前回「全米日系人博物館(4)」の続きです。1941(昭和16)年12月7日(日本時間8日)、真珠湾攻撃が始まりました。当時アメリカ本土で生活していた日系人は約12万7000人、そのほとんどが西海岸の3州(オレゴン州、ワシントン州、カリフォルニア州)に集中し、特にカリフォルニア州には9万3000人の日系人が住んでいたそうです。
当時のアメリカの軍当局が日系人の立ち退きを命じた掲示。 All Persons of Japanese Ancestry =日本人を祖先にもつすべての人々、とある。 |
1942年2月に当時のルーズベルト大統領が大統領令9066号に署名したことにより、アメリカ国籍を持つ二世も含め、日本人の血を引く住民はすべて、移転所に出頭するよう告知がなされました。これにより、これだけの日系人がたった数カ月のうちに、アメリカ本土の内陸部(すごーく辺鄙なところ)に作られた10カ所の強制収容所に送られることになりました。