2016-11-27

LA|全米日系人博物館(5):強制立ち退き

 前回「全米日系人博物館(4)」の続きです。1941(昭和16)年12月7日(日本時間8日)、真珠湾攻撃が始まりました。当時アメリカ本土で生活していた日系人は約12万7000人、そのほとんどが西海岸の3州(オレゴン州、ワシントン州、カリフォルニア州)に集中し、特にカリフォルニア州には9万3000人の日系人が住んでいたそうです。

当時のアメリカの軍当局が日系人の立ち退きを命じた掲示。
All Persons of Japanese Ancestry =日本人を祖先にもつすべての人々、とある。

1942年2月に当時のルーズベルト大統領が大統領令9066号に署名したことにより、アメリカ国籍を持つ二世も含め、日本人の血を引く住民はすべて、移転所に出頭するよう告知がなされました。これにより、これだけの日系人がたった数カ月のうちに、アメリカ本土の内陸部(すごーく辺鄙なところ)に作られた10カ所の強制収容所に送られることになりました。

2016-11-26

LA|パブリックアート:Pope of Broadway(LADT)

ロサンゼルスのダウンタウンにある元Victor Clothing Companyの建物に描かれた壁画。今にも動き出しそうに描かれているのは、俳優のアンソニー・クイン。
この作品は、壁画アーティスト Eloy Torrez氏が制作した『Pope of Broadway』。


グランド・セントラル・マーケットの近くです。

2016-11-25

LA|全米日系人博物館(4):二世への期待、真珠湾攻撃

前回「全米日系人博物館(3)」の続きです。 一世達は、祖国である日本への強い思いや絆を保ち続け、一部の地域に集まって生活し、助け合いながら各地でいくつもの日本人のコミュニティーを作っていきました。そこには日本語学校、寺院や教会等の施設もありました。けれど、皮肉なことに、一世達の努力や成果、成功は、周囲のアメリカ人達の反日感情と恐れを増大させることに繋がりました。



そしているうちに次の世代も生まれ、育っていきます。一世の移民のアメリカ生まれの子供達は、法律上は正式なアメリカ市民として認められていました。

2016-11-24

LA|全米日系人博物館(3):そもそもの話、移民って

 前回の「全米日系人博物館(2)」からの続きです。博物館では一部のキャプションに日本語訳があるので、大まかな歴史は英語が苦手でもわかると思います。

それに加えて日本の戦争関連の博物館や資料館に比べると(国が豊かだから品質がいいのと、空襲等で焼けていないこともあって)、展示物の保存状態が非常によいこと、量が多いこと、写真も多いので、非言語でもわかりやすいと思いました。そんなところにも戦勝国のゆとりを感じます。

2016-11-23

LA|全米日系人博物館(2):強制収容所の建物

2階が常設展示のコーナーです。階段を上っていくと、途中からナントモいえない”すえた臭い”が漂ってきます。視界に飛び込んできたのは「強制収容所」のレプリカ?・・・と思ったら、本物でした。


他州の砂漠みたいなところに放置されていたものを、ロサンゼルスまで運んできたそうです。

2016-11-22

LA|全米日系人博物館(1)

リトル・トーキョーにある「The Japanese American National Museum(全米日系人博物館)」に行ってきました。


日系人の歴史、明治時代の官約移民から、日系人がアメリカで権利を認められるまでの歴史全般についての展示がされています。建物の大きさの割に展示スペースはコンパクトですが、非常にわかりやすいと思いました。

2016-11-17

LA|ユニオン駅(LADT)

ロサンゼルスにあるユニオン・ステーション。パームツリーと青空と白い建物、昔ながらのカリフォルニアのイメージ(?)。鉄道利用の予定はなかったけど、前を通りかかったので、ちょっと覗いてみました。



オープンしたのは1939年。かつては3社のアメリカ横断鉄道が発着し、交通の中心として栄えていたそうです。