前回「全米日系人博物館(5)」からの続きです。1942年から1946年まで、アメリカ政府は、約7万人のアメリカ国民(二世)を含む、約12万人の「日本人の血を引くすべての民間人」を拘留するため、内陸地の砂漠や沼地や荒野に10箇所の強制収容所を建てました。集合センターから日系人が送られた環境はとても厳しいものでした。
有刺鉄線に囲まれ、監視塔には銃を持った兵士が立ち、その視線や銃口は収容されている日系人に向けられていました。すきま風が入り込むような粗末なバラックに、他の家族と詰め込まれるような相部屋、仕切りのない共同シャワー室や共同トイレ、食堂での粗末な食事・・・衛生状態も悪く、感染症が流行ることもあり、気候も厳しいため体調を崩し、命を落としてしまう人もいました。