作家さんや編集者さん、ライターさんなどプロも大勢いるし、プロではないものの、めざしているとか、すごく書き慣れた人が多い印象だったので、気後れしておりました。
ひとつのブログの更新もままならないのに、さらに広げてどうするんだというのもありました。過去には、Instagramもやめているし・・・・
ひとつのブログの更新もままならないのに、さらに広げてどうするんだというのもありました。過去には、Instagramもやめているし・・・・
「国防婦人会」って大阪発なんですね、知らなかった。ドラマや漫画では、割烹着に襷掛け、厳しく近隣を監視し、悲しむことさえも許さない、 軍国主義を信奉する厄介な主婦軍団という描かれ方も少なくありません。ただ、当時の写真を見ていると「世話好きでよく働くおかあちゃん達」にも見えてきます。
当時の女性たちは「結婚前は親に従い、結婚したら夫や舅・姑に従い、老いては子に従い」で本当に自由がありませんでした。ただ、「お国のため」といえば家を空けることができたし、ひたすら善意だった人、やりがいを感じていた人もいたといいます。軍は女性達のそうしたものさえも利用したとか。戦争の恐ろしさはこんなところにもあるのかと思いつつ、「女性の生きづらさ」という意味では21世紀に生きている私達にも通じるところがあるように思います。
偶然、大阪に訪れたのは3月13日。そう、大阪大空襲(一次)があった日でした。予定を組んでいるときにふと思い出したので、何とか時間を作り、追悼と学ばせていただく気持ちで、「ピースおおさか 大阪国際平和センター」に立ち寄りました。
本当に駆け足での拝観となり、画像も説明も不足した記事になりそうですので、詳細はピースおおさかのHPをご覧いただいた方がよいかもしれません。また、前回も書きましたが、見てつらい気持ちになりそうな方は、ご無理なさらず、他のジャンルの記事をご覧いただくか、またのご訪問をお待ちしております。
某国同士が戦争になってから、日本の過去の戦争のことを知りたい人が増えたといいます。何故戦争は起きるのか、起きるとどうなるのか、止めることはできなかったのか、そしてその中で人々が何を思い、どう生きたのか。今は、それらを知ることがだんだん難しくなってきています。
千里阪急ホテルに宿泊するにあたって、北大阪急行「千里中央」駅前も少しだけ散策。まずは、かわいいショッピングモール「せんちゅうパル」。160の店舗からなっていて、かつてはとても賑わっていたそう。
向こうにタワーマンションが見えるけれど、ここもいつか開発で取り壊されるのだろうか・・と思ったら、せんちゅうパルについては具体的な計画はないそうです。ただ、千里阪急ホテルも解体されるので、ここもどうなるか・・
ホテルの外観も低層で昭和っぽいけど、プールも昭和。ホテルのプールって昔は「贅沢」の象徴だったような気がします。このプールも1970(昭和45)年の開業時に作られ、1997(平成9)年にリニューアル。
千里阪急ホテルには宴会場もあり、ここで結婚式を挙げた方も多いと思います。「この場所で結婚式を挙げたい」という声を受けて作ったそうですが、これは素敵!
これが閉館しちゃうの?解体しちゃうの?すごく惜しいです。
多くの人の手仕事で丁寧に仕上げられた空間ならではの温かみっていいですよね。
前回に引き続き、千里阪急ホテルの記事です。今度はお部屋の中。シングルで予約をしたのですが、西館のツインにアップグレードしてくださいました(たぶん、スーペリアツイン)。シングルは東館にしかなく、西館はツインのみ。
なので、チェックインのときに西館ですって言われたときには思わずニンマリ。東館の方が古いので、そちらはそちらで楽しめたと思いますが、どちらでもいい思い出になりそうな気がしました(実際、いい思い出になりました)。
まずは、1階のフロント&ロビー。南欧風とか邸宅風と表現される内装と調度品も素敵で、入った瞬間にもう「来てよかったなあ」と思いました。ただ、建築が専門ではないので、素敵だとは思いつつも、その価値や技術、設計者が意図するところなどをちゃんと理解できないことがちょっと悔しい。
「あんなところにどうして八芒星のレリーフタイルを付けたんだろう?」とかも、わかったらきっと面白いんだろうなと思います。
ホテルの東館2階にあるメインラウンジ「さくらラウンジ」へ。やっぱり内装もレトロ。
