。どの駅からも徒歩7~8分。タオルのレンタルもあるので、ふらりと立ち寄れます。
1950(昭和25)年築の宮造で、暖簾をくぐる前に見上げれば、軒下に見事な彫り物が!これは懸魚(げぎょ)という、木造の建物を火災から守ってほしいという願いを込め、寺社仏閣に取り付けられるものだそうです。
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外国人墓地というと山手外人墓地が有名ですが、横浜には4か所の外国人墓地があります。他3カ所は、英連邦戦没者墓地(保土ヶ谷区狩場町)、中華義荘(地蔵王廟・中区太平町)、そしてここ「根岸外国人墓地(中区仲尾台)」です。
4つあるのに、ここが”もうひとつの”と形容されるのは、山手外人墓地と同じ区内にありながら、1967(昭和42)年頃まで荒れた状態で放置されたため、あまりに知られていなかったといいます。しかも、連合軍による接収や書類の没収などによって過去のことがよくわからないとか。
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1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災による建物の倒壊で、山手も瓦礫の山に。駐留していた外国人は神戸など他の都市への移住が相次いで、震災前に7650人いた外国人は翌年には2156人まで減少。そこで横浜市は復興事業として山手や根岸に市営住宅を建設しました。
この山手234番館は外国人向けの共同住宅として、現在の場所に建てられました。