2023-03-09

東京|3駅利用可でふらりと行ける:大盛湯(品川区)

JR京浜東北線・大井町駅とJR横須賀線・西大井駅の間くらいにある「大盛湯(たいせいゆ)」さん。東急大井町線「下神明」駅からも行けます。どの駅からも徒歩7~8分。タオルのレンタルもあるので、ふらりと立ち寄れます。


1950(昭和25)年築の宮造で、暖簾をくぐる前に見上げれば、軒下に見事な彫り物が!これは懸魚(げぎょ)という、木造の建物を火災から守ってほしいという願いを込め、寺社仏閣に取り付けられるものだそうです。

2023-03-04

横浜|もうひとつの外国人墓地:根岸外国人墓地(中区)

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外国人墓地というと山手外人墓地が有名ですが、横浜には4か所の外国人墓地があります。他3カ所は、英連邦戦没者墓地(保土ヶ谷区狩場町)、中華義荘(地蔵王廟・中区太平町)、そしてここ「根岸外国人墓地(中区仲尾台)」です。


4つあるのに、ここが”もうひとつの”と形容されるのは、山手外人墓地と同じ区内にありながら、1967(昭和42)年頃まで荒れた状態で放置されたため、あまりに知られていなかったといいます。しかも、連合軍による接収や書類の没収などによって過去のことがよくわからないとか。

2023-03-03

横浜|港の見える丘公園/横浜米軍機墜落事件のこと

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1859(安政6)年の横浜開港時、港の見える丘公園の一帯は外国人居留地でした。丘の上はイギリス軍、下にフランス軍が駐屯していたそうです。


現在のような公園になったのは、1962(昭和37年)。戦後の流行歌「港が見える丘」に由来して付けられました。オフコースの「秋の気配」の歌詞に「あれがあなたの好きな場所、港が見下ろせる小高い公園」とありますが、ここのことだと言われています。

2023-03-02

横浜|山手西洋館(3):外国人向けの共同住宅「山手234番館」

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1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災による建物の倒壊で、山手も瓦礫の山に。駐留していた外国人は神戸など他の都市への移住が相次いで、震災前に7650人いた外国人は翌年には2156人まで減少。そこで横浜市は復興事業として山手や根岸に市営住宅を建設しました。


この山手234番館は外国人向けの共同住宅として、現在の場所に建てられました。

2023-03-01

横浜|山手西洋館(2):貿易商の私邸「エリスマン邸」

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1860(万延元)年に外国人居留地が開放、当初の居留地は現在の山下町のエリアで、「関内居留地」や「山下居留地」と呼ばれていました。開港後の土地不足に加えて、山下町は埋立による低湿地帯であったため、山手丘陵地の開放が求められ、現在の山手町に「山手居留地」が造られたそうです。


山手居留地は住宅街ですが、山下町の居留地だった場所は当時も商業地区で、高度経済成長期以降はビルやマンション建設が進み、街並みは大きく変わっています。

2023-02-28

横浜|山手西洋館(1):貿易商・領事の私邸「ベーリックホール」

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1853(嘉永6)年の黒船来航から5年、1858(安政5)年に日米修好通商条約をはじめとする安政の五カ国条約が締結されたのを機に、1859年7月1日(安政6年6月2日)に日本初の近代国際貿易港として横浜港が開港しました。



居留地の中でも、山手居留地は住宅地として発展、1899(明治32)年に居留地撤廃されたものの、割とそのまま残っていたようですが、1923(大正12)年の関東大震災で壊滅状態に。現在残っているのは関東大震災後に建てられたものです。

2023-02-25

神奈川県央|昭和空間:純喫茶フロリダ(大和市)

 小田急大和駅前で行われている神奈川県最大規模といわれている「やまと骨董市」をウロウロしているとき、目に入った黄色い看板と「純喫茶」の文字、気になって仕方ありませんでした。ここだけ妙に昭和。


「純喫茶フロリダ」さんは、1971(昭和46)〜1972(昭和47)年頃の創業だそうですが、ビルはもっと古そうです。運良く駅前の再開発を逃れて今に至るのだそう。