アフタヌーンティーを狙いつつ、土日はもちろん平日でも混んでいると聞いて夕方近くなって行ったら、既に売切れでケーキももう2種類しかないほどの人気店です。
今回の大阪旅行(?)では、1970(昭和45)年の「日本万国博覧会(大阪万博)」に合わせて開業した「千里阪急ホテル」に宿泊しました。倉敷アイビースクエアや倉敷市庁舎を設計した建築家・浦辺鎮太郎氏の設計であることや、万博開幕中には外国の要人も宿泊した老舗のホテルとしても知られていますが、素敵な内装がSNSなどにあげられてご存知の方も多いのではないかと思います。
すごーく残念なことに、このホテルも老朽化や再開発のために、2026 年 3 月 30 日(月)の宿泊利用をもって営業を終了、閉館後は取り壊されてしまうそうです。
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記録ブログなので一応載せておこう。もうすぐ大阪万博こと「EXPO2025 大阪・関西万博」が始まります。4月13日から10月13日までの半年間。
早いもので開催まで何だかんだとあと1カ月になりましたが、盛り上がってる感じがありませんでした。東京オリンピックのときは、地方から来た人に「開催地なのに冷めてる」「全く盛り上がってない」「コロナのせいばかりではないと思う」と言われましたが、大阪に来てみたらそんな感じ。悲しいかな、特に話題にも出ませんでした。
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今回大阪に行くにあたり、東海道新幹線のお世話になりました。「のぞみ」に乗れば、品川から新大阪までの500km以上の距離が、約2時間20分。
開業したのは1964(昭和39)年10月1日ですが、計画された段階から今日まで、東海道新幹線が歩んできた60年以上の月日は、近代日本の発展の歴史のひとつだと思っています。久しぶりに乗ったので、改めてその歴史やルートなどを書き留めておきたいと思います。こういうのってきっかけがないと、調べたり、思いを馳せたりしないですよね。
とても 久しぶりに大阪に来ています。東京や横浜も再開発ラッシュで色々な名店の閉店や、名建築の解体がすごい勢いで進んでいますが、もしかしたら大阪も・・ということで時間の許す限り、レトロ巡りをしています。
大阪・梅田の喫茶店というと、真っ先に思い出すのが「マヅラ」さん。多くの人がブログやSNSでアップしていて、お店の歴史や人気メニューなどについてはもうあまり書くことがないほどの名店です。
三島に来たら寄ってみたかった源兵衛川沿いのカフェ「dilettante cafe(ディレッタント カフェ)」。地元である三島や静岡県で採れた食材を使用し、食材そのものを楽しめるイタリアンとして20年。このカフェのもうひとつの特徴は、「原則、スマートフォンの使用を控えめにすること」。
”禁止”といった強い感じはなく、スマホに依存しない豊かな時間を過ごして欲しいとのことで、店内のお客さんは誰もスマホを見たり、テーブルの上に置いたりしていませんでした。読書や書き物を愉しむ人、和やかに会話をする人、スマホが普及する前ってこんなだったなあと。
三島市には、町のいたるところに水路があります。明治時代には製糸が特に盛んで、製材、精米業、紙すき、染色(紺屋)、製傘(せいさん)業など水力を利用した産業が多く見られ、こうしたモノづくりの職人さんの街でもあったとか。
三島の水は夏冷たく冬暖かいと言われ、年間を通して15度程度、染め物にはうってつけで、昭和初期には小さな町だった三島には染物屋さんだけでも20軒以上あったそうです。布を川に浸している光景はきれいだっただろうと思います。
木製の小さな水車。これで発電していたの? |
現在、三島市で水車を見ることができるのは、蓮沼川(宮さんの川)や楽寿園内。三島ゆうすい会の「遊水匠の会」が、懐かしい風景を再現しようと、飛鳥時代の水時計や大きな手作り水車を設置したとか。
JR三島駅南口からすぐ近くにある「三島市立公園楽寿園」。明治維新で活躍された小松宮彰仁親王が1890(明治23)年に別邸として造られたもので、広さは約22,870坪。緑豊かな園内の中に、すっかり見かけなくなったメリーゴーランドが現役で活躍!
