海岸を散歩中に見た「日暈」「ハロ現象」。
普段、ビルの中で働いてて、コロナの感染拡大してからは在宅勤務で、普段から空を見上げることなんてほとんどありません。いろんな空模様を見逃しているだろうなあ。
昔は不吉だと言われたこともあるそうですが、吉兆と捉えることの方が多いようです。個人的には、こういうのを見るとちょっと感動したり、根拠なく、いいことありそうな気がしますよね。
海岸を散歩中に見た「日暈」「ハロ現象」。
普段、ビルの中で働いてて、コロナの感染拡大してからは在宅勤務で、普段から空を見上げることなんてほとんどありません。いろんな空模様を見逃しているだろうなあ。
昔は不吉だと言われたこともあるそうですが、吉兆と捉えることの方が多いようです。個人的には、こういうのを見るとちょっと感動したり、根拠なく、いいことありそうな気がしますよね。
1965(昭和40)年に開店した喫茶「ジュリアン」に行ってきました。照明はやや暗め、ジャズがほどよい音量で流れていて、もしかしたら今時見つけるのは難しいくらいのレトロな喫茶店です。
JR東海道線本線&横須賀線の大船駅を通るときに、車窓から見える大きな観音像。
立像でも坐像でもなく、胸像です。当初は立像を計画していたそうですが、地層が東側斜面に崩れる地層で丘の突端であること、坐像では地形との調和がとれない等の理由から胸像なったとか。
大船駅を出たところから見ると、立像に見えます。
「切腹最中」とは大胆なネーミング!しかもハチマキをしています。しかもサラリーマンの営業ツール、取引先に頭を下げに行くときに持参するとも言われており、この時もスーツ姿のお客さんがひっきりなしに訪れていました。
この切腹最中を開発・販売したのは、大正元年創業の老舗の和菓子屋「新生堂(しんしょうどう)」さん。それにしてもどうして思いついたんだろう?
神楽坂は、石畳や黒塀、寺社、古民家や旅館、芸妓さんなど、昔の日本の風景を残しながら、和と洋、伝統とモダン、庶民的なお店と高級料亭、多種多様なお店が揃っています。
周辺には、東京理科大学や法政大学、アンスティチュ・フランセ東京、パラパラの殿堂のディスコ「ツインスター(1992ー2003年)」が存在していたことも。今回は「路地裏」とか「横丁」を歩いてきました。敢えて、夜に。
これまで何度も目にしているはずなのに気づかずにいて、ある日「ん?」と思った、地下連絡口の案内板。 「国鉄新橋地下駅」 「営団地下鉄銀座線」。
駅前ビルの竣工は、1966(昭和41)年、 国鉄が分割民営化したのは、1987(昭和62)年、 営団地下鉄が解散したのは、2004(平成16)年。 敢えて、残している?直し忘れてる?わかるから、まあいいか、という感じ?
1970年代の日本の外食産業勃興期に日本上陸に上陸したファミレスのひとつ「Anna Miller's(アンナミラーズ)」。デニーズより1年早い1973(昭和48)年に、青山に1号店をオープンして以来、首都圏で展開。最盛期は1990年代後半で28店舗。
創立者スタンレー・ミラーは祖母が作っていた素朴なペンシルベニア・ダッチスタイルの家庭料理をコンセプトとしたそうです。
新型コロナウイルスの感染が拡大している中、医療従事者など最前線で働く関係者の皆様へ、感謝と敬意の気持ち込めて、全国で橋や庁舎など様々な施設を青色にライトアップする動きが広がっています。
元々はロンドンやニューヨークで始まった活動らしく、レインボーブリッジも4月22日から点灯されています。日本国内だけでも、既に400を超える施設が協力しているそう。
「全世帯へ配布する布マスク(通称:アベノマスク)」、2020年6月2日に届きました。今年2月以降から起きている使い捨てマスクの不足を解消するため、安倍内閣が実施したものです。
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昭和のマスクみたい。これで猛威を振るうウイルスをブロックできるのか? |
緊急事態宣言が延長され、発令から1カ月以上経過したある日の「有楽町駅前、20時」です。
今思えば海外がロックダウンを始めた頃はまだ、日本はいつか?、もっと感染者は増えるのか?、東京オリンピックはどうなる?などの話題と共に、「厳しい状況にはなるけれど、一時の辛抱」という空気があったようにも思います。
2020年4月7日付で政府より緊急事態宣言が発令されてから2週間。
昨日(2020年4月7日)、緊急事態宣言が出ました、といっても、東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県が対象です。4月2日の午後の会見で出るかも、という話もありましたが、出なかったため、「やっと出したの?」という感じ。
これからどうなるのか見当つかないけど、とりあえずこんなガラガラの東京を見ることはないだろうと、仕事帰りに、新橋~銀座~有楽町を歩きました。
江ノ電(江ノ島電鉄)の「鎌倉高校前」駅。目の前には国道134号線と相模湾。湘南っぽいところとして、この駅付近もロケによく使われています。
