2023-03-11

BLOG作り|インスタグラム、やめました。

Instagramをやめました。
ほとんど使ってなくて、やめたところで何も支障がない。だからこそやめた、という感じです。あったらあったで楽しいのかもしれないけれど、「あったらいいな=なくてもいいな」です。

 

 ”インスタ映え”という言葉もあるように、アップするものが限定的というか、一般に広くウケる「素敵なもの」「こんなに輝いている私」しか載せちゃいけないような気がして。私が書く記事はインスタ向きではないので(笑)。また、もともとあちこちに書き散らかしたものをブログに纏めているくらいなので、さらに書き散かすこともないというのと、「記録する」という趣旨にそぐわないからです。

2023-03-10

映画|ペーパーシティ~東京大空襲の記憶/シアター・イメージフォーラム

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1945(昭和20)年3月10日の「東京大空襲」町が寝静まった午前0時過ぎ、アメリカ軍の爆撃機によって下町が焼かれ、東京の4分の1が焼失、10万人を超える死者を出した史上最大の大空襲でした。もう70年以上も前のこととはいえ、空襲があった痕跡も継承の施設も少なく、この時期になっても話題にのぼることも少なくなりました。


オーストラリア出身の映画監督さんが、東京大空襲の生存者たちを取材したドキュメンタリーが順次上映されています。ただ、東京の話なのに、東京では渋谷の「シアター・イメージフォーラム」でしか上映されていないようです。

2023-03-09

東京|3駅利用可でふらりと行ける:大盛湯(品川区)

JR京浜東北線・大井町駅とJR横須賀線・西大井駅の間くらいにある「大盛湯(たいせいゆ)」さん。東急大井町線「下神明」駅からも行けます。どの駅からも徒歩7~8分。タオルのレンタルもあるので、ふらりと立ち寄れます。


1950(昭和25)年築の宮造で、暖簾をくぐる前に見上げれば、軒下に見事な彫り物が!これは懸魚(げぎょ)という、木造の建物を火災から守ってほしいという願いを込め、寺社仏閣に取り付けられるものだそうです。

2023-03-04

横浜|もうひとつの外国人墓地:根岸外国人墓地(中区)

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外国人墓地というと山手外人墓地が有名ですが、横浜には4か所の外国人墓地があります。他3カ所は、英連邦戦没者墓地(保土ヶ谷区狩場町)、中華義荘(地蔵王廟・中区太平町)、そしてここ「根岸外国人墓地(中区仲尾台)」です。


4つあるのに、ここが”もうひとつの”と形容されるのは、山手外人墓地と同じ区内にありながら、1967(昭和42)年頃まで荒れた状態で放置されたため、あまりに知られていなかったといいます。しかも、連合軍による接収や書類の没収などによって過去のことがよくわからないとか。

2023-03-03

横浜|港の見える丘公園/横浜米軍機墜落事件のこと

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1859(安政6)年の横浜開港時、港の見える丘公園の一帯は外国人居留地でした。丘の上はイギリス軍、下にフランス軍が駐屯していたそうです。


現在のような公園になったのは、1962(昭和37年)。戦後の流行歌「港が見える丘」に由来して付けられました。オフコースの「秋の気配」の歌詞に「あれがあなたの好きな場所、港が見下ろせる小高い公園」とありますが、ここのことだと言われています。

2023-03-02

横浜|山手西洋館(3):外国人向けの共同住宅「山手234番館」

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1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災による建物の倒壊で、山手も瓦礫の山に。駐留していた外国人は神戸など他の都市への移住が相次いで、震災前に7650人いた外国人は翌年には2156人まで減少。そこで横浜市は復興事業として山手や根岸に市営住宅を建設しました。


この山手234番館は外国人向けの共同住宅として、現在の場所に建てられました。

2023-03-01

横浜|山手西洋館(2):貿易商の私邸「エリスマン邸」

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1860(万延元)年に外国人居留地が開放、当初の居留地は現在の山下町のエリアで、「関内居留地」や「山下居留地」と呼ばれていました。開港後の土地不足に加えて、山下町は埋立による低湿地帯であったため、山手丘陵地の開放が求められ、現在の山手町に「山手居留地」が造られたそうです。


山手居留地は住宅街ですが、山下町の居留地だった場所は当時も商業地区で、高度経済成長期以降はビルやマンション建設が進み、街並みは大きく変わっています。