としまえん(東京都練馬区)に”現存する世界最古の回転木馬”とされていた「カルーセルエルドラド」が2020年に解体されて以降は、現代風にリニューアルせずに残っているものはどれくらいあるだろう?都内で現存しているものは「花やしき(台東区浅草)」くらいかもしれない。
静岡県って近いのにあんまり行ったことがなくて、昨年に熱海までは行ったので、今年はもう少し先へと思い、水の都と言われる「三島」に日帰りで行ってきました。
地図で見ると半分が山で半分が平地。芦ノ湖と沼津のちょうど間くらい。電車では熱海で乗り換えて2駅。もう少し足を伸ばせば沼津に行けます。新幹線も通っているので実は通勤圏内でもあります。伊豆箱根鉄道・駿豆線で修善寺まで行けます。
久しぶりに新橋の「パーラーキムラヤ」さんへ。以前にもブログで書いたけれど、2024年も後半に入った現在でも変わらずに繁盛していることが何だか嬉しい。
その間にコロナ禍があったり、今でも材料高騰、その他支払の増加、人手不足、後継者問題など個人経営のお店は厳しい状況が続いています。なので、チェーン店よりも個人経営のお店に足を運び続け、仮にキャッシュレス対応を始めたお店であっても現金払いを貫いてきたけれど、ふと思った。支えられているのは私達の方ではないかと(笑)。
最近は減りつつあるようですが、デパートの最上階にはレストランフロアがありました。神奈川県藤沢市の藤沢さいか屋8階のレストラン街にある「COFFEE HOUSE瓦斯灯」。
レトロ喫茶って、つい街歩きをしながら探してしまうんですが、デパートの最上階っていうのもありですね。盲点でした!。1978(昭和53)年オープン。
創業が1911(明治44)年の喫茶店が銀座にあります。日本最古の喫茶店と紹介されることも多いけれど、日本最初のカフェとされているのは、1888(明治21)年に開店した「可否茶館」 。今はもうないので、現存するものの中で最古という意味かもしれません。100年を超えてる老舗です。
お店の名前「パウリスタ(Paulista)」は、「サンパウロの」とか「サンパウロっ子」という意味だそう。100年以上前に創業されたことと重ねると、ブラジルへ移民として渡った日本人たちのことが思い浮かびます。
ラーメンは博物館もあるほどの人気食。「二郎系」「家系」など有名店の暖簾分けや、「北海道系」「熊本系」と地域に分けたり、〇〇系と特色を打ち出したりと様々。お店もきれいだし、確かにおいしいのだけれど、個人的には昔ながらのラーメン屋さんって結構好きです。
今回お邪魔したのは、湘南茅ヶ崎にある1964(昭和39)年創業の「サッポロ軒」さん。サッポロと名乗っているあたり、北海道系ってことになるのでしょうけれど、今のラーメン屋さんとは時代の違いを感じますよね。
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1980年代の商品が既にヴィンテージ扱いになっていて、「もう21世紀になって四半世紀になろうとしているんだもんな」としみじみしていたときに目に飛び込んできた、鈴木英人さんのイラスト。1980年代を知る人にはお馴染みで懐かしいですよね。東京大丸で期間限定の展示販売会が行われていました(2024年7月24日~30日)。
その当時、『FM STATION』というFM雑誌があり、付録として中に綴じられていた”カセットテープ”のインデックスカードは、原画を見ることなんて叶わない未成年には嬉しいものでした。
中央区銀座とは何ら関係なく、「恵比寿銀座」にあるからだそう。商店街に「〇〇銀座」と名付けたのも昭和っぽい。
全然詳しくはないけどモザイク画とか割と好きで、見かけるとついパチリと撮ってしまいます。東京メトロ日比谷駅改札を右側に出て、ミッドタウン日比谷入口の脇、有楽町の東京交通会館にあったものと同じ矢橋六郎さんの作品です。
改札付近や構内も含め4カ所。日比谷公園の様子がモチーフとされ、「噴水」「花」「朝焼け」「木立」を描いているとか。
おやつや気軽な手土産として人気のシュークリーム。すっかり「ビアード・パパ」に押されている感じもするし、コンビニにも当たり前のように置いてあるけど、昭和育ちにとってはやはり「ヒロタ」のシュークリームの味が落ち着きます。大きさや原料、クリームの味をはじめとするレシピもほとんど変わっておらず、あの1箱4個入りの紙パックも健在。
写真を撮るまで気づかなかったけど、チェック柄の中に「H」の文字が隠れている。 |
シュークリームが一般に普及したのは、庶民が冷蔵庫を買えるようになった昭和30年代から。そういえば「おばあちゃんは洋菓子はあまり食べたがらなかった」という記憶も手伝ってか、戦後に日本に入って来たものだと思っていたら、100年の歴史があるとはちょっと驚きでした。
普段コーヒー派だけど、たまにおいしい紅茶が飲みたくなる、そんなときの候補・横浜編は「サモアール」さん。1974(昭和49)年に横浜駅西口で創業、ジョイナス地下2階にあるのが本店で、今回は1983(昭和58)年にオープンした馬車道店へ。
50種類以上の紅茶が楽しめるお店で、人気は「アイスロイヤルミルクティ」。大きなグラスに注がれた紅茶、ミルク、フレッシュクリームのグラデーションが素敵。馬車道店では、変わり種のオムライスも頂けます。