これだけ海に近いと塩害も相当なものだと思うのですが、昭和な感じの駅舎を保ってます。竣工時期は不明です。また、江ノ電の車両もいろいろあるので、どれがやってくるかも楽しみのひとつ。
「日本女性の2人に1人は、自分の髪が好きではないと感じています。」
Doveの実験について過去に2回ほど記事にしていますが、今度は髪か・・と傷んだ毛先を触りながら、また負の感情に気づいてしまいました。
「これが私の髪です」。
新型コロナウイルス拡大の影響は、私たちの想像より拡がりが早くて、ああ、そうだった、そういうのもあるな、なんて思いながら、みんなそれぞれ暮らしを守るべく対応しようとしています。
3月は卒業式、謝恩会、送別会などの季節ですが、中止になると、この時のために花を育ててきた農家さん、販売や納入準備をしてきたお花屋さんは、売上がぐっと減ってしまいます。その助けになればと花を買うという活動も広がっています。
鎌倉駅から徒歩10分程度の住宅街の中にある古民家を利用した「燕Cafe」、1934(昭和9)年に建てられた木造住宅です。一部サッシなどで改修されているものの、中は驚くほど古い仕様のまんまです。
オープンしたのは2016(平成28)年。1階はカフェ・スペース、2階はレンタルスペースだそう。カフェ・スペースでは、薬膳や地元で採れたオーガニックの野菜を使った料理のほか、デザートも人気です。
鎌倉駅前にある庶民の台所。1928(昭和3)年に宣教師のアドバイスで始まったという日本初のヨーロッパ式マルシェ、鎌倉市農協連即売所、通称「レンバイ」。
お正月を除くほぼ毎日、日没まで営業、シェフも買い付けに訪れるという朝摘みの鎌倉野菜が売られているほか、隣接する「中央食品市場」もあわせると、本当にいろんなものが売られています。
鎌倉駅から徒歩圏の住宅街にある小さな橋。1924(大正13)年に建造された、滑川(なめりかわ)に架かる「東勝寺橋」。上路式鉄筋コンクリートアーチ橋という関東大震災の復興期に多く用いられた形式で、現在ではとても希少なものだそう。
鎌倉って明治~昭和(戦前)のものが見落としがちなところに残ってたりします。情報も少ないし、行った後で知ったりすることも。
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忘年会でやってきました、銀座にある「Cafe Bar yu’s」。店内は、昭和の大スター、石原裕次郎さんのポスターや絵画、いろいろなアイテムで埋め尽くされています。
幹事さんが裕次郎ファンのため独断で決まったのですが、確かにファンなら楽しいだろうな。 定期的にファンの集いも行われているそうです。
日本で初めてクリスマス・ツリーが飾られたのは意外に古く、1860(安政7、万延元)年「桜田門外の変」頃。どんなツリーだったんだろう。
クリスマスの雰囲気も随分変わり、ツリーも「青っぽい」「色が変わる」ものが多くなりました。昭和生まれにとってクリスマス・カラーは「緑・赤・白・金」だけれど、今の時代の子供たちが大人になったとき、クリスマスの思い出は青っぽいのかも。
茅ヶ崎市にある「恵比寿湯」さんに行ってきました(駅からは遠い)。幼いころのうっすらした記憶に”銭湯”があり、当時は銭湯のことを「お風呂屋さん」、家のお風呂を「内風呂」と言っていたような。
久しぶりに朝カフェ、今回はパークホテル東京の1階「News Art Cafe」。共同通信社の文化交流施設「ニュースアート」(1~3階 )があり、1階のカフェの入り口も企画展(報道写真)のスペース。
カフェでは、2枚切り?くらいの分厚いトーストのモーニングを頂きました。
JR新橋駅構内の「くじゃく窓」、見ると新橋に来たなと実感しつつ、ホッとするのですが、あって当たり前で見慣れ過ぎていて、作品についてはよく知りませんでした。
ここ数年、新橋駅構内は工事中。どうなるのかわかりませんが、こういうのは残して欲しいですよね。新しい駅はどれも同じような感じで個性があまりなくなっているので余計に。
茅ヶ崎駅から徒歩5分くらいの住宅街の中にあるレストラン「MOKICHI FOODS GARDEN(モキチ フーズ・ガーデン)」。1944(昭和19)年に建てられた日本精麦株式会社の精麦工場を再利用しています。
この工場が建てられた頃の藤沢・茅ヶ崎のあたりは、軍都・横須賀を支える軍需関連産業を担う町として多くの工場が進出していました。
2004(平成16)年、横浜高速鉄道・みなとみらい線の開通と同時に開業した「日本大通り」駅。構内に横浜港の歴史を描いた陶板レリーフ板に、どこかで見たことがあるキャラクター(の形をしたもの)が紛れ込んでいました。
サントリーのトリス・ウイスキーのキャラクター「アンクルトリス」!
JRから井の頭線へ抜けるココースにある巨大な壁画。岡本太郎さんの『明日の神話』、原爆・水爆をテーマとした作品のひとつ。
1954(昭和29)年に第五福竜丸が被爆した際の水爆の炸裂の瞬間と、核兵器に焼かれる人間を描いたという重たくも大切なテーマです。